16:やさぐれ女神
翌朝、小鳥のさえずりで目が覚めた。
ベッドから上半身だけ起き上がり、ぼうっと部屋を見渡す。静まり返った、穏やかな朝だ。昨日の出来事はすべて夢だったのではないかと思ってしまうほど、平和で――
「昨日のあれは、夢……」
「じゃないわよ」
私の頭上で待機していたのか、ひょい、と上から顔を覗かれて私は小さく悲鳴を上げた。
――目の前に浮かぶ、小さな妖精。いいや、女神・アラスティア様。昨晩明かされたこの身に女神様を閉じ込めているという衝撃の事実は、夢でも嘘でもなかったようだ。
起きたばかりだというのに疲労感に襲われ、私は肩を落とした。
「おはようございます……」
見るからにテンションが落ちた私に不愉快になったのか、アラスティア様はフン、と鼻を鳴らすばかりで、返事はしてくれなかった。
与えられた任務は既に終えたから、今日は大修道院へと帰るのみだ。急いで身支度を進めながら、アラスティア様に本日の予定を伝える。
「今日は一度大修道院に戻ります。コレット様にアラスティア様のことをご相談して、聖地の場所を――」
「だめよ」
「えっ?」
アラスティア様は鋭い声で否定した。
だめよ、とは、何がだめなのだろうか。私は特におかしなことは言っていないはずだ。
疑問に首を傾げると、切羽詰まった表情のアラスティアが右頬に突撃してきた。手のひらサイズのお姿ではあるが、勢いよくぶつかられるとそれなりの衝撃で、足元がふらつく。
「こんな小娘の体に閉じ込められてるなんてナディリナやネローネに知られてみなさい、大爆笑されるわ! 絶対この先百年は擦られる!」
つまり大聖女様に相談すれば他の女神様にも伝わり、自分が恥をかくから言うな、ということらしい。けれどそれはアラスティア様のプライドの問題で、今回のことはとても私一人で解決できる問題には思えない。
ここはアラスティア様に我慢して恥をかいていただいた方が、早い解決に繋がると思うけれど――
「で、でも……」
「あんたが力を使いこなせるようになればいいの。そのために修行したいからって、そう言いなさい! いいわね!」
鼻を小さな両手でつままれて、至近距離で凄まれてしまえば私は頷くことしかできなかった。強気に出られない自分が情けない。けれど女神様相手に聖女が強気に出られないのは当然ではないか、なんて自分を自分で寂しく慰める。
確かに聖地の場所については、アラスティア様のことを話さずともスムーズに聞き出せるだろう。ポンコツ聖女が修行のために聖地巡りをしたい、と相談するのは自然なことだ。
ただ聖地巡りをするだけで、狙い通り私が力を使いこなせるようになるとは、悲しいかな、とても思えなかった。けれど女神様から掲げられた目標に異議を唱えることは憚られたし、結果はどうであれ、明確な目標があった方が私も動きやすい。
身支度を終え、鏡で確かめる。――と、自分の背後にアラスティア様の姿が見えた。
女神様は、どうやら鏡に映るらしい。
「そのお姿は他の方にも見えるんですよね? 騒ぎになるようなことは……」
鏡越しに問いかける。するとアラスティア様はくるんとその場で一回転して答えた。
「流石に目立つから適当に変えるわ。あんたの中に入ることもできるし」
ふと、アラスティア様は本当はどんなお姿をしているんだろう、と疑問に思った。今の妖精と見間違う姿は仮の姿だとおっしゃっていたし、女神様と聞くと、とても美しい神秘的な女性の姿が思い浮かぶけれど――
コンコン、と扉がノックされる。きっとエデュアルトだと思い慌てて扉を開ければ、想像通りの姿がそこにあった。
銀髪銀目の騎士。朝から見るにはいろんな意味で眩しい人だ。
「オリエッタ、おはよう。よく眠れたか?」
おはよう、と笑顔で答える。よく眠れたか、という問いかけにはわざと答えなかった。
エデュアルトは気持ち背筋を伸ばすようにして、室内の様子を窺ったようだった。
「昨日の……」
「はぁーい」
アラスティア様が私の右肩に肘をついてエデュアルトに手を振る。すると彼はきゅ、と眉間に皺を寄せて、何とも言えない複雑そうな顔をした。
「なによ、その顔」
すかさずアラスティア様が突っ込む。
エデュアルトは「あー……」と言葉を探すように視線を泳がせた後、ためらいがちに口を開いた。
「いや、女神は随分と……」
「イメージと違った?」
どうやら言いたかったことはアラスティア様がズバリと当ててしまったらしい。気まずそうに目線を逸らす彼に、女神様はふふふ、と乾いた笑い声をこぼす。
「いいわよ、自分でもやさぐれ女神の自覚あるから」
やさぐれ女神。本人の口から語られたその単語がツボに入ってしまって、笑いをこらえようとした結果、肩が震えてしまった。
私の肩に肘をついていたアラスティア様はその震えに気付いたのだろう、咎めるようにどしん! と勢いよく私の肩に腰かける。
失礼な騎士ね、とエデュアルトを値踏みするようにじろじろと見ていたアラスティア様は、あることに気が付いたらしい。不機嫌そうな表情を引っ込めて、私の肩から降りた。
「ねぇ、あんた、その痣ってもしかして……エッセリンクの馬鹿息子の末裔?」
アラスティア様の言葉にエデュアルトは目を丸くする。どうやら女神様が見つけたのは、エデュアルトの手の甲に浮かんだ痣――呪いの証だったようだ。
昨晩私がエデュアルトをフルネームで紹介したが、それを聞いて覚えていた、というよりは、彼の“痣”を見てエッセリンクの名を思い出した、といった口調だった。
「知っているのか」
「知ってるも何も、あたしらの中じゃ鉄板の滑らない話よ。おっさんの命令聞き間違えて竜殺ししちゃった大ボケ者!」
あっはっは! と大声で笑われて、私は思わず顔をしかめる。いくら女神様と言えど、人の祖先を大ボケ者と呼ぶことには不快感を覚えた。
アラスティア様が言ったあたしらの中、とは三人の女神様の中で、ということだろうか。命令を聞き間違えて竜を殺した、という言い回しが気になったけれど――現当主クレマン様が言うには、王家からの命令で竜を殺したとの話だったから――部外者である私が他のお家の話に深く首を突っ込めるはずもなく、疑問は胸の中にとどめる。
アラスティア様は一通り笑った後、眦に浮かんだ涙を拭う。
「今思い出しても笑えるわ。馬鹿な祖先を持つなんて災難ね、あんたも」
馬鹿にした、というよりも、エデュアルトに同情したようだった。普段より柔らかい声音におや、と思い、
「別に、悪いことばかりでもない」
そう返したエデュアルトの声音も、祖先を笑われたにしては穏やかなものだったから、私は何も言わずに二人の会話を見守った。
その後、宿で朝食をいただき、フランチェスカ様たちに別れを告げ、大修道院へ戻るべく、馬車に乗り込んだ。フランチェスカ様たちはもう少しゆっくりされていくらしい。
アラスティア様は私たちの前以外では、私の中に引っ込んで大人しくしていた。ただ私の目を通じて外の世界の様子は見ているようで、朝食に何やら文句を言っていたが、他の人たちもいる前では無視する他なくて。頭の中に響く声にも徐々に慣れてきた。
馬車に揺られながら、エデュアルトは私に――ではなく、私の中のアラスティア様に問いかけてくる。
「ナディリナ様とは別の女神の力がオリエッタの中に在ることに、何か不都合はないのか?」
『全く一緒じゃなくても似たよーなモンよ。何て言うの? 大元は一緒、みたいな。じゃなきゃナディリナの力もらってあたしが回復するはずないでしょ』
なんとも投げやりな物言いに苦笑しつつ、私の中にいるときのアラスティア様の声はエデュアルトには聞こえていないようなので、掻い摘んで伝える。
「女神様同士の力は大元は一緒だから大丈夫だろうって」
エデュアルトに言われてようやく思い至ったが、確かに生命の女神であるナディリナ様と時の女神であるアラスティア様の力は、同じ女神という存在と言えど全く同じではない。それはご本人も認めている。
違う力同士、最悪の場合、力と力がぶつかり合って――なんて、今日の今日まで体調はいたって良好なのだから、気を尖らせる必要はないだろうけれど。
鈍感な私とは打って変わって、エデュアルトが様々な可能性を考えてくれていることに感謝しつつ、自分できちんと考えられるようにならなければ、と反省する。
『まぁでも、ナディリナの力をうまく使えないのはあたしのせいもあるかもしれないわね』
――ぽつり、と落とされた言葉に固まった。
私の反応を見て失言だったと思ったのか、アラスティア様は早口で続ける。
『ほら、女神の力同士が相殺し合ってたり、あたしが知らぬ間に吸い上げてたりって可能性もなくもない……けど、謝らないわよ。関係ないかもしれないし』
なるほど、その可能性もあるのか。けれど結局は私の魂が重かったことがすべての始まりで、アラスティア様を閉じ込めてしまった私が悪いのだから、謝ってもらいたいとは思わなかった。
そもそも、 “可能性”であって、確実にそうと決まったわけではない。今更ああだこうだと過去をほじくり返すのは時間の無駄だ。進む道は既に決まっているのだから。
よし、と改めて気合を入れなおす私とは対照的に、エデュアルトは沈んだ声で言う。
「女神をその身に宿しているんだ。何があるかわからない」
『閉じ込められてるんだっての』
エデュアルトが言い、アラスティア様が突っ込む。
「少しでも体調に異変があれば、すぐに言ってくれ」
『過保護ねぇ、あんたの専属騎士』
専属騎士という立場、そして真面目な性格故に私を心配してくれるエデュアルトと、暇つぶしにと私をからかってくる女神様。
あぁ、こんなの――
(会話に集中できない!)
――大修道院についたのは、日が落ちた頃だった。
アラスティア様に散々急かされて、私はシスターの許へ任務完了の報告に向かう。報告を聞き、お疲れ様、と微笑んだ彼女に、聖地の場所を教えてもらうべく切り出した。
「あの、こんなことを言える立場でないことは重々承知の上ですが、力の修行もしたくて――」
前置きから聖地巡りに話題を繋げようとした、まさにその瞬間。シスターの「あら!」という言葉に遮られた。
「ちょうどよかったわ。次は聖女フィロメナの補佐についてもらおうと思っていたの」
「補佐、ですか?」
えぇ、と頷いてから、シスターは続けた。
「呪いの浄化任務よ」




