01.彼女が手に持つあのカメラ
好奇心に身を任せるその男は今日も学校という日常に溶け込む。
「あれ、川口さん? こんな時間までなにしてたの?」
男の下校時間は決まって五時十五分。この時間にその女、「川口青花」と玄関で出会うことは初めてのことだ。
「あ、陽香君。今日はちょっと部活で呼ばれちゃって……」
首に近いところで結ばれ地面を向いた髪の束は彼女の爽やかさ、清らかさを表しているようだった。
「部活? 川口さんって部活入ってたっけ?」
苦笑いのような表情を見せて答える。
「一応ねー。幽霊部員ってやつ? ほらっ、これ」
そう言って見せたのはケースにも入っていない黒色のカメラ。
「写真部?」
「うん。陽香君は今日も学級委員の仕事?」
男、「一露陽香」は柔らかい表情で答える。
「そう、行事も近くなってきたし最近は少し忙しくなってきたから」
「学級委員長だもんね」
数秒おいて陽香は言葉にする。
「久しぶりに一緒に帰らない?」
「うん」
校門を出てうるさくない程度の蝉が鳴く一直線の道を歩く。
「最近結構暑いね」
「そうだよね。虫も増えてちょっと嫌だなー」
二人とも笑顔を見せる。
「一年の頃は一緒のクラスだったのに別になってから全然話す機会もないよねー」
「そうだね。クラスのみんなで夏祭りとか行ったのが懐かしいな。新しいクラスはいい感じ?」
「うーん。なんともって感じかなぁ。ほら、私ってクラスの中心というよりはその周りって感じだからさ。楽しいかって言われたら楽しいけどなんか足りないなーって思ってみたりして」
下を向きながら寂しげな笑顔を見せる青花。
「川口さんは周りの雰囲気をよくするのとか人の話を聞くのとかがうまいから、そういう悩みがあるのはなんとなくわかるな。けど悩めるってことはみんなに必要とされてるってことだし無理しないでほしい。やっぱり周りを楽しませても 川口さんが楽しめなくちゃ意味ないしね」
青花の頬があがる。
「ありがとう。無理しちゃダメって頭ではわかってるのになー。陽香君は完璧そうだしそういう悩みとかなさそうだよね」
「うーん、どうかな。ないというよりはつくるようにしてないだけだよ。友達がいないのは辛いけど多くても疲れるから」
わざとらしいため息をついてから青花は話す。
「いいなぁ。私もそうやって考えられればなぁ」
「そんなことないと思うけどな。川口さんみたいに俺は周りに気を遣えないし話すのもうまいわけじゃない。川口さんにとっては当たり前かもしれないけどそれは凄いことだと思うよ」
青花は目元からの笑顔を見せる。
「なんかそう言ってもらえると嬉しいけど照れ臭くなってきた。久しぶりなのにこんなに励ましてくれてありがとう」
陽香は自然と笑顔になる。
隣を走る車の音が遠くなってから陽香は言う。
「俺も川口さんと久々に話せてよかったよ」
赤になった信号を前に二人は足を止める。
「男の人とこうやって話して二人で帰るのってほとんどない気がする。陽香君は二人でだれかと帰ったりする……?」
「そう言われてみればあんまりないな。学級委員だと周りと帰る時間も合わなくなってくるから一人で帰ることがほとんどになってる感じかな」
「そうなんだ。じゃあそんなに忙しかったら彼女とかもいないの……?」
どことなく視線を動かす青花。
「いないよ。高校に入ってから一回もできてないな。そういう高校生活を送ってみたい気持ちもあるんだけどそう上手くはいかないものだなって思った」
信号機の色がだんだんと変わっていく。
「なんか、今日話せてよかった」
「俺も、いい機会だった」
「うん。それじゃあ私あっちだから。じゃあね……」
青花が手を振り背を向ける。そして陽香は口を開く。
「川口さん。……明日も一緒に帰らない?」
青花が振り向く。
「うん」
二人は照れ臭そうに笑いそれぞれ帰り道へと沿って歩き出す。
「……」
陽香は後ろを振り向く。
彼女のうしろ姿を見つめ純粋な笑みを浮かべている。制服の左ポケットの中に忍ばせた鋭利で光沢が出るものを握りながら。
……… ……… ………
五時十五分。男は速足で校舎を出て校門へと進む。
「ごめん、待った?」
青花の香りが陽香の鼻の中をぐるぐると回る。
「ぜんぜん。私もさっき来たところ」
青花は安堵の表情を見せる。
「よかった」
二人は昨日と同じ道を歩き始める。
「最近体育祭の準備が忙しくなってきてさ」
「私たちの学校少し遅いもんねー。競技とかは去年と大体一緒?」
蝉の声がいつもよりも二人の耳に響いていた。
「そうだね。俺らの学校って行事多いけど生徒も教師もあんまりやる気ないからさ。いつもと
違うことをわざわざやる気にもならないみたいだよ」
「確かに、勉強第一って感じだもんね」
「まあ、それはそれで楽でいいんだけどさ。川口さんは合唱コンの委員会に入ってたよね?」
会話は続く。
「うん。けど合唱コンは夏休みの後だから準備はまだまだみたい」
「そうなんだ。じゃあ忙しくなるのはこれからか」
「けど体育祭のほうが忙しそうだけどね。……ほら、最近なんかここら辺で事件起こってるじゃん……」
青花は体を少しだけ右側へと寄せる。
「ああ、五月頃から何人か失踪してるっていうあれか。被害者は全員見つかっていないらしいけどどういうことなんだろう。自殺とかってことなのか……」
繰り返される蝉の音。
空はまだ明るいのにどこか寂しい色をしている。けれどふたりの表情の奥にはそれとは真逆のなにかがあるようだった。
「わかんないけど早く見つかるといいね……」
「このご時世にこんな事件珍しいことだけどどうなんだろうな……。学校の予定とかに影響でなければいいけど」
何も喋らない時間が少し。
「はぁ……。これを機に学校休みになったりしないかなぁ」
「ふっ。あの教師たちはたぶんしないしなさそうだな。代わりに行事とかはなくしそうだけど」
「それだけはホンっとやめてほしい!」
空気は何ひとつ変わっていないのに二人のその距離の間だけが笑いに包まれる。
「来年は川口さんと同じクラスがいいな。そっちのほうが学校が楽しそうだ」
「私も。あーあ、クラス自分で選べたらいいのになぁ」
信横断歩道を進む二人。
「それじゃあ、私はここで。また……明日」
背を向けようとする青花を呼び止める陽香。
「待って。途中まで俺も行くよ。なんかあったらアレだし」
「……ありがとう」
ふたりは同じ道を歩く。
「久しぶりだな、ここの道歩くの」
「あんまりここら辺歩かない?」
「そうだね、こっち側ってあんまり店とかもないから行く機会がほとんどないな」
「そうだよねー、家の近くにおっきいデパートとかあればなぁ」
「それはそれで人通り多くて鬱陶しそうだけど」
「確かに……」
何気ない会話が続けながら動く二人。
駅や学校が待ち構える町の中心部には大きいスーパーやチェーン店が立ち並ぶが町の外れとなると田んぼや森林が顔を見せるようになる。道路を走る車とすれ違うことも少ない。
いつもと違う自然の音と香りを感じながら楽しげに話をしている陽香。会話が落ち着くと陽香は木が立ち並ぶ先を見ながら尋ねる。
「こっちのほうって何かあるの?」
「こっちの先はねー、なんだっけ。確か、一応公園になってたような気がする。全然使われてないイメージしかないけど」
「そうなんだ。行ってみたいな」
「ほんと? じゃあ行く?」
「川口さんがいいなら」
「私は全然だいじょうぶだよ」
予定通り物事が進むよう、歩く速さは変わらない。
山道のような場所。折れた木や緑色の葉が被さる道を進み続ける。数分歩いたところで陽香は森林を見まわし、話題を移す。
「ここら辺、空気がいいというかなんかすごいいいな」
「たしかに。久しぶりに来たけど小さい頃となんか違うかも」
鳥のさえずり、蝉の音、夏の匂い。そこにあるすべてのものが何かを彷彿とさせた。
「もう少しまともなカメラで撮れればよかったな」
陽香は右ポケットからスマートフォンを取り出したぽつりとこぼす。その様子を見た青花はリュックを折れた木の枝が散らばる地面へと置き中からカメラを取り出した。
「私もとろうかな」
真っ黒なそのカメラに視線を移して陽香は言う。
「俺、調べたんだけどそのカメラみつけられなくてさ。真っ黒さが特徴的なそれ、どこのやつ?」
少しだけ驚いた表情を見せる青花。
「わざわざ調べたの?」
「ちょっとだけ」
「そんなにカメラに興味あったなら言ってくれればよかったのに」
「聞くほどのことでもないかと思って」
「ぜんぜん、なんでも聞いていいよ」
「家にあったカメラ?」
首を横に振る。
「それじゃあどこの?」
青花はわざとのような感覚を開けてから喋りだす。
「分からない」
その意図を図るように続く言葉を探す。
「大切なもの?」
軽く首を下げる。
「そうなんだ」
陽香は青花の両手に包まれたそのカメラに手を伸ばす。
「!」
まるで体の大事な部分を触られたかのような拒否反応をみせる青花。
「触っちゃダメだった?」
純粋で優しい笑みで問いかける。
「……うん」
陽香は左ポケットに手を入れる。
「ごめん。けど……ごめん」
表情を変えず中から握った手を出す。
「それはなに?」
浮かない顔の青花の質問に真を開けずに答える。
「果物ナイフだよ。こんなに小さいのによく切れるんだ」
「……そうなんだ。私の方こそごめん」
青花はカメラを両手で持ち、陽香の目を見ながら言う。
「なんで川口さんが謝るの?」
陽香はナイフを握ったまま疑問を口にする。
「だって……陽香君勘違いしてるから」
その綺麗すぎる眼に飲み込まれないようにしながらも目の奥をみる陽香。
「なにを?」
手の中のナイフを握りなおす。
「私がここに連れてきたんだよ」
寂しげな、それでもって曇りのない笑顔。
陽香は迷うことなく手に握ったそれを彼女に投げつけた。
「……!」
光。それはシャッターが閉じた光。
目の前にいるはずの川口青花という人間はいなくなっていた。その代わりに凸凹の地面には血の付いた果物ナイフ、それだけが落ちていた。
陽香は果物ナイフを拾い上げる。まじまじとそれを見た後舌を出しゆっくりと血液を口の中へと入れる。そしてすぐに気がつく。
「かわった……」
周りは何も変わっていない。変わっていないはずなのになにかが違う。陽香は直感的にそう気づいていた。陽香は来た道を振り返ることなく先へと足を進める。
相も変わらず陽を掲げる夏の空。緑の隙間からそれは間違いなく見える。漂う空気と交わらない空気を読まないその空を気にすることなく目的地があるかのように歩き続ける。
そのとき突然何かの鳴き声がした。森林全体に響き渡るその音に気を取られた陽香は後ろを見て気がつく。
頭の無い黒い馬。それが不規則なリズムをとって近づいてくる。
陽香は走る。走って迫りくるそれから逃げ続ける。しかしその距離は少しずつ近づく。数十秒もたたないうちに陽香の目には新たな選択肢が移った。
「はぁ……はぁ……」
バス。バス停の標識版で止まっているその中に駆け込む。乗客は誰もいない。けれど戸惑わない。入って初めになにをするか、それはすでに決まっていた。
「ウゥ……」
運転手の首の後ろを握ったナイフで突き刺す。手で頭を押さえ根元まで中に入れ、通路へと転がす。力の入らないその体は熟しきった果物を叩きつけたかのような音をたてながら床へ落ちた。
運転席につく陽香。アクセルを踏みサイドアンダーミラーに移る馬のようなものを確認してから進みだす。平とは言えない地面に思うようなスピードを出せない。ただ初めてと言って信じられないくらいには風に乗っていた。
ガソリンのメーターは心配いらないと言っている。だが左側からする物音はそうは言っていないように聞こえた。
陽香が振り向くとそこには動かなくなったはずの運転手の姿。服が触れていないところから見えるまるで何週間も死体を放置していたかのような皮膚。ドロドロとしたそれは床に手を付け起き上がり陽香の方を見る。
「ァァァァ」
目が合った瞬間声にもならない音を鳴らしながら陽香の方へと腕を伸ばす。振り払おうとするがそれは 腕を掴み離さない。それは腕に顔を近づけ噛みついた。
バスが揺れる。
陽香は腕に噛みつくそれの耳に噛みつき引きちぎる。怯むそれの首に突き刺さったナイフを握りなんとか制しようとするがそれの動きは激しくなる。
バスが揺れた。
まるでアトラクションかのようにバスは落ちていく。グルグルと不規則に回りながら緑が茂る坂道の下へと。