36 我慢の限界
わたくしが第一王子に強引に連れ込まれた場所は持ち出し禁止の古い資料が収蔵されてある小部屋だった。普段は堅牢な鍵が掛かっていて、特別に許可された人物しか入ることができない場所だ。
ここは前回の人生での第一王子と男爵令嬢の密会場所の一つだとハリー殿下から聞いていたけど、全体的にくすんだ色合いで、かび臭くて埃っぽくてお世辞にも逢瀬を重ねるロマンチックな場所とは言えないわね。
「…………」
「…………」
冷淡な視線が刃のようにわたくしを貫く。その穏やかでない様子に固唾を呑んだ。
重い沈黙が伸し掛かった。それはハリー殿下と一緒にいるときの心地よい沈黙とは随分かけ離れたものだった。全身の関節を押さえ付けられたような窮屈な気分だった。
わたくしたちはしばらくの間、互いを威嚇するように睨み合った。そして、
「お前――」
「なんでしょ――」
タイミング悪く第一王子と言葉が重なった。彼は不快そうに舌打ちをして、わたくしも苦い表情をした。
本来は身分の低い者から高貴な者に声を掛けてはいけない。公爵令嬢として大きな失態だが、わたくしはもう気にしなかった。ここは公式の場ではないし、自身を害そうとする人物に気兼ねすることなんてないわ。
「一体なんですの?」と、わたくしは牽制するように問いかけた。
「……それはこっちの台詞だ」と、第一王子は仏頂面で答える。
「意味が分かりませんわ」
「は? お前、本気で言っているのか?」
「本気、ですわ」と、わたくしは挑発するようにゆっくりと言葉を発した。
第一王子は微かに目を見張ったがすぐに険しい顔をして、
「入学式のときに言っただろう? もう忘れたのか? お前は余計なことをするな。大人しくしていろ」
「大人しくしていますが」
「その扇はなんだ? そんなものを持ち歩いて見せびらかして……既に王都の貴族間で大きな噂になっている。これが大人しくしている、と?」
第一王子はハリー殿下の扇を憎らしそうに睨み付けた。わたくしは思わずぎゅっとそれを握りしめる。心臓の音が強くなった気がした。
大丈夫、わたくしにはハリー殿下がついているもの。第一王子なんかに負けてたまるものですか。
わたくしは緊張を解そうと軽く息を吐いてから、
「これが、なんですの? わたくしはただ王族の方から下賜された品を大切に使っているだけですわ」
「きさ――」
「苦情でしたら弟君におっしゃったら? わたくしのほうから扇をねだったわけではありませんので」
「…………」
「…………」
再び、沈黙が訪れた。対峙する二人を内包する空気は鉛のように重たかった。
わたくしは怒り心頭だった。
本当に、なんなのよ一体。偉そうにあれやこれや言ってきて人の行動を制限しようとして、そのくせ自分は前回の人生と同様に男爵令嬢と楽しく恋愛ですって? こんなに虫がいい話なんてないわ。
「エドワード第一王子殿下」
わたくしは正面から彼を睨め付ける。前回も今回もやられっぱなしではいけないわ。今回は自ら幸せを掴み取らなきゃいけないのよ。だから言うべきことはしっかり言わなきゃ。
「な、なんだよ」と、第一王子は少したじろいだ。まさか格下の公爵令嬢如きに反抗されるとは夢にも思わなかったのだろう。ちょっといい気味だわ。
「わたくしは殿下の操り人形ではありませんわ。それに、わたくしはあなたのことが大嫌いです。あなたもわたくしが嫌いでしょうし、早くモーガン男爵令嬢と婚約を結んでくださいませ」
「なっ――」
「わたくしは好きに行動しますわ。殿下や男爵令嬢が今度もわたくしを陥れるつもりでしたら、こちらもそのつもりで迎え撃ちます。もうあなたたちの好きにはさせないわ」
三度の沈黙。重い空気の中、わたくしの心は高揚感でいっぱいで身体中の血が沸き立っている感覚だった。
やっと言ってやったわ! これからは彼らに遠慮なんてしない。わたくしは戦うって決めたもの。
「ふぅ……」
興奮状態のわたくしとは対照的に第一王子は心底うんざりした様子で深いため息をついた。そして、ボソリと囁いた言葉をわたくしは聞き逃さなかった。
「……お前はさっさと犬死にしたから分からないんだよ」
「なんですって……?」
自然と全身が打ち震えた。瞬時に指先が冷たくなって、背中にゾクリと悪寒が走る。
犬死に、ですって? なにを言っているの? わたくしが、犬死に? 犬……死…………?
「はぁ、もういい。いいか、最後の忠告だ。生き残るためにも今後も余計な――」
「ふざけないでっ!!」
わたくしは激昂のあまり怒鳴りながら拳を振り上げて背後の棚を勢いよく叩いた。落石のようなけたたましい音を立てて床に資料が散乱した。扉の外がざわついた。
「お、おい」
「ふざけないでよっ!」
わたくしは大声で叫びながら第一王子の胸を思いっ切り拳でどんと叩き付けた。瞳から滂沱の涙が流れた。涙で視界が滲んで眼前の第一王子の姿もゆらゆらと揺れていた。
「犬死にですって? わたくしがどんな思いをして、立派な王太子妃になろうと努力したと思っているのっ!? 初めて出会ったときから、どんなにあなたを慕っていたと思っているのよっ!! なのにあなたは瞬く間に男爵令嬢の虜になって、どんなに惨めな思いをしたかっ……!」
「シャーロット、落ち着け」
「こんな侮辱を受けて誰が落ち着いていられますかっ!!」
ぐるぐると頭の中に過去の思い出が駆け巡る。
第一王子のことは本気で愛していた。幼い頃に一目惚れをして婚約をして、それからは彼に相応しい令嬢になるために必死で努力をしたわ。王妃様のお妃教育は厳しくて辛いことも多かったけど、第一王子のお側でこの国を支えて行こうって頑張ってきたのに。国中の誰よりも立派な令嬢になろうって頑張ってきたのに。
なのに……あっさりと男爵令嬢に第一王子を掻っ攫われて、あまつさえ無実の罪を着せられて……そして、処刑されて……それが犬死にですって!?
わたくしの人生はなんだったの…………?
そのとき、勢いよく小部屋の扉が開いてダイアナ様が飛び込んで来た。
「ちょっとシャーロット様! 一体どうしたの――……!?」と、彼女はわたくしたちの姿を見て絶句した。
わたくしは彼女に目もくれずに第一王子を憎しみのこもった目で睨み付けながら叫ぶ。
「あなたも、男爵令嬢も、わたくしの断罪に加担した全ての人たちも、絶対に許さないからっ!! 全員を処刑台へと送ってや――」
張り詰めた感情はもう限界だった。
絹の糸が儚く切れるように、ふつりと意識が途切れた。




