01:万年聖女候補生
――この世界では、前世の記憶をもって生まれた“前世持ち”は、女神から力を授かり人々に奉仕する“聖女”になる資格がある。
私、オリエッタ・カヴァニスは“前世持ち”だ。物心ついた頃には前世の記憶が薄ぼんやりとあった。
幼い頃から度々変な言葉を口走る娘に、母さんと父さんは“前世持ち”ではないかと疑い出し、私が五歳を過ぎても魔法を使えなかったのを見て確信したらしい。自分たちの娘は聖女になる資格がある、と。
“前世持ち”は前世の記憶と引き換えに、この世界に産まれた者であれば皆授かっているはずの“魔力”を持っていない。だからこそ、魔力とは違う女神の力を受け入れる器になれる――というのがこの世界の中心であるナディリナ教団のトップ、大聖女コレット様のお言葉だ。
この世界は女神ナディリナの加護を受けており、世界中の人々が女神ナディリナを信仰している。その信仰の中心にあるのがナディリナ教団。そして女神ナディリナの代理として知恵と力を授かったのが大聖女コレット様であり、女神からの恵みを世界各地に与える手段が“聖女”だ。
女神から力を授かった“聖女”は、その身に宿した聖なる力で人々を癒し、穢れた大地を浄化する――
“聖女”を家族に持てば教団から一生援助を受けられ、生活に困らないという。だから私が“前世持ち”と判明したとき、母さんも父さんもそれはもう喜んだ。そして教団に私の存在を知らせて、未来の聖女を育成するコレット大修道院へと送り込んだのだ。
それが今から七年前のこと。その年初めての雪が降った、肌寒い冬の日だった。
両親からの最後の贈り物であるコートを着て、シスターと手を繋ぎ、私は遠ざかっていく両親の背中をずっと見つめていた。彼らも別れを惜しむように何度か振り返り、幼かった私はその度に手を振って――
「――エッタ! オリエッタ・カヴァニス!」
は、と意識が浮上する。
机に突っ伏していた顔を上げれば、素晴らしい指導者と名高いシスター・リュクレースが迫力ある笑顔でこちらを見下ろしていた。
「お目覚めかしら、聖女候補生オリエッタ」
私は慌てて立ち上がる。くすくすと背後から笑い声が聞こえた。
あぁ、恥ずかしい!
「も、申し訳ありません! シスター・リュクレース!」
机に頭突きをする勢いで頭を下げる。そうすれば頭上から小さなため息が聞こえてきた。
「あなたが昨晩遅くまで補習を受けていたのは知っています。けれど聖女にとって、ナディリナ教の成り立ちを理解することはとても大切なことです」
「……はい、分かっています」
頭を下げたまま頷いた私に、シスター・リュクレースはもう一度ため息をついて離れていった。
シスターが教壇に戻られたのを確認してから、私はゆっくりと座る。背中に突き刺さる数々の視線に、恥ずかしさと居た堪れなさで顔から火が出そうだ。
黒板に書かれた文字を見て、眠ってしまっていた間に二頁ほど進んでいるようだと教科書を捲る。そして取り急ぎ、板書をノートに書き写し始めた。
(これだから、万年候補生は……)
――コレット大修道院に集められた“聖女候補生”は、ここでナディリナ教の歴史や女神の力の扱い方、そして淑女の立ち振る舞いを学ぶ。そしてどこに出しても恥ずかしくない聖女だとシスターに認められた候補生だけが、各地に派遣され聖女の任に就くのだ。
つまりは、聖女として相応しくないと判断された候補生は、いつまで経っても候補生のまま。
――私、オリエッタ・カヴァニスは十歳の頃に大修道院にやってきて、今は十七歳。聖女になるための試験に七年近く落ち続けている、前代未聞の“万年候補生”だ。
「――今日はここまでにしましょう」
シスター・リュクレースのその言葉で授業が終了する。その直後、定刻を告げる鐘が鳴った。彼女はつくづく時間に正確だ。
教壇で授業の後片付けをしているシスターに、私は慌てて駆け寄った。
「シスター! お手伝い致します!」
息を切らして駆け付けた私に、シスターは小さくため息をつく。しかしすぐに苦笑を浮かべて、「お願いね」と今日の授業で使用した資料を渡してきた。
私は自分が万年候補生――劣等生だという自覚がある。そしてシスターたちが私に手を焼いていることも分かっている。だから、常に自分が役に立てそうな場面を探しているのだ。迷惑をかけている分を少しでも取り返すために。
“できること”が少ない分、“できること”は誰よりも先に手を上げてやる。それが癖づいてしまい、しばしば雑用を押し付けられることもあった。それでも「ありがとう」と言われれば、ほんの少しではあるものの、自分がここにいる意味を見いだせるような気がして――
「オリエッタ」
図書館へ資料を戻し、人影が少なくなった教室へ戻ってきたところ、背後から肩を軽く叩かれる。振り返れば、友人のガブリエルがこちらにノートを差し出してきていた。
「はい、あなたが寝ていたときのノート。一応見るでしょ?」
「あ、ありがとう」
ガブリエルは私よりよっぽどしっかりした十五歳。十四歳になってから大修道院にやってきたのだが、つい先日の試験に合格し、春から晴れて聖女となる優等生だ。ちなみに私は落ちた。
私は彼女からノートをありがたく受け取りつつ、彼女にまだ試験合格のお祝いを言っていなかったことを思い出す。
「ガブリエル、試験に受かったってきいたわ。おめでとう」
「ありがとう」
ガブリエルは眉を八の字にして、こちらの様子を窺うように上目遣いで笑う。優しい彼女は、万年候補生の私を気にかけてくれていた。
自分で弁解するのも悲しい話だが、七年間授業を受けているだけあって筆記試験の成績は上位だ。先程の授業で眠ってしまったのも、遅くまで補習があって疲れていた上、過去すでに受けた授業で正直退屈だったから。
筆記試験は成績上位なのに、なぜ万年候補生なのか。それは――女神の力を授かっているはずなのに、その力を使えないのだ。まったく。これっぽっちも!
「昨晩遅くまで実技の補習を受けていたの?」
「そう。でもなーんにも成果はなし。さすがは万年候補生ね」
昨晩はコレット大修道院にきたときからお世話になっている心優しいシスター・イネスに長時間付き合ってもらったが、笑ってしまうぐらい一切成果がなかった。
最初は力を使えない私を見て、うまく女神の力を受け継げなかったのではないか、とシスターたちは首を傾げた。それから何度か、コレット様に時間を割いて頂き継承の儀を繰り返し、コレット様側としては他の聖女候補に力を授けたときと変わらない“手応え”を感じたという。実際私も、自分の中に温かな何かが入ってくるような感覚を、継承の儀の度に感じている。
しかし――未だ、私は女神の力を使うことができない。
私のことを思ってか、表情を暗くしたガブリエルに問いかける。
「ガブリエルは次の春から聖女に?」
「えぇ、一応はね。記念すべき第二六〇期生よ」
聖女になるための試験は夏と冬にそれぞれあり、夏に合格した者は秋に、冬に合格した者は春に聖女として“デビュー”する。同時にデビューした者たちは同期生として括られ、教団の催し物などでは何かと一緒になるらしい。
ガブリエルは二六〇期生――つまりはコレット大修道院が聖女育成を始めてから、百三十年経ったということになる。もっとも、聖女を大修道院に集めて聖女候補を育成する、というシステムができたのが百三十年前であって、聖女という存在自体はもっと古くから存在していたようだ。
「同期は?」
「カサンドルとモイーズ」
どちらも聞き覚えがある名前だった。
弱冠八歳で試験に合格した天才カサンドルと、珍しい男性の“前世持ち”であるモイーズだ。どういうわけか“前世持ち”は女性がほとんどで、男性が聖女――聖者になることは滅多にない。百三十年の歴史の中でも数えられる程だという。
「天才少女と聖者が同期なのね! すごい期じゃない」
ふふ、と笑った私の手をガブリエルは勢いよく握って、身を乗り出すようにこちらを見た。その瞳には不安の色が浮かんでいる。
「そう、そうなの! だから不安で……比べられたら絶対に敵わないもの」
そういう彼女も早々に試験をパスした秀才だ。私からしてみれば、天才と聖者に負い目を感じる必要はないように思う。
ガブリエルの手を握り返して、私は笑顔で言った。
「ガブリエルなら大丈夫。自信持って」
「ありがとう。オリエッタもしっかりね」
恥じ入るように頬を赤らめて、控えめに笑うガブリエルは美しい少女だ。聡明で、女神の力を使いこなす彼女は、きっと多くの人から愛される聖女になるだろう。
「――ガブリエル様」
廊下で話し込んでしまっていた私たちに、黒髪の騎士が声をかけてくる。ガブリエルの名を呼んだその騎士に、私はピンときた。
「彼が、ガブリエルの専属騎士?」
――専属騎士。それは各地を巡る聖女を守るために作られた制度だ。
専属。その単語の通り、一人の聖女に一人の騎士がついて護衛することが定められている。騎士は聖女に身も心も捧げ、危険とあらばその命もいとわない――と、そこまで夢に溢れた崇高な関係ではない。早い話がナディリナ教団が各国から雇っているボディーガードだ。
かつては聖女の専属騎士となることは大変な誉であり、志願者も多かったようだが、最近では専属騎士の手配に教団が苦心していると聞く。
(専属騎士の分母は多くなる一方で、昔ほど珍しくもなくなったし、母国で名を上げたいなら騎士団に入った方がよっぽど近道だものね……。それにボランティア同然の給料だとか)
あけすけに言えば専属騎士は聖女に、そして教団に都合の良く消費される制度になってしまっているのだ。
専属騎士の称号を得る騎士が増えればそれだけ希少価値がなくなり、母国で名を上げるための踏み台として利用する騎士も減った。もらえる給料も雀の涙程であればなおさらだ。
今時の優秀な騎士は、聖女の専属騎士だなんて“付属品”にはならずに、母国の騎士団で堅実に研鑽を積むのだと聞いた。
「えぇ、まぁ、そうね」
どうも煮え切らない様子で浅く頷くガブリエルは、自分の専属騎士との距離をはかりかねているように見えて。
巷では乙女からの憧れを一心に受けているらしい専属騎士という制度も、現実はこんなものだ。ある日突然引き合わされて、明日から一日中一緒です、などと命令されればどちらも戸惑うに決まっている。
「ガブリエル様、シスターがお呼びです」
重ねて言われたガブリエルは、観念した様子で専属騎士と共に私の許から去っていく。遠ざかっていくその二つの背中を、私はぼんやりと眺めていた。
(こうして友人を見送るのも何度目かしら……)
“前世持ち”は何歳であろうとどの時期であろうとコレット大修道院に入ることができる。それこそ前世持ちだと発覚したばかりの小さな子から、外の学校を卒業してから入ってくる成人まで、年齢層が広い。
出会いは常に絶え間なく訪れ、別れは年に二度訪れる。新しい友人たちと出会い、優秀な彼女たちが旅立っていく背中を何度も見送った。
友人たちの門出は喜ばしいことだ。しかし私より後に入った候補生が、私より先に聖女として各地へ羽ばたいていくのを見ると――仄暗い気持ちが少しも湧いてこないとは言えない。
(前世で悪いこともしてないし、こんな劣等生でもなかったはずなのに……)
前世の記憶は既にかなりぼんやりとしているが、今世で報いを受けるような悪事は働いていないはずだ。それなのに、どうして。
――なんて、きっと大層な理由はない。ただ私が女神の力を目覚めさせられないだけだ。
とぼとぼと重い足取りで修道院の廊下を歩く。ガブリエルから借りたノートを胸の前でぎゅっと抱きしめて――ふと、背後から呼び止められた。
「オリエッタ、少しよろしいですか」
振り返る。そこには昨日も私の補修に付き合ってくれたシスター・イネスが穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
彼女は私にとって第二の母親のような存在だ。出来の悪い聖女候補生を決して見捨てることなく、辛抱強く付き合ってくれている。
私は気持ち駆け足でシスター・イネスに近づいた。
「コレット様がお呼びです」
――ぴたり、と足が止まった。シスター・イネスの表情から笑みが消えている。
破門だ。とうとう見限られてしまったのだ。直感的にそう思った。
私が“前世持ち”だと分かったときの父さんと母さんの笑顔が脳裏に浮かんで、さぁっと顔から血の気が引く。どうしよう。両親は、聖女になり損なった娘を再び家族として迎え入れてくれるだろうか。
動揺のあまりすっかり固まった私の手を、シスター・イネスが掴む。そしてそのまま私を引きずるようにして歩き出した。
(私には、才能がなかったんだわ)
俯き、足元を見つめながら思う。
頑張って勉強したところで女神の力は使いこなせず、運動神経だって人並みだ。こんな私が聖女候補になれたこと自体が奇跡だったのだと諦めるしかない。
息を大きく吸い込む。顔を上げる。
大修道院から出ていく前に、今までお世話になってきたシスターたちにしっかりとお礼を言いたい。そして通常であれば一度で終わるはずの女神の力継承の儀を何度も行ってくださった、コレット様にも。
シスター・イネスに連れられて、私は礼拝堂へとやってきた。ここで、恐れ多いことにコレット様が私を待ってくださっていた。
ステンドグラス越しの陽の光を浴びるコレット様はとても神々しい。聖母を思わせる慈悲深い笑みを浮かべ、コレット様は万年候補生に破門を言い渡す――
「聖女候補オリエッタ・カヴァニス。あなたに最後のチャンスを与えます」
「……え?」
――と、思いきや、想像していたものとは別の言葉をかけられた。
最後のチャンスって、どういうこと?
首をかしげた私にコレット様は視線を伏せる。とても苦しげな表情だった。
「ごめんなさい。本当であればあなたが力を目覚めさせるそのときまで、大修道院に置いてあげたかったのだけれど……一部から、目の出ない候補生を切らなければどんどん資金を圧迫すると反対の声が出て……」
――どうやら万年候補生の私を破門してコストカットしろという声が一部から出ているようだ。しかし悲しいかな、その声は当然といえた。
女神の力は立場や身分関係なく広く平等に与えられなければならないという考えから、教団は聖女の活動に対する謝礼を一切受け取っていない。賄賂の類はもっての外。貴族も平民も女神の前では皆平等だ。
それならば教団の活動資金はどこから捻出されているのか。それは――各国からの多大な寄付金だ。
寄付金によって教団、そして聖女育成の場であるコレット大修道院は運営されている。それ故、無駄なコストはカットしなければならない。無駄遣いをすれば教団が資金難になってしまうし、寄付者も自分の寄付金が無駄なことに使われているとなればいい気はしないだろう。
――そう、だから才能のない万年候補生は真っ先に切るべき存在なのだ。私の生活費はもちろんのこと、私がコレット大修道院に身を置いている以上、毎年家族に多額の支援金が支払われているのだから。
「い、いえ、全ての原因は私の不出来にあるので……」
「そんなことを言わないで、オリエッタ。あなたがどれだけ努力をしてきたか、私は知っています」
コレット様のお言葉をありがたく思う一方で、胸が痛む。
私は疑いようのない劣等生だ。できない子の方がかわいい、なんて言葉があるが、コレット様にとって、そしてこの大修道院のシスターたちにとっての私は間違いなくそんな存在だった。
何度も女神の力の継承の儀を行って頂いたり、シスターたちに夜遅くまで補習に付き合ってもらったり。劣等生であるが故に、“特別扱い”されていた。
申し訳なさと劣等感でどんどん背中が丸まっていく。視線も床に落ち、そのまま謝罪のために頭を垂れようとして――
「ですから、あなたに最後のチャンスを与えようと思います」
は、と顔を上げた。
そうだ、コレット様は先ほど全く同じことを仰った。最後のチャンス、と。
「もしこの実習をもってしてでも女神の力を目覚めさせることができなければ――破門です」
――破門。想像していた言葉なのに、いざ告げられると胸に深く突き刺さるようで。
ぐ、と体の横で拳を握りしめる。そしてばくばくと音を立てる心臓を落ち着かせるように一度深呼吸してから、意を決して問いかけた。
「私は何をすればよろしいのですか?」
「シスター・イネスと共にアウローラ王国のエッセリンク家に向かってください」
アウローラ王国のエッセリンク家。初めて聞く名前だった。
流石に国の名前は知っている。アウローラ王国とは、豊かな自然と資源、そして統率のとれた騎士団を所有する小国だ。王都は花の都と呼ばれており、若い女性の多くが一度は訪ねてみたいと思っているのだとか、どうとか。
「エッセリンク家?」
「古くから続く騎士の家です。末代まで竜に呪われています」
末代まで竜に呪われた騎士の家。
――嫌な予感がする。
「現当主の嫡男、エデュアルト・エッセリンクが呪いによって竜の姿に変わってしまったと、救援要請がナディリナ教団に届きました。聖女候補オリエッタ、あなたには騎士エデュアルトの呪いを解いてもらいます」
――竜の呪いを解け、だなんて、失礼ながらコレット様は私を破門する気満々なのではないか、と恨めしく思ってしまった。
呪いを解くのは確かに聖女の仕事だ。しかし聖女の中でも特に力の強い者が任される上級任務であって、私のような聖女候補生に実習として振る任務ではない。いくらシスター・イネスがついてきてくださるとはいえ、無謀すぎる! 女神の力に目覚めるどころか、竜になった呪われし騎士に食べられてしまうのでは――
最悪の場合を想定してしまい、私はぶるりと身を震わせた。しかし聖女が大聖女様からの命令に背くことなどできない。それにこれは散々迷惑と心配をかけた万年候補生に与えられた“最後のチャンス”なのだ。
ちらりとコレット様の様子を上目遣いで窺う。そうすれば青の美しい瞳と目があった。
「あなたに女神ナディリナの御加護がありますように」
コレット様は私の目を真っすぐ見つめて、祈るような声で言う。その声は、私の身を案じてくださっているように思えて。
万年候補生で、劣等生。それは事実だ。しかし私が“前世持ち”だということもまた、事実だ。
聖女になれば多くの人を救える。一生生活に困ることはない。家族だって豊かな暮らしができる。いいこと尽くしだ。この大修道院にやってきてからずっと、聖女になるために努力してきたのだ。だから――最後に足掻けるだけ足掻いてみよう。
「確かに、拝命いたしました」
――数日後、エッセリンク家の使者が私とシスター・イネスを馬車で迎えに来た。アウローラ王国の国章が刻まれた立派な馬車に乗り、大修道院を出る。
それは良く晴れた朝のこと。七年ぶりの“外の世界”だった。