45 男爵令嬢の断罪
「そう言えば、なにか勘違いをしていらっしゃる男爵令嬢がいるみたいね?」
わたくしの声がパーティ会場内の隅々まで響き渡る。
音楽隊は静寂を奏でて、第一王子の発言に騒然となっていた貴族たちは息を殺すようにして、再びしんと静まった。
わたくしは卒然と襲ってきた極度の緊張で身体が強張った。
顔は火照って手足は逆に冷たくなる。扇を持つ手が震えそうになるが気合いで体勢を持ち直して、嫌な汗と熱を吹き飛ばすように悠然と自身を扇いだ。
これでもう、後戻りはできない。
ここで自分が男爵令嬢を断罪するとなると、わたくしは完全に第一王子と共謀して水面下で動いていたと肯定することになる。そうなると彼との婚姻からも逃げられなくなるだろう。
ハリー殿下とは、もう……。
でも、自分でそう選択したのだ。わたくしは前回の人生の雪辱を果たす、と。そのためには多少の犠牲は我慢しなければならない。
今は絶対に退いてはならない瞬間なのよ……シャーロット!
ロージー・モーガン男爵令嬢がすすり泣きをピタリと止めた。
「勘違い……?」
つい先ほどまで悄然としていた彼女は打って変わって、憎悪の帯びた物凄い形相でわたくしを睨み上げた。わたくしも負けじと蔑んだ目で彼女を見下す。
「そうよ。王子様と昵懇だからって自分まで王族気分の哀れな男爵令嬢さんのことよ」
「は?」
男爵令嬢のいつもの喧しいくらいの甲高い声音はすっかり失われて、どすの利いた声を放った。あら、ついに本性が現れちゃったみたいね。怖いわ。
「そうよ。あなた、本気で王太子妃になれると思っていたの? なんて滑稽だこと」と、わたくしは挑発するようにくすくすと笑う。
「はぁっ!? あんたなんか殿下から微塵も愛されてもいないのに、よく偉そうなことが言えるわね! あんたこそ滑稽だわよ!」
男爵令嬢は頭に血が上っているのか、身分差などお構いなしにわたくしに向かって吠えた。
「あなた、第一王子殿下がおっしゃっていたことを聞いていなかったの? 結婚と恋愛は別ですって。そういう分別がないから選ばれなかったのよ。もっとも、最初からマナーのなっていない男爵令嬢なんて王族のお相手には相応しくないけどね」と、わたくしが一蹴すると周囲の貴族たちも嘲笑を浮かべた。
「あんたっ……!」
「それに令嬢は婚姻まで純潔を守らないといけないのよ。あなたは……ええと?」わたくしは辺りを見回す素振りをして視線を取り巻きの令息たちに移した。「この会場に少なくとも3人以上は関係を持っている殿方がいるようね。そのような令嬢は王太子妃に相応しくないわ。汚らわしい」
「はっ!」男爵令嬢は鼻で笑う。「あんたなんか第一王子にも他の男からも誰からも全然相手にされてないじゃない! それで苦肉の策で第二王子に縋ったんでしょう? あんた、王子だったら誰でもいいんでしょ。公爵令嬢様のクソみたいなプライドが満たされるものね!」
「ヘンリーは」
わたくしが反論する前に、出し抜けに第一王子が口を挟んだ。
「シャーロット嬢の護衛を兼ねて側にいてもらったんだよ。彼女は王弟派から命を狙われているからな。モーガン家もそれに一枚噛んでいるだろう? だから余計に心配だったんだ」
「「えっ……?」」
わたくしとハリー殿下は予想外の発言に驚いて顔を見合わせた。殿下の様子を見ると、第一王子の言葉は寝耳に水のようで目を白黒させていた。
わたくしは怒りを込めて小さく第一王子を睨む。
彼はなにを勝手にのたまっているのかしら。なんだか、彼の都合いのいいように話がどんどん進んで行ってしまっている気がするわ。
……というか、彼自身がそのために秘密裏に行動していたということ? 男爵令嬢とは愛し合っているんじゃなかったの? なんでこんなことをするの?
頭の中は疑問符でいっぱいだ。第一王子には問い詰めたいことが沢山ある。
でも、確かなのはわたくしが進む道はもう一つしかないわ。
男爵令嬢の断罪。
今はそれだけに全てを集中させる……!
「……そういうことらしいわ。残念だったわね、男爵令嬢さん?」と、わたくしは鼻で笑った。
男爵令嬢は顔を真っ赤にさせてわたくしと……第一王子を睨み付けた。彼は彼女を冷ややかに見つめ返す。その黄金の双眸には愛情などはもう微塵も映っていなかった。
「それで、すっかり勘違いをしたモーガン男爵家は邪魔な公爵令嬢を排除しようと奸策を巡らせたみたいね。ご苦労なこと」
「はぁ? それはあんたのほうでしょう? あたしに嫉妬して学園では随分陰湿な嫌がらせをしてくれたじゃない? そんな醜い根性の持ち主が次期王太子妃なんて、そっちのほうが大問題でしょうが。あたしは身勝手な男たちの被害者――逆にあんたは加害者よ!」
「あらあら。そのようなこと、わたくし身に覚えがありませんわ。あなたの妄想ではなくて?」
「嘘おっしゃい! 現にあたしは――」
「シャーロット嬢は学園で男爵令嬢に嫌がらせなど行っていない」ハリー殿下が遮るように声を張り上げた。「公爵令嬢には王家から常に監視を付けてある。彼女は未来の王族だからね。報告書には彼女に疾しいことなどなに一つなかった。証拠も確保してある」
ハリー殿下は一見堂々をしている様子だったが、微かに声音が震えていた。耐えるように右手を強く握りしめている。
殿下も、今の状況を理解している。その上で、わたくしの断罪劇に加担してくださっているのだ。この後の二人の別離を承知して……。
胸が詰まった。涙が出そうになる。すぐにでもハリー殿下と一緒にここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだ。でも、わたくしは公爵令嬢で彼は王族。上に立つ者として、無様に遁走なんて許されるはずがない。
「そんなっ――」
「これで分かったでしょう? わたくしの無実は王家のお墨付きなの。――で、それに引き換え、男爵令嬢さんは潔白なのかしらね?」
「なによ!? あんた、多くの男に人気のあたしに嫉妬しているの? 残念ね、女としての魅力はあたしのほうが上だわ! 皆、あたしのほうが可愛いし身体もいいって言っているわ」
男爵令嬢は開き直っているのか自らふしだらな女だと暴露してきて、わたくしは呆れ返った。前回の人生でこんな愚かな人に完敗した自身が情けなさすぎるわ……。
わたくしはすっと軽く息を吸ってから、
「以前、馬車で郊外の別荘に移動しているときに賊が襲ってきたことがあるわ。もちろん護衛が返り討ちにしたけど、調べたら依頼人はモーガン男爵家の商会だったわね。あと、学園でも数人の男子生徒にわたくしを襲わせようと画策していたわね。もちろん計画は失敗したけど……あなた、ご存知よね? なぜか目的地に向かう直前に男子生徒たちが事故で大怪我をしてしまって頓挫したのよね?」
「っ……!?」
男爵令嬢の顔が青ざめた。
「そして、ヨーク家に栽培を禁止されている毒草の苗を送り付けて来たこともあったわ。送り主を見つけることなんて容易だったわよ。脇が甘いのね」
対するわたくしは泰然と構えて余裕だと言わんばかりに微笑んでみせた。今回はヨーク家とハリー殿下で結束してとことん調べ上げたのよ。彼女たちの余罪はまだまだあるわ。
「それで、ある時は学園で第一王子殿下の昼食のスープの中に毒が入っていて、なぜか毒薬の瓶がわたくしの鞄の中に入っていたこともあったわね。あの時はあなたや令息たちがわたくしを犯人に仕立て上げようとしたみたいだけど、証拠がなくて残念だったわね? あれはすぐに王家の監視が回収したんですって。ちなみに監視は犯人が鞄に瓶を入れる瞬間を見ていたらしいわ。果たして、王子殿下に毒薬を盛った真の犯人はどなたかしら? 見つかったらもちろん処刑ですわよね、殿下?」
「当然だ」第一王子が冷淡に言い放った。「シャーロット嬢を暗殺する動きも確認している。お前たちの罪は重いな」
「…………」
「…………」
男爵令嬢も取り巻きの令息たちも青白い顔をして押し黙っていた。周囲の貴族たちのひそひそとした囁き声がぼんやりと聞こえてきた。第一王子の寵愛ぶりから次期王太子妃は男爵令嬢だと踏んでいた者たちは方向転換を考えているようだ。
わたくしは会場内を一通り見回してから、
「そして……モーガン男爵家は秘密裏に大量の武器を買い集めているみたいね。法律では武器の購入は報告義務があるわ。それを怠るということは……一体なにを目論んでいるのかしら?」
にわかに会場内がざわめいた。違法に多くの武器を購入するということは、武力蜂起を企てているということだ。すなわち、王家への反乱である。
幾人かの貴族がそろりと出口へと向かい始めた。しかし、いつの間にか沢山の武装した王宮騎士たちが守りを固めていて、誰一人として逃さない。
「そんなのっ……知らないっ! お……お父様ぁっ!」
男爵令嬢は狼狽してキョロキョロと父親を探した。しかし、モーガン男爵は既に近衛騎士に捕えられていて、彼は絶望した様相で震えながら膝を突いていた。
「王家への反乱を画策する該当の貴族たちの屋敷には今頃国の常備軍が向かっているはずだ。惜しかったな。関わった者は全員処刑だ」と、第一王子が勝ち誇ったように哄笑した。
わたくしは戦慄した。第一王子がそこまで行動を起こしていたなんて衝撃だった。
彼の目的は謀反人たちの一掃だったということ? そのために、男爵令嬢に惚れ込んだ演技を?
彼に……なにが起きたの?
前回の人生でわたくしが死んだあとになにがあったの……?
わたくしは軽く頭を振る。今は考えても仕方ない。自分は粛々と男爵令嬢を断罪するだけだわ。
「第一王子殿下、モーガン男爵令嬢は殿下を籠絡して王家を滅ぼすことが目的だったようですわね。それを逆手に取るなんて、ご慧眼恐れ入りましたわ」
男爵令嬢に止めを刺すために、わたくしは心にもないことを彼に言って一礼する。その姿は、誰がどう見ても信頼し合っている婚約者同士に見えるだろう。
「あぁ、君の協力のおかげで反逆者たちを上手く炙り出せることができたよ。ご苦労だったね、シャーロット嬢」と、彼はニッコリと微笑んだ。わたくしは途端に吐き気がした。
「捕えなさい!」
わたくしは扇をまっすぐに男爵令嬢に向ける。次の瞬間、王宮の近衛騎士たちが彼女を速やかに拘束した。
「離してっ! なにかの間違いよ! 断罪されるのはあの女よっ!! あの女があたしをっ!!」
男爵令嬢は野太い声で泣き叫ぶ。
わたくしは必死の彼女に穏やかな笑顔を向けて、
「モーガン男爵家は第一王子の寵愛を受けているという立場を振りかざして随分いい思いをしたようね? 申し開きは牢屋で役人に言いなさい。ま、証拠は揃っているから無意味だと思うけど」
「このクソ女ぁっ!! ブスっ! 死ねっ!」
「いいこと? 最後にわたくしが貴族の常識を教えてあげるわ。下の身分の者が気安く上の者に話し掛けるのは無礼な行為なのよ。分かったかしら、男爵令嬢さん? ――この女を地下牢へ連行しなさい! 一番下等な部屋でいいわ」
「そんなっ! 違うのっ! 助けてっ! でんっ……アーサー様っ!!」
男爵令嬢はずるずると引きずられるように騎士たちに連れて行かれた。同時に、反乱に加担していたとされる貴族たちも連行させる。
会場は更に騒々しくなった。貴族たちは興奮してそこかしこで今回の件についての議論を始めている。誰しもが今後の立ち回りをどうするか周囲を窺っていた。
わたくしは茫然自失と会場内を見渡す。脱力感でいっぱいで今にも倒れそうだった。
終わった……。
第一王子と一緒になって男爵令嬢を断罪することは、わたくしとハリー殿下の婚約の内定も終わったということだ。
今日からシャーロット・ヨーク公爵令嬢はエドワード・グレトラント第一王子の正式な婚約者になった。
やっと憎きモーガン男爵令嬢に報復ができたというのに、わたくしの心は全く晴れなかった。
むしろ、雨風が強くなった気がした。
「シャーロット嬢」
第一王子は優しい笑顔を向けながら手を差し出す。
「どうやら疲れているみたいだね。少し休憩しようか」
わたくしは震える指先を彼に伸ばした。
「はい、殿下」
そして二人で王族専用の控室へと歩き出す。
ハリー殿下の顔は敢えて見ない。