18:もう一人の呪われし騎士
フィロメナ様たちが泊っている民宿に招かれて、今回の任務の作戦会議が始まった。
「わたしたちに命じられたのは、この森に生まれてしまった穢れを浄化すること」
穢れの浄化は初めてだ。上手くお手伝いできるかは分からないが、せめて足を引っ張らないようにしなければ。
呪いと同じように、穢れには大元の原因が存在している。それが分からずとも穢れを祓うことはできるが、把握していた方が浄化がスムーズに行えると教科書に書いてあった。だから教科書に書かれていた通りに質問する。
「穢れの原因は分かっているんですか?」
フィロメナ様は苦笑して頷いた。
「この森は代々ある一族が守ってきた。その一族の長が最近代替わりして……後継者問題で、憎悪渦巻くイロイロがあったみたいなんだ」
人間同士の諍いでも穢れは生まれてしまう。それこそ貴族の後継者問題でその土地に穢れが生まれてしまった、なんてよくある話だとシスターが授業で言っていた。
フィロメナ様は眉を顰めて続ける。
「後継者候補の内の一人が、村の発展のためにと森を一部切り崩したのもよくなかった。穢れに反応して、森に住む魔物が狂暴化してしまっている」
この世界の魔物は大人しい種も多い。そういった魔物は多少動物と姿が異なるくらいだ。当然ながら狂暴な種も存在しているし、騎士団や用心棒は基本的に魔物を相手に戦っているから、一概に安全とは言えない。
魔物は人よりも呪い・穢れの影響を受けやすく、大人しい種も少しの穢れに触れるだけでかなり狂暴になってしまう。だから少しでも被害を減らせるよう、聖女は素早く穢れを浄化しなければならない。
――しかし、だからこそ穢れの原因が村や町に住む人々にあると厄介なのだ。一度穢れを浄化しても、再発する可能性がある。
「今浄化しても、大元の原因を解決しないと、また……」
切り崩してしまった森はまだ手の施しようがあるけれど、後継者問題は当人たちが全員納得する落としどころを見つけなければ、何代も続く争いの元になりかねない。そうなってしまえばもうイタチごっこだ。
思わず不安を口にすれば、フィロメナ様はため息と共に肩を落とす。
「そうだね。オリエッタさんの言う通りだ。でも……聖女がそこに口を出すことは許されていない」
聖女ができるのは穢れの浄化だけ。それですべてが解決するとは限らないのがなんとも歯がゆい。
『愚かねー、ほんと』
私の中で比較的おとなしくしていたアラスティア様がぼやいた。女神様からしてみれば、人間はさぞや愚かに見えるだろう。アラスティア様だけでなく、どこの世界の神様もそう思っているかもしれない。
黙りこんでしまった私の肩を、フィロメナ様は軽く叩く。目を合わせて、彼女は控えめに微笑んだ。
――きっと、フィロメナ様はこういったやるせなさを何度も乗り越えてきたのだろう。私たちの任務はあくまで穢れを浄化すること。村の人々を説得し、改心させることではない。
落ち込んでしまった空気を変えるように、フィロメナ様は明るい声で言った。
「森をまわって、穢れが溜まっている場所を浄化していこう。それと……凶暴化した森の主も」
「森の主ですか?」
初耳の単語が飛び出してきて、思わず鸚鵡返しに尋ねる。するとフィロメナ様は「うん」と大きく頷いた。
「ずっとこの森を守ってきた、大きな鹿に似た魔物がいるらしいんだ。普段はとても大人しい種のようだから、退治せずに穢れを浄化してあげたい」
話を聞いた限りでは、私も同意見だった。
魔物といっても森を守ってきた大人しい種だったのだろうし、森の中でボス的な立ち位置にいた可能性もある。仕切っていたボスを失えば、森に住む生き物たちに大きな動揺を与え、それがまた穢れの原因になってしまうかもしれない。
できるだけ、元あった姿に“戻す”。それが聖女の仕事だ。
フィロメナ様が一通りの説明を終えて、ふぅ、と息をついたときだった。
「フィロメナ、もしものときは森の主も迷わず叩き切るぞ」
鋭い声でテオバルドが言う。
「分かってるって」
煩わしそうにフィロメナ様は答えた。まだ先ほどのエデュアルトに対する失礼を許していないようだ。
仕える聖女に雑に扱われた八つ当たりか、テオバルドはキッとエデュアルトを睨む。
「足を引っ張るようなら貴様も切る」
「肝に銘じておきます」
飄々とした口調で躱すエデュアルトは、やはり私が知っている彼とは少し違っているように思えて。あれだけ貶められれば強く当たりたくなる気持ちも分かるけれど――
「浄化は明日から。長い移動で疲れたでしょ、今日はゆっくり休んで」
フィロメナ様のその一言で、今日は解散となった。
***
フィロメナ様たちと別れ、用意してもらった部屋に向かう。エデュアルトは部屋の入口まで送ってくれたのだが、扉を閉める前に、私に向って大きく頭を下げた。
「俺のせいで君に恥をかかせてしまった。すまなかった」
私は大きく首を振る。おそらくはテオバルドに突っかかれたことを言っているのだろうけれど、恥をかいたなんて全く思っていない。
フォローの意も込めて、私は苦笑交じりに言った。
「それを言うなら、あなたが仕えているのは女神様から直々にポンコツの称号を授かった、ポンコツ聖女よ? 私があなたに恥をかかせてしまう時もあるわ、きっと」
「君のことを恥とは思わない」
真っすぐすぎる言葉に動揺して、数秒間たじろぐ。けれどこの言葉だけはしっかり伝えなければと、私は気持ち大きな声で返した。
「そ、それは私も同じ!」
エデュアルトはとても嬉しそうに笑うものだから、あぁ、しっかり言葉にしてよかったなぁ、なんて思って。
――そう、とても優しく、穏やかに笑うのだ。先ほどテオバルドに見せた冷たい表情は幻覚だったのではないかと思ってしまうほどに。
あの表情は、瞳は一体何だったのだろう。私の知らない彼の一面なのだろうか。
「あの騎士の方と知り合い、なの?」
ついつい気になって、はしたないと自覚しつつも突いてしまう。
エデュアルトは隠すことなく、「あぁ」と爽やかに頷いた。
「呪いの相談で一度、お父上と一緒に訪ねてきたんだ。エッセリンクは呪われた家だと有名だから」
――呪いの相談?
首を傾げた瞬間、右の肩に少しの重みがあった。ぱっとそちらに視線をやると、小鳥ではなく女性の姿をしたアラスティア様が腰かけていて。
他の人に女神様の姿を見せてはいけない、と慌てて私とエデュアルトは部屋に入る。一息ついたところでアラスティア様を再び見れば、彼女は顔をしかめて、更にはなぜか鼻をつまんでいた。
「ねぇ、あいつ、ねずみ臭いんだけどどうにかならない? 鼻が曲がりそう」
「えぇっ!?」
あまりに失礼な物言いと、ねずみ臭いという表現に思わず大声で驚いてしまった。
そんな臭い、全くしなかったけれど――
エデュアルトが突然、声を上げて笑いだした。上半身を折って、それこそ腹を抱えて笑う、の表現がぴったりな大爆笑具合だ。
「はははっ、流石は女神様。呪いには鼻が効くな」
「女神を犬猫みたいに言うのやめなさいよね。不敬よ」
「すまない」
どうやらエデュアルトとアラスティア様の間では話が通じているらしい。一人仲間外れな状況が寂しくて、彼らの会話から“ねずみ臭い”の本当の意味を推測する。
エデュアルトは先ほどから何度か“呪い”と口にしている。それにアラスティア様は先日、エデュアルトのことを“竜臭い”と称した。それらから導き出される答えは――
「……まさか、ねずみに呪われてるってことですか? 辺境伯の血筋が?」
正直あり得ない話だった。竜に呪われるならともかく、ねずみに呪われるなんて聞いたことがない。それも、大国の辺境伯という高貴な血筋が!
唖然と呟くように問いかけた私に、エデュアルトは笑い交じりに答える。
「いや、呪われているのはテオバルド本人だけで……本当に軽い呪いだそうだ。だが反省を促すために解いてもらえないんだとか」
どんなに軽い呪いであれど、呪いは呪い。解けるのは聖女だけだ。
ねずみに呪われる――そんなおかしな状況ができあがるとしたら、どこかで呪いや穢れを拾ってしまったねずみに恨まれるようなことをした、ぐらいだろうか。
あの性格だ、本人に聞いても絶対に教えてはくれないだろう。それどころかおそらく、ねずみに呪われていること自体隠しているはずだ。私のようなポンコツでなければ聖女はある程度呪いを察知できるが、それをむやみやたらと言いふらすような聖女はいないし、日常生活の中で呪いの存在を明かさなければならないような局面もやってこないだろう。
――アラスティア様はやさぐれ女神だから、すぐに言いふらしてしまったけれど。
「一体何をしたのかしら……」
答えを求めたわけではなく、ただ独り言のつもりだった。しかし予想外にも、エデュアルトがそれに答える。
「大方弱いものいじめでもしたんだろう」
それは彼らしくない物言いだった。
思わず私はエデュアルトを見上げる。すると彼はテオバルドに向けたとても冷たい瞳で虚空を眺めていて――その銀の瞳から、底知れぬ恐怖を感じた。
すっかり黙り込んでしまった私を不審に思ったのだろう、エデュアルトは私の顔を覗き込んで、何かに気づいたかのようにハッと目を見開く。それから片手で顔を覆い、数秒――手が外されたときには、すっかりいつもの彼に戻っていた。
エデュアルトはばつの悪そうな表情を浮かべる。
「すまない。俺の中の竜が、ねずみごときに頭を垂れるなとうるさいんだ。仲良くできるよう努力する」
――テオバルドに出会ってから度々のぞく怖いエデュアルトは、どうやら彼を呪う竜の意思が表に出てきてしまった結果らしい。
もはや体を持たない“呪い”にも、自分より小さな生命を見下すプライドがあるのだと意外に思った。それに、エデュアルトの精神にそこまで干渉できることも驚きだ。
とりあえず、先ほどの冷たい瞳はエデュアルト本人のものではなかったことにほっとして、私は慌てて首を振る。
「仲良くする必要はないわ。ただ、喧嘩や仲違いはしないでもらえれば……」
「あぁ、ありがとう」
テオバルドは取り付く島もない、といった感じだ。無理にエデュアルトが合わせる必要はない。お互い干渉せず与えられた任務を完遂できればそれが一番いい。
心配なのは、エデュアルトが呪いに引きずられてしまうこと。ねずみの呪いを持つテオバルドと近くにいるのは環境的にあまりよくないようだし、エデュアルトの様子には常に気を配っておこう。




