オアシス
湧き水のほとりに、馬を止める。
ディートフリートに続いてハイデマリーも馬を降りた。
「フェルホルム王太子殿下、助けていただきありがとうございます。
私は、グレートヘン王の一子ハイデマリー」
ハイデマリーは、馬から降りると直ぐにディートフリートの前でロイヤルカーテシーをする。
「姫、俺は当然の事をしたまでだ。
同盟国の王太子として、許せるものではない。
美しい礼だ、どうぞ楽にして欲しい」
さすがは俺のハイデマリー、とすでに名前を心の中で呼びながら、表面は冷静な王太子の振りでディートフリートは笑顔を作る。
「ここまで一気に駆けて来て、女性の身で疲れがあろう。
追手の心配もあるが、少し休もう」
「いえ、殿下。
追手は諦めないでしょう。
絶対に逃げて、私は国に帰ります。
これ以上は、殿下お一人の責で済まされることでは無くなります。
私は廃国の王女です、さらに殿下にご迷惑をおかけするわけにいきません。
私の、私・・」
ハイデマリーの表情が苦しげになっていき、ディートフリートは近づく。
「あう!あ!
お父様!」
ハイデマリーは、顔を両手で押さえてうずくまった。
「ハイデマリー!」
ディートフリートは、ハイデマリーを抱きしめ腕に力を入れると、ハイデマリーは崩れ落ちた。
自分の結婚式で父親が、夫になる男に目の前で殺されたのだ。
しかも自身が殺されかかっている。
ドレスに飛び散っているのは父親の血だ。
オアシスを見て緊迫状態が緩んだのかもしれない。やっと泣けたということだろう。
声も出せず震えて泣いているハイデマリーが、ディートフリートは愛しくて仕方ない。
「よく頑張った。
君が生きていて嬉しいよ」
戦場に立ったことがあるディートフリートと違い、ハイデマリーは王宮で大事に育てられた王女なのだ。
ディートフリートに手を引かれたとはいえ、よくぞここまで逃げた。
後ろでは同じように、侍女のカルロッタが座り込んでいて放心状態なのを、ルキーノとニコラが世話をしている。
砂漠は広い、ディートフリートは導かれるようにオアシスに辿り着いたが、追手が同じ道を辿るとは思えない。
一度、後ろを振り返ったが、残るはずの足跡は砂が隠してしまっていた。
あれでは、足跡を辿ることは出来まい。
少し、ここで休んでも大丈夫だろうと思われた。
何より、ハイデマリーと侍女に休養を与えたかった。
茶を沸かしてやりたいが、ここには道具などない。
ハイデマリーを抱えてオアシスの木に寄りかかって座り木陰で休ませる。
露店で買った水の入った水筒を、ハイデマリーの口元に持っていくと、水筒を手に取り飲み始めた。
水を飲むと落ち着いたらしく、ディートフリートの腕の中に凭れていることに気がつき身動きをする。
「お見苦しいところを見せて申し訳ありせん」
頬を染めて腕から逃れようとするのを、可愛いと見ながら腕の力を緩めると、ハイデマリーはディートフリートの腕から抜け出た。
残念に思いながらも、その初々しさがさらに可愛く思える。
ディートフリートはジャケットを脱ぐとハイデマリーに被せた。
「夜になると砂漠は冷える。それを着てなさい」
タフタのウェディングドレスは、袖がないのだ。
「それでは殿下が冷えます。
それに、私には何もお返しすることが出来ません」
真っ白だったウェディングドレスは薄汚れ、飛び散った血は変色している。
国から逃げ出し、金品など持ち出せるはずもなかった。
あ、と呟いてハイデマリーは髪に手をやった。
ベールを剥ぎ取っだ時に弾け飛んだが、いくつかの髪飾りは髪に残っていた。
それを外そうとするのを、ディートフリートはやんわりと止める。
「それは姫の国のものだ。姫の蜂起に使うならともかく、今ではない」
その指に光るオパールの指輪。
「姫、その指輪は?」
そう言いながら、ディートフリートも腰の剣を引き上げハイデマリーに見せる。
「これは、我が王家に伝わる剣だ。儀式に用いるよう伝承されている。
この砂漠に入った時に、この剣が熱くなったように感じた」
「同じです!
私も砂漠に入った時から、いいえ、結婚式の時から熱く感じてました。
結婚式と戴冠式に身につける王家の指輪です」
300年前には一つの国であったのだ。
砂漠で分断された為に、同盟を結ぶまでは長らく国交がなかったとはいえ、共有する文化や財が残っていたとしてもおかしくない。
結婚式で初めて会った人だというのに、助けられ、共通点を見つけたことで親近感を感じる、ハイデマリーは新たな出発を思うのだった。
必ず国を取り戻し、父の敵を討つ。
それが、今のハイデマリーが精神を正常に保っていられる全てであった。