41 第二王子の入学、学園への復帰
「おはよう、ロッティー」
「ご機嫌よう、ハリー殿下」
わたくしはハリー殿下にエスコートされて殿下専用の馬車に乗った。
今日は学園の入学式だ。即ち、ハリー殿下も今日から新入生として通うことになる。わたくしも領地から戻って来て、今日は彼と一緒に学園へ向かうことになっていた。
「…………」
「…………」
わたくしは緊張で身体が凝り固まっていた。久し振りの学園、しかも第一王子とあんなことがあった後なので、なんとなく気後れしていた。
一方ハリー殿下はお会いしたときから終始ご機嫌で、馬車に乗ってからもずっとニコニコしながらわたくしを見つめていた。
「失礼」と、殿下はおもむろに腰を上げてわたくしの隣に座って、
「なっ、なんです――」
そして、そっとわたくしを引き寄せて抱き締めるとぽんぽんと頭を撫でた。
「ロッティーがすっごく緊張しているみたいだから僕が解してあげようと思って」
「わっ……わたくしは大丈夫ですから」
「本当に?」と、殿下はわたくしの額と自身の額を合わせながら言った。
わたくしはみるみる顔が火照る。ち、近いわ……恥ずかしい……。
「ほ、本当です……」
「ふぅん。そうは見えないけど」
「こ、これは、殿下の距離が近すぎるから……」
「なに? もっと近くに来て欲しいって?」と、殿下は耳元で囁いた。わたくしはドキリとして動けなくなった。し、心臓に悪すぎるわ……。
「ヘンリー王子殿下、到着いたしました」
そのとき、馬車の外から殿下の側近が声を掛けた。殿下は軽く舌打ちをして、
「分かった。今行く」と、残念そうに答えた。
「邪魔が入っちゃったね」
「え、ええ……」
わたくしは恥ずかしくてパッと目を伏せて緩む口元を手で覆った。まだ顔が上気して心臓もバクバクと鳴っている。
殿下はくすりと笑って、
「じゃ、行こうか?」と、わたくしの手を取った。
「はい、殿下」
「シャーロット様、ご機嫌よう!」
「ダイアナ様! お久し振りですわね!」
馬車を降りるなり、ダイアナ様が待ち構えていてくれていた。わたくしたちは久々の再会の喜びに抱き合う。彼女とは手紙ではやり取りをしていたが、こうやって顔を合わせるのは数ヶ月振りだ。とっても嬉しいわ。
「アル様から聞きましてよ。婚約おめでとう!」
「ありがとう。まだ、内定ですけどね」
「それでも前進して良かったじゃない。シャーロット様も愛する方と婚約できて嬉しいでしょ?」
「そっ……そうですわね」
わたくしはまたもや顔を赤く染めた。今日は朝から恥ずかしいことばかり言われて、どぎまぎしてばかりだわ。
「じゃあ、僕は代表挨拶の打ち合わせがあるからこれで。ダイアナ嬢、彼女を頼む」
「承知いたしましたわ、王子殿下」
「ロッティー、またね」
「ご機嫌よう、殿下」
「シャーロット様、お身体はもう大丈夫なのですか?」
「私たち、心配しましたのよ」
意を決して教室に入ると、ラケル様、ドロシー様を中心に令嬢たちからわいわいと囲まれた。
「皆さん、本当に心配していましたのよ」と、ダイアナ様が耳打ちをする。
わたくしは学園に復帰したら鼻つまみ者になっているかと思っていたのでほっと胸を撫で下ろした。
「皆さん、心配してくださってありがとうございます。ご覧の通り、すっかり回復いたしましたわ」と、わたくしは感謝の意を込めてカーテシーをした。わっと喝采が起こった。
「シャーロット嬢、元気になって良かったよ」
聞き覚えのある声に振り返ると、アーサー様がこちらに向かって来ていた。
「アーサー様、療養している際はお見舞いの品をありがとうございました」
「いやいや。あれくらいどうってことないさ。それより、もう登校して大丈夫なのかい?」
「えぇ。もう走り回ることだってできますわよ?」と、私が冗談ぽく言うと、
「それは……見てみたいかもしれないな」彼はくつくつと笑って「心配しなくても平気そうだね」
「はい、ありがとうございます」
アーサー様は領地で静養しているわたくしを心から気遣ってくださっていた。王弟派とは確執だらけだけど、彼は悪い方ではない……と思う。婚約は断ることになるけど、彼の時代の王弟派とは上手くやれるといいわ。
そのとき、にわかに教室内がざわついた。
入口のほうを見ると、第一王子とモーガン男爵令嬢、そしてその取巻きの令息たちが入って来たところだった。
わたくしは思わず身体を強張らせた。卒然と図書館での出来事が思い起こされて嫌な汗が出た。
第一王子と目が合った。彼はわたくしを真正面から見据えて、そしてゆっくりとこちらへと向かって来る。
逃げたい。
でも、ここで自分が彼を避けるような素振りを見せたら貴族たちにまたあらぬ誤解を与えてしまうわ。
「シャーロット様、大丈夫よ。あたくしが側にいるわ」と、ダイアナ様が隣で励ましてくれた。
わたくしははっと我に返る。そうだわ、今回の人生は前回と違って、頼もしい味方たちがいるのだったわ。大丈夫、わたくしはもう一人ではないのだから……。
「ご機嫌よう、第一王子殿下」と、わたくしはカーテシーをした。あんなことがあったので屈辱的な気分だけど、彼のほうが身分が高いので仕方ないわね。
「久し振りだな、シャーロット嬢。身体はもう大丈夫なのか?」と、第一王子は心配そうに尋ねた。
本当は心配なんて全然していないくせに。それどころか嫌悪する女が戻ってきて心底うんざりしているくせに。……そんな本音はおくびにも出さずに、わたくしは彼に笑顔を向ける。
「お心遣い痛み入りますわ、殿下。もう完全に回復いたしましたので」
「そうか。それは良かった。図書館で倒れたときは本当に驚いたよ」
そうだったわね、王妃様が作ってくださったお話は、病気で気を失ったわたくしをお優しい第一王子殿下が介抱してくださった、って設定なのよね。これ以上周囲に話の種を与えないためにも、ここは大人しく便乗しておきましょうか。
「あのときは助けてくださって本当にありがとうございます。おかげで治療も手遅れにならずに済みましたわ」
「とんでもないさ。――では、調子が戻ったのなら、来週のパーティーには来てくれるんだな?」
「もちろんですわ、殿下」
来週、王宮で第一王子の誕生日パーティーが行われる。
去年は何事もなく平和に終わったけど、アルバートお兄様の情報によると今年はモーガン男爵令嬢も参加するらしく、しかも第一王子が彼女にドレスをプレゼントするみたいだわ。なにもないといいけど……。
「シャーロット嬢の参加を心待ちにしているよ」と、第一王子はニコリと笑った。だが、目は笑っていない。わたくしのことを牽制するような意味深長な視線を送ってくる。
「恐れ入りますわ、殿下」と、わたくしも微笑み返した。憎しみを心にたぎらせながら。
「もう~! 殿下ぁっ、早く行きましょう~!」
そのとき、男爵令嬢が第一王子の腕をぎゅっと掴んで甘えた声を出した。
「そうだね、ロージー」と、彼はわたくしには決して見せないような優しい笑顔を浮かべて彼女の手を取る。
ふと、男爵令嬢がわたくしを見た。その瞳は完全に勝ち誇ったようなこちらを蔑む感情がありありと内包されていて、わたくしの神経を逆撫でさせた。
しかし、わたくしは彼女に向かって微笑を浮かべる。今のうちに第一王子との楽しい学園生活を満喫しておくがいいわ。
今回は、絶対に負けない。