32 戦いのはじまりは
無事に新人賞に応募できました!
またこちらの投稿を頑張りますので、宜しければお付き合いお願いいたします!
学園に入学してから約半年がたった。
わたくしと第一王子は基本的にはただのクラスメイトとしての接触しかない。
でも、前回の人生みたいにわたくしのことを毛嫌いしているわけでもなく、フレンドリーに話し掛けてくれるのよね。……本当に彼の心が読めないわ。
ハリー殿下とはお父様の監視が強くて個人的な接触が中々できないんだけど、ダイアナ様に彼の参加するお茶会やパーティーを教えてもらって、わたくしも積極的に参加するようにしている。
そのおかげか多くの令嬢たちとも会話する機会が増えて、ちょっと嬉しい誤算だ。先日のお茶会でハリー殿下から「ロッティー、僕に会うより令嬢たちと話すのを楽しみにしているだろう」って拗ねられてしまって、誤解を解くのが大変だったわ。
そして第一王子とモーガン男爵令嬢は既に急接近していて、まるで恋人のように振る舞っている。前回の人生はもっとゆっくりと懇意になっていっていたけど、第一王子は愛する女性と再会できて我慢できなくなったのかしら?
「ねーえ、エドワード様ぁ。あたし、今日は王族専用のテラスでランチをいただきたいわぁっ!」
「そうだね、ロージー。さぁ、行こうか」
「はぁ~い!」
二人は腕を組んで仲睦まじくテラスへと向かう。他の生徒たちは彼らを目視した途端に廊下の端に寄って頭を垂れた。
彼は王族なのだから避けるのは当たり前なんだけど、隣に並んで歩いている男爵令嬢もあたかも自身が高貴な身分であるかのように振る舞っていて、大多数の生徒たちからは顰蹙を買っていた。でも一部の生徒たちからは「モーガン男爵令嬢が将来の王太子妃になるのでは?」と実しやかに囁かれて、彼女に媚びへつらう者も少しずつ増えてきている。
男爵令嬢は前回の人生と同様に権力を振り翳すことがお好みのようで、第一王子の威光を笠に着て好き勝手に振る舞うことが多くなってきた気がするわ。前の記憶だとこの時期はまだ控え目だった気がするけど……。今回はわたくしのほうが彼女と関わらないようにしているし、ダイアナ様なんて彼女を視界に入れたくないみたいだし、誰も注意する人間がいないのも影響しているのかもしれないわね。
「シャーロット様、食堂へ行きましょう」
「えぇ」
「あぁ~、お腹が空きましたわ!」
「もうっ、ドロシー様ったら。はしたないですわよ」
「うふふ。ダンスの授業でクタクタになってしまって」
「今日の曲は難易度が高かったですものね」
わたくしはダイアナ様とラケル様、ドロシー様と連れ立って食堂へと向かった。
学園では基本的には彼女たちと行動を共にさせてもらっている。たまにアーサー様のグループも加わって、和気藹藹と楽しく過ごしているわ。ハリー殿下から学園ではなるべく一人にならないようにと言われているので、仲良くしてくださる学友がいるのは有難いわね。
「ヨーク公爵令嬢、ちょっといいか?」
食堂に着く手前で、わたくしは意外な人物たちに声を掛けられた。第一王子の取り巻きのダニエル・アンダーソン公爵令息、オスカー・コックス侯爵令息、ジョージ・ジョンソン伯爵令息の三人だ。全員、険しい顔をしてこちらを見ていた。
「なんでしょう?」
「君に話がある。ちょっと来てくれないか?」
「お話でしたら今ここで伺いますわ」と、わたくしはにべもなく答えた。
昼休みの食堂は生徒たちで賑わっていて、人通りも激しい。疑っているわけではないけど、警戒したほうがよさそうだわ。だって彼らには前回の人生で散々嫌な思いをさせられてきたんですもの。
「……君の名誉に関わることだから人気のない場所のほうがいいんじゃないか?」と、アンダーソン公爵令息が鼻で笑った。
「まぁ、お気遣い痛み入りますわ。ですが、わたくしは構いませんわ。疚しいことなんてなにもありませんもの」と、わたくしは睨み返した。
「では遠慮なく申し上げるが、ロージー嬢への陰湿な嫌がらせを止めるように」
「……どういうことですの?」
「しらばくれる気かっ!」
隣に立っていたジョンソン伯爵令息が声を荒らげた。にわかに周囲の注目がわたくしたちに集まる。
「そうだ、お前の悪行は周知されている。とぼけても無駄だ」と、コックス侯爵令息もわたくしを責めた。
「わたくしが、いつ、なにを彼女にしたのですか?」
「まだそのような戯言を言うのか? 我々は全てロージー嬢から聞いているのだよ」
「そうだぞ! 可哀想に……ロージー嬢は泣きながらオレたちに告白してきたんだ!」
わたくしたちは睨み合った。重い沈黙が辺りを飲み込んだ。周囲の生徒たちは固唾を呑んでこちらを伺っている。
「ちょっとお待ちになって」
この剣呑な空気を破ったのはダイアナ様だった。
「あたくしたちは常にシャーロット様と一緒に行動をしていたわ。彼女がモーガン男爵令嬢とかかずらう瞬間なんて見たことがないのだけど」
「そうよ!」ドロシー様も声を上げる。「言い掛かりもいいところだわ! シャーロット様はいつも私たちと共にいるのに、そんなことできるはずないわ」
「私も見たことがないわ」と、ラケル様も援護射撃をしてくれた。
「くっ……」
アンダーソン公爵令息は一瞬だけ怯んだが、
「だが、君たちは教室では席が離れているだろう? ロージー嬢とヨーク公爵令嬢は最後方の座席だ。まさか常に後ろの様子を窺っているわけではあるまい」
「それにロージー嬢も誰も見ていないときに嫌がらせを受けていると言っている」
どうだ、とばかりに令息たちはしたり顔をした。
わたくしは呆れ返った。彼らは男爵令嬢の言うことなら証拠もないのになんでも鵜呑みにするのね。これじゃ前と全然変わっていないわね。
「……わたくしと彼女の座席の間には第一王子殿下がいらっしゃいますわ。もし、彼女にそのような仕打ちを行ったら殿下が黙っていないと思いますが?」
第一王子はもう男爵令嬢に惚れ込んでいるようだ。前回の記憶もあるし、わたくしが同じ振る舞いをしたら許すはずがない。
令息たちは痛いところを衝かれて二の句が継げないようだ。
その無様な様子を見てダイアナ様が勝ち誇ったように、
「では、あたくしたちはこれで失礼するわ。行きましょう、シャーロット様?」
わたくしたちは彼らを後目に今度こそ食堂へと入って行った。
「皆様、先ほどは助けてくださってありがとうございました」
わたくしは食事の席で彼女たちに礼を述べた。純粋に嬉しかった。前回の人生ではわたくしを庇ってくれたのはハリー殿下だけだったから。まさか、令嬢たちが支えてくれる日がくるなんて感激だわ。
「お礼なんて要らないわよ。本当に失礼な方たちだったわ」とダイアナ様。
「そうよ、モーガン男爵令嬢の言い分だけを信じちゃって、馬鹿みたい!」
ドロシー様はかなりご立腹のようだ。近頃は彼女の婚約者であるジョンソン伯爵令息が男爵令嬢にかなりご執心のようだから無理もないわ。
「きっと男爵令嬢がシャーロット様に嫉妬しているのよ。だって、あちらは第一王子の婚約者候補ですらないから」と、ラケル様も不快感を露わにした。
「それなのに王子に気に入られたからって次期王太子妃ぶっちゃって滑稽だわ」
「彼女は自分のことをお姫様とでも思っているのかしら」
「もう王族でいるつもりなのよ。なんて図々しい女」
「あなたたち、その辺にしておきなさいな。彼女の悪口を言っても仕方がないわ」
だんだん盛り上がってきた二人をダイアナ様が窘める。たしかに令嬢が集団で他人を腐すのは外聞が悪いことだ。
「わたくしは皆様が庇ってくださったことが本当に嬉しかったですわ。感謝いたしますわ」
「シャーロット様、モーガン男爵令嬢はどうやら一方的にあなたに敵愾心を持っているようね。またなにかされる可能性もあるわ。気を付けてね」
「仮になにかあっても、私たちはシャーロット様の味方ですわ!」
「そうですわ! 男爵令嬢なんかに負けてたまるものですか!」
「ふふふ、皆様がいると心強いですわ」
そうよね、今回はハリー殿下だけじゃななく、ダイアナ様たちもついている。だからきっと大丈夫よ。
それにしても、男爵令嬢にはこちらから意地悪をするどころか関わってもいないのに、なんでわたくしを陥れるような真似をするのかしら? 今回も王太子妃の座を狙っているのなら喜んで差し上げるのに……。
それからしばらくは食堂前の出来事なんてなかったかのように平穏に過ごしていたけど、突如として事件は起こった。
わたくしがダイアナ様たちと一緒に渡り廊下を通っていると、
「酷いです! ヨークさん!!」
全身びしょ濡れのモーガン男爵令嬢が泣きながらわたくしの元へ駆け寄って来た。わたくしはぎょっとして目を見張った。
「ええっと……どうしたのかしら?」
ややあって、少し冷静になってやっと声が出る。
男爵令嬢の背後を見ると、噴水の前に濡れた教科書が置いてあって、その近くには数人の令嬢たちが真っ青な顔をして立ち竦んでいた。彼女たちは見覚えがあるわ。たしか前回の人生ではわたくしと一緒になって男爵令嬢をいびっていた子たちだわ。
わたくしはにわかに頭が痛くなった。この状況は嫌な予感しかしないわ……。
「とぼけないでください! なんでこんなに酷いことをするんですか!?」
男爵令嬢は大音声で叫んでわんわんと大仰に泣き始めた。
騒ぎを聞き付けて生徒たちがぞろぞろと集まって来る。その中には、第一王子の取り巻きたちもいたのだった。
「どういうことだ! ヨーク公爵令嬢!」
怯える小動物のように震える男爵令嬢の肩を抱きながらアンダーソン公爵令息がきっと睨んできた。
「どういうことって……わたくしにも訳が分かりませんわ」
「ロージー嬢が泣いているではないか!」
「またお前がなにかやったんだろ!」
「白状しろ」と、彼らがわたくしを詰る。
また、って……一度も彼女に意地悪なんてやっていなのに。
その間も、男爵令嬢は「酷い、酷い」しか言わなくて、なにも話が進まなかった。やがて、
「やっぱりあの噂は本当だったんだ……」
「公爵令嬢が第一王子を男爵令嬢に取られたから腹いせに彼女を虐めてるんでしょう?」
「この前、食堂で令息たちに注意されていたのを見たぞ」
「バイロン侯爵令嬢たちを手下にして好き放題やっているって聞いたわ」
野次馬たちから、わたくしへの疑惑の声が上がって来た。覚えず顔が紅潮する。
な、なにを言っているの……? わたくしはなにも彼女にやっていないのに、なんでこんな根も葉もない噂が広まっているの……?
周囲の空気が男爵令嬢に傾きつつあるところで、ついに彼女は口を開いた。
「あ……あたしが、身分も弁えずにエドワード様と仲良くしているからって、噴水にぃ……」
またぞろ、わんわんと泣き始めた。
「なんて卑怯な……」
「見損なったぞ、公爵令嬢!」
「わ、わたくしは――」
「ロージー嬢に謝れ! これまでのこともだ!」
冷たい視線がぐるりとわたくしを囲む。
あぁ……この目は見たことがあるわ。あれは前回の人生で第一王子から婚約破棄を言い渡されたとき……そして処刑台に登ったとき……。
卒然と胸に早鐘が鳴った。あのときの出来事がまざまざと思い浮かぶ。くらくらと目眩がした。息が苦しい……。
「待ちなさい!」
ダイアナ様の凛々しい声が辺りに響いた。それを合図に水を打ったように静まり返る。
「なにか勘違いをなさっているのでは? あたくしたちは温室に寄ってからこちらへ来たの。噴水とは別方向からよ。それに、男爵令嬢は水に濡れたばかりのようね? まさに今通りかかったシャーロット様にそんな早業ができるのかしら?」
「そ、それは……」
アンダーソン公爵令息は言葉に詰まった。
「違うんです! あたしを噴水に落としたのは彼女たちです!」男爵令嬢は噴水の前にいる令嬢たちを指差す。「ヨークさんから言われたって……」
「ほらみろ!」公爵令息の顔がパッと晴れた。「やっぱり公爵令嬢の仕業じゃないか」
「わ、わたくしは、そんなこと言っていないわ!」
「いいや、オレは見たぞ。昨日、お前は珍しく一人で彼女たちに話し掛けてた。どうせその時に命令したんだろ!」
「あれは、彼女の制服が乱れていたから教えてあげただけで――」
「信用ならねぇなぁ~」
周囲はまた騒然となった。野次馬たちはわたくしと男爵令嬢について面白おかしく喋っている。まるで大きな流れに逆らえないように、小さな噂話はみるみる広がっていく。
ふと視線を感じると、それは男爵令嬢だった。彼女は蔑んだ視線をわたくしに向けて、くすりと笑った。
わたくしは凍り付いた。
「皆、ちょっと冷静になろうか」
今度は朗々とした令息の声が響いた。それはアーサー様だった。
「これではまるで魔女裁判だよ。興奮しすぎだ。ちゃんと頭の中を整理したほうがいい」
「だ、だが――」
「貴族たるもの、公正にいこうじゃないか」
アーサー様の言葉に周囲は黙り込んだ。彼は満足したように頷いてから、
「さて、モーガン男爵令嬢。君が全身濡れているのは一体誰の仕業だい?」
「こ、これは……彼女たちに押されたんです……」と、男爵令嬢はおどおどと答えた。上目遣いの可愛らしい様子でアーサー様を見る。
「なるほど。それで、彼女たちは公爵令嬢に命令されたと?」
「そうです」
「そう言っているけど、本当のところはどうなんだい?」と、アーサー様は笑顔で令嬢たちを見た。その悠然とした態度に令嬢たちも自然と落ち着きを取り戻したみたいだ。
「……私たちが男爵令嬢を噴水に落としたのはたしかです。でも、シャーロット様に言われたからじゃないわ!」
「嘘! だって、さっき――」
「男爵令嬢、君も少し落ち着こう。レディーは常に穏やかでいなきゃ。……で、君たちは何故、男爵令嬢にそのようなことを?」
「それは、第一王子様の婚約者候補でもないのに恋人のように振る舞っているから……正式な婚約者候補のシャーロット様を差し置いて!」
「そのことを男爵令嬢にも話したのかい?」
「はい……言いました……」
「そうか……それをモーガン男爵令嬢はシャーロット嬢が彼女たちを使って嫌がらせをしてきたって勘違いをしてしまったんだね」
「えっ……?」男爵令嬢は目を丸くする。
「よくある思い違いだね。特に君は噴水に落とされて気が動転して、シャーロット嬢という言葉だけが強く心に残ってしまったんじゃないか?」
「そうかも……しれません」と呟いて男爵令嬢は俯いた。彼女を守っていた令息たちも気まずそうに顔を見合わせる。
「では、この話はもう終わりだ。男爵令嬢を噴水に落とした令嬢たちは猛省するように」
「申し訳ありませんでした……」
「それと、シャーロット嬢は人を使って意地悪をするような子じゃないよ。ドゥ・ルイスの名に掛けて私が保証をするよ」と、アーサー様はにっこりと笑った。
「アーサー様、本当にありがとうございました」
わたくしは深々と頭を下げた。さっきは最悪の事態が頭を過ぎって恐怖心で押し潰されそうだったので、彼が助けにきてくれて胸が一杯になったのだ。
「頭を上げてくれ。私は当然のことをしたまでさ」
「ですが、アーサー様が助けてくださらなければ、わたくしはどうなっていたか……」
「大袈裟だなぁ。まぁ、でも、役に立てたようで良かったよ」
「ありがとうございます」
「またなにか困ったことがあったら遠慮せずに言ってくれ。私はいつでも君の力になるよ」
わたくしはアーサー様の後ろ姿が見えなくなるまで見送った。心の中は激しく波立っていた。
やられた。
頭をガツンと殴られたように、ズキズキと痛んだ。
なにをやっているのかしら、わたくしは……。
今回の人生では第一王子と男爵令嬢に関わりたくないって、現実から目を逸して見ないようにして。それで立場が悪くなったらハリー殿下やダイアナ様、アーサー様たちに助けてもらって。そして当事者のわたくしはずっと逃げ続けたまま……。
「ふふっ……」
思わず乾いた笑いがこぼれた。一番愚かなのは、男爵令嬢でもなく意地悪な令嬢たちではなく、わたくし自身だわ。
理由は分からないけど、モーガン男爵令嬢今回の人生でも確実にわたくしを陥れようとしている。それに王弟派の動きも未だに怪しいままだ。得体の知れない暗い影がじわじわと迫って来ているのをひしひしと感じる。
このままだと前回の人生の二の舞いじゃない!
今回は絶対に、処刑台には登りたくないわ。
そのためにも……わたくし自身が戦わないといけないんだわ!