35 少しの変化
わたくしとダイアナ様が図書館へ向かって歩いていると、
「おや、ヨーク公爵令嬢」
「……ご機嫌よう」
第一王子の取り巻きたち――アンダーソン公爵令息、コックス侯爵令息、ジョンソン伯爵令息が壁のようにわたくしの眼前に立ち塞がった。こういうときは碌でもないことになるのよね……。大体が彼らがモーガン男爵令嬢に吹き込まれたわたくしの悪口を真に受けてわざわざ嫌味を言ってきたり、本当に下らないことよ。馬鹿馬鹿しいわ。前回の人生ではなんでこんな愚かな人間たちにやられたのかしら。
「なにか?」
わたくしは威嚇するように彼らをギロリと睨み付けた。
「はっ、強気なこって」と、ジョンソン伯爵令息が鼻で笑った。「いい気になるなよ」
「君はたしかエドワード殿下の婚約者候補だったよな?」とアンダーソン公爵令息が尋ねた。隣でコックス侯爵令息がニヤニヤと意地悪そうな笑みを浮かべている。
今更なんなのよと思ったが、彼らが言わんとすることがすぐに分かった。案の定、彼らの視線の先はハリー殿下から頂いた扇だ。
「そのようですわね」
「第一王子の婚約者候補が第二王子からの贈り物を大事に持っているだなんて、可笑しな話だな」と、アンダーソン公爵令息は大仰に首を傾げた。
それを合図にわたくしへの口撃が始まる。
「尻軽な女だ。王子だったら誰でもいいのか?」
「こんな浮気女が未来の王太子妃になるなんて、この国は終わったも同然だな」
「やはり王太子妃はロージーのほうが相応しい」
「そうだ。彼女ならグレトラント王国を更に繁栄に導くだろう」
「ヨーク家のような腐った貴族共を一掃してな」
「――それは聞き逃がせませんわね」
パチン、と大きな音を立ててわたくしは扇を閉じた。
「ジョンソン伯爵家からヨーク公爵家への宣戦布告だと受け取ってもいいのかしら?」
「そっ、それは……」と、伯爵令息はたじろぐ。
「それで、コックス侯爵令息様? この国は終わっただなんて、グレトラント王家への不敬罪になりますわね? わたくし、告発しようかしら」
「貴様……!」
「私たちはお前が第一王子の婚約者に相応しくない振る舞いをしているので警告しに来たのだ」とアンダーソン公爵令息。
「警告? 身位の低い者たちが揃いも揃って勇敢だこと。というか、わたくしは第一王子殿下の正式な婚約者ではないので第二王子殿下と懇意にしても問題はないわ。……それより、あなたたちこそモーガン男爵令嬢と必要以上に親しくしすぎではないかしら?」
「我々は良き友人として彼女と付き合っている。なんの問題もない」
「そう?」わたくしはくすりと笑う。「健全な友人同士がカフェ・マンシーの2階へ赴くのかしら? あそこの2階の個室はたしか寝具も備え付けてあるんですってね? 友人同士で、ねぇ?」
途端にアンダーソン公爵令息の顔が引きつった。口をパクパクさせて、どうやら二の句が継げないらしい。ハリー殿下から提供された情報を元に、彼らのことは既に調査済みなのだ。
「コックス侯爵令息様」わたくしは満面の笑みを浮かべた。「王立図書館は本を読んだり勉強をしたりする場所ですわ。ご存知かしら?」
「ぐっ……!」
「そしてジョンソン伯爵令息様?」
「な……なんだよ……」
わたくしはすっと彼の耳元に近寄って、
「騎士団の馬小屋の中なんて……野蛮ですこと?」
「…………」
「…………」
「…………」
三人ともばつが悪そうに押し黙った。
「あらあら。お話はもう終わりかしら? それでは皆様ご機嫌よう」
わたくしは勝ち誇ったようにカーテシーをして足を進めた。あら嫌だ、自然と高笑いが出てしまったわ。王家に見張られていることだし、前回の人生のような悪女にならないように気を付けなきゃいけないわね。
「やるわね、シャーロット様」と、ダイアナ様が可笑しそうに言った。「彼らの鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな顔……思い出すだけで笑えてくるわ」
「わたくし、もう逃げないって決めたの。だから彼らがこれからも攻撃をしてくるようなら受けて立つつもりよ」
「それは頼もしくて安心だわ。アル様があなたのこといつも心配していたから」
「お兄様が?」
「そうよ。婚約の件でずっと王家と揉めていたでしょう? だからアル様も気が気でなかったのよ。会う度に『ロッティーが~、ロッティーが~』って言っていたのよ。アル様は妹が大好きなのよね」と、ダイアナ様はくすくすと笑った。
「そっ、そんな……」
にわかに顔が火照った。お兄様ったら、ダイアナ様にわたくしのことをいつも喋っていたのね。恥ずかしいわ。
「そ、それなら、お兄様はわたくしにはいつも『ディーが~、ディーが~』って言っているのよ?」
「えっ! そ、そうなの?」
ダイアナ様の顔がパッと薔薇色に染まった。なんだかとっても嬉しそうだ。
「そうよ。わたくしは毎日お惚気話を聞かされているんだから」
「あ、あら……」
「毎日、毎日」
「――そ、そうだわ!」
ダイアナ様はわたくしの手をぎゅっと握った。
「あたくし、シャーロット様と第二王子殿下の恋を応援するわ! お二人は想い合っているのでしょう?」
ハリー殿下とわたくしの噂はあっという間に広がっていた。今は第一王子、ドゥ・ルイス公爵令息にハリー殿下も加わって、その中の誰と婚約するのか面白おかしく話題にされている。中には賭け事までしている人々もいるようだ。
「えぇ」と、わたくしは頷いた。なんだかこそばゆい気分だわ。
「シャーロット様はあたくしとアル様の仲を応援をしてくださったんですもの。今度はお返ししなきゃね」
「ありがとうございます……! それは嬉しいことですわ」
「二人が密会するのなら、喜んでアリバイ作りに協力するわよ。だから遠慮せずにおっしゃってね?」
「そ、そんなモーガン男爵令嬢のような真似はしませんわよ!」
「ふふふ。きっとそのうち毎日会いたくなるわよ? だから我慢せずに、ね?」と、ダイアナ様はくすくすと笑った。
「もうっ! ――あら、そうだわ。では、ダイアナ様に一つお願いがあるのですが」
「なにかしら?」
「今度また薔薇園を見せていただけますか? あと薬草畑も」
「あら、そんなこと? いつでも結構よ」
「では、今度のお休みの日に伺いますね」
「分かったわ」
ダイアナ様はアルバートお兄様に影響されて薬草も育て始めていて、今では結構な広さになっていた。主にハーブティー用の薬草なのだが、毒薬の材料になりそうな品種があるか念のため確認をしておかないといけないわ。
前回の人生では言い掛かりに近いようなことでも罪に数えられていたし、ヨーク家を没落させるためにお兄様の婚約者にも罪を擦り付ける可能性もあるので、用心するに越したことはないわ。
王立図書館は学園に併設されていて生徒たちは自由に利用できる。ここはグレトラント王国一の図書館だけあって、身長より遥かに高い棚に様々な種類の本がずらりと陳列されていて、なかなか壮観だ。
「では、わたくしは薬学の棚へ参りますわね」
「シャーロット様は勉強熱心ね」
「ただの好奇心ですわよ」
「それも素晴らしいことだわ。あたくしは余暇まで勉学に励もうとは思わないもの」と、ダイアナは肩をすくめた。
「ダイアナ様だって薔薇や薬草のお勉強をなさってるじゃない?」
「あれはただの趣味よ」
「わたくしだって趣味のようなものですわよ。では、また後ほど合流しましょう」
「えぇ。あたくしは恋愛小説の棚の近くにいるわ。ご機嫌よう」
「ご機嫌よう」
わたくしが目的の本棚へと向かっていると、
「きゃっ――」
卒然と近くの扉が開いて物凄く強い力で何者かがわたくしの腕を引っ張った。
ぱたり、と何事もなかったかのように静かに扉が閉まる。
背筋がぞくりとした。
振り向くと、目の前には第一王子が冷ややかな目つきでこちらを見ていた。




