56 第一王子の独白⑤
気が付くと、俺は戴冠式が執り行われる神殿ではなく、処刑台の上で跪いていた。
わっと喚声が聞こえる。目を開くと、俺の目の前には民衆たちがまるで箱に詰められたようにぎっしりと並んで壇上を見上げていた。
ぞくりと背筋が凍った。
彼らの瞳には一様に憎悪、憤怒、侮蔑――どす黒い負の感情が燃えるように宿っていたのだ。
恐怖。
それらの印象はただそれだけだった。
シャーロットの処刑の日を思い出す。
あの日は今日みたいに今にも雨が降りそうな曇り空の日だった。
俺とロージーは王族専用の席から観劇するみたいに葡萄酒を飲みながら優雅に眺めていたっけ。
民衆は極悪非道な公爵令嬢に怒りわめき、怒号が飛び交い、石やゴミが舞って舞って、俺たちはそれを笑いながら見ていた。
あの女の最期はそれはもう惨めなもので、俺はやっと溜飲が下がって清々しい気分になったのを覚えている。
あぁ、やっと旧時代の象徴のような悪役令嬢は消え去った。これからは、正しい者たちが勝つ正しい世界が開けてくる、と。
――ゴツ、
拳大の石が額に当たって俺ははっと我に返る。つつと生暖かい血が皮膚を伝った。
「この反逆者!」
「国王陛下を返せ! この悪魔!」
「公爵令嬢もよ! お前のせいで無実のヨーク家がなくなったじゃないの!」
「可哀想に! 公爵令嬢はいつもオレたちのことを気に掛けてくれていたんだ!」
「なにが王太子だ! 平民の血が入っているくせに!」
「思い上がった愚かな平民を殺せ!」
「そうだ! 殺せ!」
「平民を殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
俺は彼らの悪意を全身に浴びて、総毛立った。幾多の民草の憎しみの塊が矢のようにぶすぶすと俺に突き刺さる。
それでも、俺はまだ眼前の光景に意識が追い付かなかった。
コイツらはなにを言っているのだ? 反逆者? 無実のヨーク家?
俺が、平……民…………?
「謹聴! 謹聴!」
カンカンと鐘の音がして、大衆は水を打ったように静まり返る。
「これよりアーサー・ドゥ・ルイス・グレトラント国王陛下が登壇する! 皆の者、心してお迎えするように!」
わっと歓声が上がった。俺のとは違う、爽やかな喜びの声が重なる。あまりの差異に愕然とした。
俺に平民の血が入っていて、アーサーは二国間の王族の血が入っているからなのか?
そんなの、理不尽だ。
俺は国民のために、血筋で決まらない世界を作り上げようとしているのに。
アーサーが登壇すると民衆は再び沸き立ったが、アイツが手を上げて制すると途端に静まり返った。まるで良く躾けられた犬どもだなと、滑稽に思う。
……だが、本来なら彼らを躾けるのは国王の俺のはずだったのだ。
今では手枷足枷を付けられて、緊縛されて、跪き、固定された頭の上には分厚い刃。全くおかしな話だと、俺は自嘲した。
アーサーの力強い声が朗々と広場に響く。
アイツはもう王様気取りで、白地に金の刺繍がふんだんに施されているきらびやかな衣装に、国王だけが許される真紅のマントを羽織っていた。
「この者――エドワード・グレトラントは、奸計を用いてヨーク公爵家を取り潰し、更には一族皆殺しにした! これは紛うことなき国家を脅かす重罪である! ……可哀想に、シャーロット公爵令嬢は婚約者であるこの者に公然と浮気をされた挙げ句、あろうことか無実の罪を着せられて処刑台に送られてしまった。ヨーク公爵も等しく、あるはずのない罪を捏造されて無念にも殺されてしまった。ここに、哀悼の意を表す」
アーサーはおもむろに胸に手を当てて、頭を垂れた。民衆も王に倣って深々と頭を下げて、しばらく黙祷を捧げる。ぽつぽつと雨が降り始めた。
少ししてアーサーはきりりと顔を上げて、
「全ては、この大罪人エドワードが原因である! この者は男爵令嬢と婚姻を結びたいが為に、自身の身分を利用して配下の貴族たちにヨーク公爵家の虚偽の犯罪の証拠作りを強制させ、公爵家の者たちを死に至らしめた。この卑怯な男のせいで、王家の忠臣であるヨーク家は断絶した。……更にこの者は、公爵令嬢との婚約破棄を反対する国王陛下や王妃殿下、そして第二王子殿下まで葬り去ったのだ! 実の家族を! これは絶対に許されるはずがないっ!!」
俺は目を白黒させた。アーサーの言っていることがすぐには理解できなかった。
なにを荒唐無稽なことを言っているのだ、この男は。
馬鹿げている。
俺がロージーや令息たちから聞いた話は、たしかにシャーロットやヨーク家が俺の婚約者という立場を盾に取って傍若無人に振る舞って、加えて犯罪まで……。
父上たちだって、何者かに暗殺をされて…………いや……………………。
突如、さっきのロージーの顔が脳裏に浮かんだ。笑顔が消えた光のない冷たい瞳。俺を蔑む歪んだ双眸。
始めから演技だった。俺を欺くため、俺をこうやって陥れるための芝居。
全部が偽りで、俺は周囲の全てから騙されていたのか――…………。
「そうだーっ!!」
群衆の奥のほうから出し抜けに男の声が上がった。それを皮切りに、声の波は大きくなる。
「エドワードを絶対に許すな!」
「王族の振りをした平民が!」
「犯罪人を殺せーっ!」
「殺人犯を殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
「殺せ!」
声の波濤は俺を飲み込むように急激に向かって来て、その重圧に押し潰されそうだった。
雨が頬を打ち付ける。
胸が苦しい。
じわりと涙が出てきた。
……………………、
……………………、
「……ふ、ふふっ…………」
俺は思わず笑みを漏らす。おかしくてたまらなかった。
今日は戴冠式。俺の一生に一度の晴れ舞台なのに、朝から天気が悪くていよいよ雨まで降ってきた。全く、ついていない。折角の戴冠式なのに。未来に羽ばたく華々しい自分の姿を家族にも見てもらいたかったのに。そして、未来の王妃である婚約者にも見てもらいたかったのに…………。
「これより、犯罪人エドワード・グレトラントを処刑するっ!!」
舞台の熱気は最高潮になる。
静かに瞳を閉じた。
間違っていたのは俺のほうなのだ。
世間知らずで、なのに世界を分かったような顔をして、あたかも自分で「正しい道」を選択したように見えて、本当のところは操り人形のように誰かの掌の上で上手に踊っていただけなのだ。
なんて、愚かなのだろうか。
悪意の塊のような刃が首筋に迫る。
そのとき、やっと気付いた。
俺は……シャーロットに……なんてことを――…………………………。




