15:聖女の真実
「この世界は大地の女神・ネローネ、生命の女神・ナディリナ、そして時の女神であるあたし――アラスティアの三人で作ったのよ」
目の前の妖精――ではなく、自称この世界を作った女神の一人、時の女神・アラスティア様は語る。
頭の中で響いていた声は幻聴でも妖精でもなく、女神様のものだった。そんなこと、一体誰が信じられよう。そもそもこの世界の女神様はナディリナ様ただおひとり。大地の女神ネローネ様、そして時の女神アラスティア様の名前なんて、見たことも聞いたこともない。
「しかし、女神ナディリナの名以外は聞いたことも……」
同じく疑問に思っていたらしいエデュアルトが口を挟む。するとアラスティア様はキッと目尻を釣り上げて、「女神の話は黙って聞く!」とエデュアルトを指さした。
言われた通りエデュアルトが口を噤んだのを確認してから、アラスティア様は再び語り出す。
「そもそものきっかけは……そうそう、創った後ちょーっと放置してたら、自分たちに都合のいい神を勝手に作って信仰して、信仰してる神が違うからって争い出して、世界が滅びそうになったのよ」
――宗教戦争。前世で耳にすることはあったけれど、前世でも今世でも無縁だと思っていた争いで、一度この世界が滅びかけていたなんて。
今この世界がそういったものと無縁なのは、信仰する女神がナディリナ様一人だから、というのが大きいだろう。
そもそもナディリナ教は教団の形をとっているものの、大層な教えもなければ信仰を強いることもしない。宗教団体というより奉仕団体といった方が近いぐらいだ。だからこそ、ここまで世界的に受け入れられている。
――そうなるように歴代の大聖女様たちが、長年バランスをとってこられたのだろうけれど。
「こりゃこっちである程度管理するしかないってなって、ナディリナをこの世界唯一の女神として降臨させたの。他二人は争いの元になりかねないから存在すら明かさない裏方女神。頭いいでしょ」
ふふん、と胸を張る姿はとても女神様には見えない――なんて、バチあたりなことを思う。女神様ともなれば心の内を見透かすこともできるのでは、と一瞬構えたが、アラスティア様は特に気分を害した様子はなく、ほっと息をついた。
目の前の小娘が不敬なことを内心考えているなんて露程も思っていないであろう女神様は話を続ける。
「でもナディリナがある日、あたしたちになんの相談もせず勝手に代理を立てたのよ。女神の代理人として相応しい知識と経験を持ったオトメを、わざわざ別の世界から引っ張ってきて、自分の力まで与えてね」
ナディリナ様が力を与えた代理のオトメ――それこそが最初の大聖女コレット様だろう。
大聖女は襲名制だ。前代のコレット様が新たなるコレット様を選び、大聖女襲名の儀式が行われる。襲名の儀式は一般にはもちろん他の聖女にも非公開だから、どのようなことが行われているかは知らないが、もしかすると今のアラスティア様のように、女神ナディリナ様がお姿を見せるのだろうか。
「代理は女神の名の元に人々をまとめあげたけど、流石に一人じゃ限界が来るでしょ? 勝手に連れてきて過労死させるのも寝覚めが悪いから、本人に要望を聞いたら、同じ力を持つ仲間が欲しいって言ったのよ」
アラスティア様の話は淡々と続く。
教科書にも載っていない聖女誕生の秘話だ。こんなこと、私が聞いてもいいのだろうか。――そもそも、本当の話かどうかも分からないけれど。
「でも力を持ち過ぎて変なこと考える個体が出たり、派閥ができても面倒じゃない? 反乱が起きるようなことも避けたいし……。だから攻撃手段を持たない個体の方がいいんじゃないかって話になったのよ」
攻撃手段を持たない個体――まさしく聖女はその条件に当てはまる存在だ。
聖女は魔力を持たない。つまりこの世界の主な攻撃手段である魔法を使えないのだ。大半が女性であるのも、話を聞くに、女神様たちが狙ってそうしているのかもしれなかった。
「そこであたしが閃いたの。別の世界から、この世界の魔法を使えない魂を連れてきちゃえばいいんじゃない? って。千年に一度の閃きね」
別の世界から連れてこられた、この世界の魔法が使えない聖女の元となる魂――それが私たち“前世持ち”なのだろう。
前世の記憶があるのは、別の世界から女神様によって連れてこられた後遺症のようなものなのだろうか。そもそも別の世界からどうやって魂を連れてくるのか――
「それでここからが本題。魂を連れてくるには、まず母胎にお邪魔するの。それで母胎の中で、この世界とは別の世界の輪廻から魂を釣り上げる」
「つ、釣り上げる?」
「そう。魚釣りならぬ魂釣りね」
魂釣り。おそらくアラスティア様とこうして出会わなければ一生耳にしなかった単語だろう。
「他の神や女神にバレないようにこっそり外の輪廻に糸垂らして、引っかかった魂を母胎の中に引き上げる。すると十月十日後に “前世持ち”が誕生するのよ」
それってものすごく地道な作業なのでは――
脳裏を過った言葉は、しかし口には出さずに飲み込んだ。女神様のご機嫌を損ねかねないと判断してのことだ。
アラスティア様の言う通り、一人一人“前世持ち”を魂釣りでこの世界に呼んでいるのだとしたら、聖女の数が劇的に増えないのも納得だ。それに“バレないようにこっそり”と言っていた。つまり別の輪廻から魂を連れてくるのはあまり表立ってできる行為ではないのだろう。
「この魂釣り、楽に釣れることがほとんどだけど引きが強いことも稀にあって、これはもう運ね。それで――」
そこで一呼吸おいて、アラスティア様は私をびしっと指さした。
「あんたの魂は死ぬほど重かった」
――魂に重さはあるのだろうか。
疑問に思ったが、アラスティア様の表情には「彼女が言うならそうなのだろう」と納得させられるような凄みがあった。
「あんなに重い魂は初めてだったわ。もう引き上げるので体力使い切っちゃって、そのまま寝たのよ。それでふと目が覚めたら……生まれたあんたの中に閉じ込められてたってわけ」
はぁ、と肩をすくめるアラスティア様。
生まれてから十七年、まさかこの身に女神様を閉じ込めているとは思ってもみなかった。けれど女神様を宿しているのなら、もっと女神の力を使いこなせても良いのでは――
そもそも、ただの小娘の体に女神様が大人しく閉じ込められていたということがおかしい。本当にアラスティア様は女神なのか、という疑惑が心の中で首を擡げる。
「外に出てこようとは……」
「そりゃしたわよ! でもどうしてか力が空っぽになってて、身動きが取れなかったの! たぶん寝てる間にあんたに吸われたのね。待って待って待って、ようやく開いたほっそい道からどうにかこうにか出てきたのよ!」
魂が重くて迷惑をかけて、更には女神様の力を吸い尽くすという不敬までやらかして。どうやら私は生まれながらにしてポンコツだったらしい。
アラスティア様が道と表現したのは、彼女が先日叫んでいた回路――女神の力を体に巡らせ、使うための道だろう。その道が開いた、つまり私が力を使えるようになったのは、本当につい最近だ。
十七年。女神様からしてみれば瞬きをしている間に過ぎてしまう時間かもしれない。けれどただの聖女がその身に女神様を閉じ込めるなんて、あってはならないことだ。
「本当にご迷惑をおかけしました。申し訳ございません……」
誠心誠意込めて謝罪する。私には謝ることしかできない。
十秒ほど頭を下げ続けて、恐る恐るアラスティア様の様子を伺った。彼女は黙ったままだった。
正直アラスティア様の言葉が本当なのか、いまだ半信半疑だ。けれど彼女が私の中にいたことは確かだし、だとすれば私の中に閉じ込めてしまっていたのもおそらく本当だろう。
しかしこうして出てこられたのだ。さっさと私から離れていってしまえばいいのに、と思うものの、アラスティア様は一向にそうしようとしない。よほど怒っていらっしゃるのだろうか――
黙ったままのアラスティア様に、私は恐る恐る問いかける。
「あの、まだ何か……?」
「言ったでしょ? あたしはあんたに力を吸われたって」
確かに言っていた。そのせいで無理やり外に出てくることができなかったのだろう。
しかし先日、ようやく道が開いた。そして今日、女神様は出てくることができた。これにて一件落着――という流れのように思うのだが。
「で、でも、こうして出てこられたってことは……」
「そうね、出てこられたわ。でもこの姿は、ようやく開いたほっそい道を通るために出涸らしの力で作り出した、謂わば仮の姿。あたしの本体は、まだあんたの一番奥に閉じ込められてる。本当の意味で外に出るためには、まだまだ力が足りないのよ!」
――女神様の口から告げられたのは、思ってもみなかった事実で。
本体は私の中に閉じ込められたまま。つまりはまだ、アラスティア様は私から離れることはできないらしい。
「そ、そんな、私は閉じ込めているつもりなんて……!」
「分かってるわよ、落ち着きなさい。閉じ込められてるあたしの“本体”がある程度力を取り戻すことができれば、ぜーんぶ解決よ。力づくで外に出てやるわ」
ふふん、と鼻で笑って女神様は私の眼前に指を突きつける。そして「あんたがやることは一つ」と力強く言った。
「力を使いこなせるようになりなさい。そうすれば体の奥――あたしの本体が眠っているところまで、女神の力を運ぶことができるようになる。空っぽになった本体に女神の力が溜まれば、あたしの力も回復するはずよ!」
――それはすぐにできることではない。力を使いこなせるようになるなんて、一体何年先の話になるだろう。それまでずっと、アラスティア様は私の中にいて、先ほどのように干渉してくるのだろうか。
アラスティア様は力がないから外に出て来られないのだと言った。それなら、外から女神の力をもらうのは解決方法にはならないだろうか。
「大聖女コレット様から女神の力をわけていただくのは……」
「複数回やってダメだったでしょうが」
「うっ」
痛いところを突かれて私は押し黙った。
そうだ。私は本来なら一度で済む女神の力継承の儀を、複数回受けている。それでもアラスティア様の声は聞こえてこなかった。彼女の声が聞こえるようになったのは――私が多少なりとも力を使えるようになってからだ。
「いい? 外から力をもらっても、結局はあんたが回路を開いてくれなきゃ、あたしの本体が閉じ込められてる奥深いところまで力はろくにこないのよ。無理やり吸い上げればあんたが死ぬわ」
つまりは私が女神の力をうまく体全身に巡らせられるようになってはじめて、アラスティア様の許まで力が届くということらしい。
だめだ。完全に他の道をつぶされた。私が女神の力を使いこなせるようになる以外、アラスティア様を解放して差し上げる方法がない。
「修行よ、修行」
アラスティア様は途方に暮れる私の肩に腰かける。そしてつんつん、と小さな指先で右頬を突いた。
「昔の聖女は聖地を巡って修行していたみたいよ。いいわね、祈りを捧げるためにまずは聖地を探しなさい」
「そ、それで修行になるんですか……」
祈りを捧げて力が使えるようになるならいくらでも捧げよう。けれどそれだけで力を使いこなせるようになるとは到底思えなかった。――何度だって言うが、私は大聖女様から直々に複数回力を授かってもダメだったのだから。
「つべこべ言わない! 断れると思ってるの?」
耳元で叫ばれて、思わず顔をしかめた。
断れるはずもない。それに力を使いこなせるようになるという目標は、女神アラスティア様の存在がなかったとしても掲げていただろう。目指すゴールは同じ。そう考えれば、断る理由もない。
――突然の女神様の登場にうろたえてしまったが、私がすることは最初から決まっていたのだ。そう思うしかない。
私は一度深呼吸をして、それから頷いた。
「が、頑張ります」
「よろしい」
満足したように頷くと、アラスティア様は消えてしまった。私の中に戻ったのだろうか。
突然現れた女神様。彼女の口から語られた、この世界の、そして聖女の成り立ちの真実。正直すべてを信じているわけではない。けれど今はもう、疑うよりも行動するしかない。このままアラスティア様に頭の中で好き勝手騒がれては、日常生活にも支障が出る。
腹を括ったところで、何かを考え込むように顎に手を当て、俯いているエデュアルトに気が付いた。
「エデュアルト?」
思わず声をかける。
ハッと我に返った彼は、ぎこちなく微笑んだ。
「あ、あぁ、いや、大変なことになったな……」
様子が少しおかしいように思えたが、自分が専属契約を結んだ聖女がその身に女神を閉じ込めていた、なんて事実を知れば途方に暮れるのも無理はない。彼はとことん運が悪い。
これはいつ契約を打ち切られても文句は言えない、なんて思いつつ、頭を下げた。
「巻き込んでしまってごめんなさい」
「いや、いいんだ。オリエッタが気にすることじゃない」
相変わらず優しい言葉をかけてくれるエデュアルトに、ますます萎縮してしまう。いっそ罵ってくれた方が気が楽なのに、とは思うものの、それも私の我儘だ。
出発の馬車は明日の朝。それまでしっかり体を休めるように言って、エデュアルトは部屋から退室した。
『あんた、オリエッタっていうの』
脳裏に響く声。そういえば自己紹介がまだだったと思い出し、私は虚空に向って頭を下げる。
「聖女のオリエッタ・カヴァニスです。先ほどの彼は、私の専属騎士を務めてくれているエデュアルト・エッセリンク」
『あぁ、あの騎士、やけに竜臭かったわね』
「お、お分かりになるんですか?」
思わず背筋を伸ばす。竜臭い、という表現が若干気になったが、つまりそれはエデュアルトから竜の気配を感じたということだろう。
アラスティア様は私の中で、尖った声を上げた。
『あたしを誰だと思ってるのよ。女神よ?』
確かに女神様相手に失礼だったかもしれない。呪いを解く力の源である女神様からしてみれば、竜の呪いを嗅ぎつけることなんて赤子の手をひねるよりも簡単だろう。
気を悪くさせてしまったようなので、「申し訳ありません」と謝罪を入れてから問いかける。
「エデュアルトにかけられた呪いを完全に解くことはできるんでしょうか?」
数秒、間が空いた。
『……かなーり深い呪いみたいだから、どうかしらね』
――女神様ですら考えるほど強い呪いだったとは。けれど確かに、竜殺しの大罪を犯した本人だけでなく末代まで呪うなんて、さぞや竜の怒りは深いものなのだろう。それに親から子へ呪いが受け継がれるごとにエッセリンクの血と呪いはより深く結ばれ、もはや一体化してしまっているのかもしれない。
専属騎士になってくれたお礼に、遠い未来で竜の呪いを完全に解いてあげることができたら――なんて密かに考えていたのだが、難しいかもしれない。
落ち込む私に、
『まぁ、せいぜい愛しの彼の呪いを解いてあげるためにも、早く力を使いこなせるようになりなさい』
アラスティア様はからかうように言った。
――愛しの彼って、そんな!
「そ、そんなんじゃありません!」
大声を上げて否定する。
確かにエデュアルトに漠然とした憧れのようなものを抱いていることは否めないが、それは前世でいう異性アイドルに向ける感情と酷似している。魅力的な人だし、ときめくし、ついつい頬を赤らめてしまうこともあるけれど、それはそれ、これはこれ。エデュアルトとソウイウ関係になりたいという邪な想いは一切抱いていないし、そもそもそんな想いを抱くことすら私には畏れ多くて――
ぐるぐる考えていたところに、部屋の扉がノックされる。思わずヒッ、と小さな悲鳴を上げれば、アラスティア様がさも愉快というように笑った。
「オリエッタ、どうかしたか? 大声が聞こえたが……」
扉をノックしたのは想像通りエデュアルトだった。先ほど叫んでしまったから、きっと心配して様子を窺いに来てくれたのだろう。
その心遣いはとても嬉しいが、今は一番顔を合わせたくない人物だ。私は扉から数歩後ずさりをしながら答える。
「なんでもないわ、大丈夫! アラスティア様とお話していただけ!」
大丈夫と言われた手前、強引に入ってくることは真面目なエデュアルトにはできないだろう。
耳を澄ませて、扉の前から足音が遠ざかっていくのを確認する。隣の部屋の扉が閉まった音に、ほっと息をついた。
(アラスティア様が変なことをおっしゃるから……)
私の中に閉じ込めてしまった女神様と、これからうまくやっていけるだろうか。
大きな不安に押しつぶされそうになりながら、その日は気絶するように眠りについた。




