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20:初めての浄化



 穢れの浄化で森のかなり深い場所までやってきてしまった。木々の隙間から差し込む光は僅かなものになり、テオバルドとエデュアルトが魔法で灯してくれた火を頼りに進んでいく。

 やがて、ひときわ大きな大樹の許に辿り着いた。瞬間、思わず顔をしかめてしまうほどの焦げ臭さを感じる。穢れの臭いだ。それも今までで一番強い。

 フィロメナ様は大樹の許に座り込むと、浄化を始める――と思いきや、こちらを振り返った。そして、



「オリエッタさん、浄化、やってみる?」



 突然そんなことを言いだした。



「わ、私が、ですか?」



 驚き、戸惑う私にフィロメナ様は優しく微笑むばかりで。

 即座に辞退しようかと首を振りかけて、やめた。確かな実力を持った聖女様に見守られながら、浄化の練習ができる。そんなチャンス、今を逃せばもうやってこないかもしれない。

 私はゆっくりと、大きく頷いた。



「が、頑張ります!」


「うん」



 フィロメナ様は立ち上がり、大樹の前を私に譲る。私は根本を注視しながら、フィロメナ様が座っていたのとまったく同じ位置にしゃがみ込んだ。

 大樹の根本。そこは“歪んでいた”。根本に靄がかかってしまったかのように、ぐにゃりと。穢れが可視化したその光景に私は息を飲む。



「この森の汚れは、後継者問題で村人が抱いた憎悪と、この森を棲家にしていた者たちが居場所を追われたことで抱いた悲しみが入り混じっていると思うよ」



 フィロメナ様が背後からアドバイスしてくださる。

 呪いと同じように、穢れもその原因――大元が分かればより浄化しやすい。呪いであれば呪われた対象本人やその周りの人々から直接原因を聞き出せたりするのだが、穢れは“話せない”ため、聖女が察する他ないのだ。

 今回は既にフィロメナ様が穢れの原因を突き止めて下さっている。だから私は言われたままに、穢れに女神の力で訴えかければいい。



「憎悪と悲しみ……ですか?」


「うん。それらに寄り添うのか、突き放して未練を祓うのか、それはオリエッタさん次第」



 以上でフィロメナ様のアドバイスは終了したようだった。

 私は再び大樹の根本に向き合う。そして手をかざし、視線を伏せた。



(居場所を追われた、悲しみ……)



 後継者問題の憎悪にかんしては、私は何も分からない。イメージもつかない。しかし森を追われた動物や魔物の苦しみ・悲しみは、理解できるような気がした。

 私も少し道を違えば、今頃居場所を――修道院を追われていたかもしれないのだ。



(大変だったね、辛かったね――)



 彼らの苦しみに寄り添うように声をかける。瞬間、意識が穢れに引っ張られるように遠くなり、じわり、と眦に涙が浮かんだ。

 脳裏に飛び込んできた景色は、おそらく動物たちが実際にその目で見たものだろう。人間が森に火を放ち、木を切り倒し、自分たちを追い払う。その人間の、なんと醜いこと――



『穢れに引っ張られんじゃないわよ』



 ぶす、と頬にくちばしの先が刺さる。その痛みに取り込まれかけていた意識が戻ってきた。

 アラスティア様の言う通り、見せられた景色に意識を引っ張られていたかもしれない。先ほど流した涙は私のものではなく、動物たちのものだ。

 改めて気合を入れなおして、彼らの悲しみに寄り添いつつ、しかし引っ張られないように呼び掛ける。あなたたちがまたこの森で暮らせるように、私たちはできるかぎりのことをするから――

 ふわり、と体全身をあたたかな何かが巡った。この感覚には覚えがある。



「で、できた……?」



 そっと目を開ける。大樹の根本の歪みはきれいさっぱりなくなっていた。



「うん、ばっちり! 初めてってきいたのに、すごいよ、オリエッタさん!」



 フィロメナ様が声を弾ませて私の肩に手をかける。褒め上手な先輩聖女に照れ笑いしつつも、立ち上がろうとして、足元がふらついた。ずっしりと体が重い。力を吸い取られてしまったような感覚だった。

 どうにか一人で持ち直し、フィロメナ様に声をかけようと顔を上げた――その刹那。



「オリエッタ!」



 突進するような勢いでエデュアルトに抱きしめられて、私は地面に倒れ込んだ。すっぽりと頭を抱えるように抱きしめられたから、倒れてもどこも痛くはなかったけれど――感動の抱擁にしては変だ。今まで以上に近い体温にうるさい心臓を自覚しつつ、あたりを見渡す。するとフィロメナ様も同じように、テオバルドに抱きしめられながら地面に伏していた。

 ――おかしい、と思った瞬間、すぐ上を大きな物体が勢いよく飛び越えていった。

 なに、あれ。



「鹿……!? 森の主か!」



 エデュアルトが体を起こす。そして物体が去っていった方へ顔を向けた。

 ――森の主。フィロメナ様が仰っていた、大きな鹿の魔物。それが頭上を過ぎ去ったあの大きな物体の正体なのだろうか。だとしたら――襲われた!?

 数テンポ遅れてようやく状況を把握した私を、エデュアルトは木の影まで連れていく。そしてここで大人しくしているように言い聞かせた。



「弱らせるぞ、エッセリンク!」


「分かっています!」



 エデュアルトとテオバルドは剣を抜き、木の影から勢いよく飛び出していく。私は目で自分の専属騎士の姿を追った。

 騎士二人が対峙しているのは聞いた通り、鹿に似た大きな魔物だった。どす黒いオーラを纏っているあたり、穢れに影響を受けているのは確実だ。

 白い歯を剥き、屈強な後ろ足で騎士二人を蹴り飛ばそうとしている。体が大きいだけに足も長く、かなりのリーチがあってなかなか近づけない。

 ハラハラと見守る私の肩に、フィロメナ様の手が触れた。



「大丈夫、ああみえてあいつ、結構強いから」



 よほど不安そうな表情をしていたのだろう、フィロメナ様はわざと明るく軽い口調で言う。

 確かにテオバルドは優雅な身のこなしで魔物の攻撃を受け流し、一瞬の隙も見逃さないよう集中していた。それはエデュアルトも同じだ。遠くから見ているだけでは、危なげは全くない。――けれど、私が心配しているのはエデュアルトの呪いだった。

 テオバルドの呪いに引きずられてしまわないだろうか。魔物の穢れに反応してしまわないだろうか。

 ――エデュアルトが、何かを気にするように右腕を庇った。その一瞬、魔物の頭突きが彼の横腹に炸裂した。そのまま勢いよく木に向かってエデュアルトの体が吹っ飛ぶ。



「エデュアルト!」



 叫ぶ。飛び出しそうになる私の体を、横からフィロメナ様が押しとどめた。



「わたしたちが飛び出ても足を引っ張るだけ。専属騎士を信じよう」



 彼女の言う通りだ。今私が飛び出したら、格好の的になるだけ。



(あぁ、こんな危険な目に――)



 目を凝らしてエデュアルトの姿を探す。しかし私の場所からでは見つけることができなかった。

 倒れ込んで、動けない状態なのだろうか。無事だろうか。あぁ、誰よりも私が、専属騎士という立場の危険性を甘く見ていたかもしれない――

 泣きそうになったそのとき、魔物が嘶きを上げた。どうやらテオバルドが大樹を背に追い詰められてしまったらしい。絶対絶命。その単語が脳裏に浮かんだ瞬間、すごい速さで大きな物体が魔物の腹に突撃した。

 ドシン、と大きな音を立てて魔物はその場に倒れる。すかさず魔法が発動し、蔦のようなもので魔物の体は拘束された。

 何が起きたのか、分からなかった。ただ魔物の傍らに、エデュアルトが立っている。それだけは確かだった。



「……フン、助けられたとは思わんからな」


「はい。助けたなんて畏れ多いことは思っていません」



 エデュアルトとテオバルドは会話を交わす。そしてこちらへとゆっくり歩み寄ってきた。

 何が起きたのか分からない。でもとにかくエデュアルトは無事だ。どこか怪我を庇っているような様子もない。こちらに目線を寄越して、微笑む余裕すらある。――それだけで、もういい。

 エデュアルトは唖然と立ち尽くす私の前に立った。



「……オリエッタ」



 目の前に彼が立って、気づいた。立派な鞘がひん曲がっている。――おそらくは蹴られた際、咄嗟に鞘で受けてダメージを軽減したのだろう。

 理解した瞬間、涙がこぼれた。もし鞘がなかったら、強力な蹴りはエデュアルトの体に大きな傷を負わせていたに違いない。本当に紙一重だったんだ――



「怪我をさせてしまってごめんなさい」



 私が一番覚悟できてなかった。私のせいで傷つく専属騎士に、こんなにも動揺してしまっている。



「泣かないでくれ、これが俺の仕事だ」



 エデュアルトは涙を拭う私の手を取った。そして彼の大きな手が代わりに涙を拭ってくれる。



「聖女ならば己の専属騎士を信じてやれ。傷つけたことを泣くのではなく、無事を喜べ。それが何よりの力になる」



 テオバルドが教えてくれる。ちらりとエデュアルトを見上げれば、彼は頷いた。彼も同じ考えだと思っていいのだろうか。

 傷つくことを泣くのではなく、無事であったことを喜べ。



「無事でよかった」



 拙い言葉だった。しかし、エデュアルトは大きく頷いてくれた。

 落ち着いたところでフィロメナ様がエデュアルトに近づく。横腹に手をあてたのを見るに、傷の治療をしてくれるつもりのようだが、



「あれ、エデュアルトさんの傷が……」



 フィロメナ様は首を傾げた。どうやらうまく癒しの力が使えないようだった。



「治癒術が効きにくい体質なんです」



 苦笑するエデュアルトにあれ、と思う。

 治癒術が効きにくいからこそ、聖女の癒しの力は効くのだと思っていた。実際私の弱い力でも、切り傷程度なら問題なく治せたのだ。フィロメナ様の力がうまく効かないのは、傷が深く大きいせいだろうか。

 疑問に思いつつも、名乗りを上げる。



「あ、わ、私が……!」



 脇腹に手をあてる。そして目を閉じ――女神の力を使った。

 感覚としては、以前と同じ。癒しの力を使ったという手ごたえを私は感じていた。けれど傷は治っているのだろうか。鎧の上からで傷跡が見えないから、本人でなければ治ったかどうか分からない。

 エデュアルトを見上げる。彼は「ありがとう」と微笑んだ。



「痛みが引いた。もう大丈夫だ」



 エデュアルトが私に気を使って嘘をついているのでなければ、どうやら治療できたらしい。

 ほっと息をついた私の横で、フィロメナ様は「へぇ」と驚いたような声を上げた。



「いいね。お互い唯一無二だ」



 唯一無二。その単語がくすぐったくて、私はごまかすように笑う。

 エデュアルトにかけられた呪いはとても強い。だから治癒の力も彼と心を通わせた聖女でないと、思うように効かないのだろうか。理由はいまいち分からないが、何であれ、エデュアルトの役に立てるのは嬉しかった。

 治療を終えた後、フィロメナ様は魔法で拘束された森の主に近寄る。そして傍らにそっと座り、手をかざした。



「傷つけてしまってごめんね。今、穢れも傷も治すから――」



 フィロメナ様が力を使ったのだろう、森の主の体が輝きだす。かと思うと体を覆っていたどす黒いオーラは消え、瞳に光が戻った。

 穢れから解放されたことで正気に戻ったのだろう。拘束を解けば、ゆっくりと森の主は体を起こす。そして、



『ありがとう』



 テレパシーなのか、そう言い残すと森の奥深くへと消えていった。

 森の主が消えていった方向を見つめながら問いかける。



「もう、大丈夫でしょうか」


「わからない。またこの地に穢れが溜まってしまえば、同じことを繰り返すことになるかもしれない。そしていつかは……」



 残酷な現実だった。けれど十分あり得る話でもあった。

 私たちができるのはここまでだ。あとは村の人々の良心にかけるしかない。それでも再び穢れが生まれてしまったときは、聖女が何度でも浄化しよう。それが私たちの役目だ。

 フィロメナ様はふぅ、と肩で息をついてから微笑む。美しい笑みだった。



「でもとりあえず、今回の任務は完了だ。ありがとう、助かったよ」



 ――こうして初めての浄化任務は無事に終了した。



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