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4.最初の戦闘

●5月1日 自宅 水沢健司


 伊吹と清美の二人が装備を取りに帰った後、水沢は地下の探索に使えそうな物がないか、家の中を探してみた。


 まずは、荷物を持ち運ぶためのリュックサックと水筒。

 停電時のために準備しておいた懐中電灯と、LEDのカンテラ、それに予備の電池。

 万一の場合、血止めに使うための包帯や手ぬぐい、それと消毒薬。

 火を興すための使い捨てのライター。

 マッピングのための筆記用具にメモ帳。

 通ってきた道順を残せるよう壁に印をつけるための極太のマーカーペン。


 通話ができるかどうかは不安が残るが、写真撮影などさまざまな用途に役立つ可能性があるため、スマートフォンも持ち込むことにする。


 万一遭難した場合など何らかの理由で、探索が予定よりも長時間になった場合に備えて、チョコレートバーなどの非常食もあった方がいいだろう。


 獲物の解体などに使えるかもしれないので、さや付きの果物ナイフも持っていく。

 本当はサバイバルナイフか剣鉈があればよいのだが、そんな物は持っていない。

 果物ナイフでは頼りないが、仕方がない。


 獲物を持ち運ぶとなれば、ボリ袋も必要だろう。大型のごみ袋を何枚か用意しておく。


 それから、ふと思いついた実験のために、庭からこぶし大の石を3個取ってきた。


 武器としては、金槌をツールホルダーに入れて腰に下げることにする。

 清美か伊吹かのどちらかが、もっと良い武器を用意してくれている可能性もあるが、自分でも準備しておいても問題はあるまい。


 とりあえず、自宅にある道具で準備を済ませたところで、伊吹と清美が戻ってきた。


 伊吹は、警備で用いる防具を取り出すと、それを水沢と清美の二人に渡した。

「剣道や薙刀の防具よりは、こちらのほうが実戦ではよいじゃろう。清美も道着ではなく、こちらの制服を身に着けてくれ」

「分かったわ。それでこのベストは何?」


「これは、防刀ベストじゃな。少々の切り傷や刺し傷なら防ぐ効果がある。まあ、過信は禁物じゃが無いよりはよかろう」


「日本刀で、全力で切りつけたらどうなるの?」

「致命傷は防げるかもしれんが、完全に傷を負うのを防ぐのは無理じゃな。それに衝撃は防げんから、切り傷の他に骨折もすることになる。それに、腕や足は無防備じゃから、まずは攻撃を受けないことを、第一に考えてくれ」


「現金輸送を行う警備員が身に着けている、全身を覆う本格的な防具はなかったの?」

「それも考えたんじゃが、あれは結構重いんじゃ。どのぐらい歩くか分かっとらんのに、重い装備を身に着けたら体力が持たんと思って今回はこれにした」

「確かにお二人はともかく、私の体力では無理そうですね」

 肺の病を抱え、体力に不安のある水沢が同意する。


「こっちのヘルメットは、防弾ヘルメットってやつなの?」

 ヘッドライトの付いたヘルメットをいじりながら、清美が問いかける。

「そんな訳があるかい。普通の警備会社に何を期待しとるんじゃ」


 伊吹の言葉に、水沢が苦笑しながらがら説明を加える。

「まあ、銃がほとんど流通していない日本では、相手が銃で武装している前提で防御すること自体があまりないですからね」

「そうなの?」

「そうじゃ。だから、防弾ベストではなく、防刃ベストだと言っとるだろうが」


「こっちのは何ですか?」

「それは、ネックガードじゃ。首に巻いて、首を守るものじゃ」


「ああ、それから水沢にはこれを持ってきた」

 そう言いながら、伊吹は透明な大盾を渡す。


「ポリカーボネイト製の盾じゃ。軽いが金属の盾よりも頑丈にできておる」

「武道の経験のない素人に刃物を持たせても、使いこなせないだけで、逆に危険だからの。これで身を守ることを第一に考えてくれ」


「分かりました。それと、武器の代わりに金槌を準備しておいたのですが、これはどうしましょうか?」

「それぐらいなら問題はなかろう。とは言っても、むやみに振り回さんようにな」


「それじゃあ、私は居間を使わせてもらうから、二人はリビングで着替えて頂戴。準備が終わったら、いよいよダンジョンに挑むわよ」

 そう言って清美は二人を急かすのであった。


●5月1日 ダンジョン 水沢健司


 ダンジョンの中は、天井のあちこちがぼんやりと光っており、完全な暗闇というわけではなかった。

 もっとも明かりがあるとは言っても、ダンジョンの明かりだけでは、かろうじで物の輪郭がわかる程度でしかなく、ヘッドライトとカンテラの明かりが頼りといっても過言ではない。


 ダンジョンの入り口で、一行は一旦立ち止まり、周囲を観察する。


「しかし、LEDランプがきちんと動作して助かったわね」

 清美の言葉に、伊吹が不思議そうな顔をする。

「そんなこと、あたりまえじゃろ」

「いやいや、ネット小説なんかじゃ、ダンジョン内では電子機器が一切動作しないという設定もよくあるのよ」


「やれやれ。ゲームのことといい、いい歳して何を言っとるんじゃ」


「私は、昔からSFとかファンタジーとかが好きだったからね。歳をとったからといって、そう変わるののでもないわよ」

 清美は胸を張りながら、堂々と宣言する。

「まあ、高校、大学とSF研究会に入っていた経歴は、伊達じゃないわよ。今でこそ、お婆ちゃんだけど、私にも若い時はあったんだから」


 それを聞いた伊吹は、意外そうな顔で聞き直す。

「薙刀部じゃないのか?」

「掛け持ちよ!」


 二人のやり取りを聞いていた水沢は、ふと思いついてスマートフォンを取り出してみた。


 その様子に気づいた伊吹が、水沢に話しかける。

「こんなところに来てまでスマホか? 周囲に注意しとかんと危ないからやめとけ」

「そうでは、ありません。清美さんが電子機器の話をしたので、スマートフォンはどうかなと思って確認してみたのですよ」


「それでどうなの?」


「スマホ単体としての動作は正常のようです。写真や動画の撮影も問題なさそうです。ただ、電波については圏外になっています。電話やネットは使用不可ですね」


 そう言いながら、ダンジョンと外との境界を往復し、電波の状況を確認する。

「やはり、ダンジョンの境界で電波が途切れているようですね。一度、トランシーバーを持ち込んで、ダンジョン内部で使えるかどうか確認してみても面白いかもしれません」


「それで、動画でも撮りながら進むの?」

 そう言いながらも、清美は撮影することにはあまり気が進まないようだ。


「ヘルメットにでも取り付けるアダプタでもあれば自動的に録画できますから、それもありかもしれません。ですが、私たちはそのようなものを持っていません。さすがにスマホを手にもって録画しながらでは、周囲の安全確認がおろそかになるでしょう」


「私たちの目的は探検ですからね。安全確認をおろそかにする訳にはいきません。私たちの目的からすれば、資料としての動画や写真は、安全が確保されてからで十分でしょう」


 その言葉を聞いて、清美は楽しそうに同意する。

「まあ、そうだよね。動画よりも探検。先に進むのが優先だよね」


 伊吹が周囲を見回しながら、二人に話しかける。

「それにしても、思ったよりも中は広いな。天井まで10メートルはありそうじゃし、道幅も5メートルはある。天井の高さを考えると、地下というよりは半分以上地上に飛び出しているはずなのに、一体どうなっておるんじゃ」

「そんなの今更でしょう。『門』の前から見ても後ろから見ても地下への通路がある時点で、空間がゆがんでいるのは明らかじゃない。それにしても、奥行きも相当ね。向こうの分かれ道らしきところまで、数十メートルはありそう。まあ、私の薙刀を自由に振れる広さがある分には、特に問題はないんだけれど……」


「少し待っていてください」

 そう言ってから、水沢は壁にマーカーペンで矢印と出口と書き込む。

 それを見て、清美が首をかしげながらつぶやく。

「書いた字が、勝手に消えたりしないかしら?」

「なんじゃ、それは?」

 清美の言葉に、伊吹が疑問を持つ。

「ダンジョンの中では、時間が経つと最初の状態に戻り、目印が無くなるという設定もよくあるんですよ」

「それも、ゲームの話か?」

「そんなところです」


 水沢はそう答えながら、こぶし大の石をリュックから取り出し、地面に置く。

「この石も、消えないかどうかの実験です。例によって、時間が経つとダンジョン内の異物が無くなるかどうかの実験です」

 その言葉に、伊吹がぎょっとしたように水沢に詰め寄る。

「おい、それって時間が経つとわしらも飲み込まれると言っとらんか⁉」

「まあ、そこはこのダンジョンが一方的な殺戮を企んでいるのではない可能性にかけるしかないでしょうね。なに、芝公園のダンジョンで、警察官や消防隊員は無事に帰ってきたんです。大丈夫ですよ……多分」

「なんとも頼りない話じゃのう」


「それじゃあ、準備もできたようだし進みましょう」

 清美がそう言って先頭を切って通路の奥に進み始めた。


    ◇◇◇


 最初の分岐点まであと10メートルほどの場所で、水沢たちは襲撃を受けた。

 伊吹や清美が武道の達人であるといっても、ダンジョンについては素人である。天井にいる存在については完全に意識の外であった。


 このため、最初の襲撃は完全な奇襲となった。

 相手は天井から滑空し、音もなく水沢の肩に飛び乗り、彼が反応するよりも先に、首筋に相当な力で噛みついた。

 水沢はパニックを起こし、悲鳴を上げようとするが、のどが圧迫されてうまく声が出ない。

 ようやく異常に気付いた伊吹と協力して、何とか襲撃者を引きはがすことに成功し、相手を地面に叩き付けた。


 清美が地面に落ちた相手にとどめを指している間も、水沢はぜえぜえと荒い息をするのが精一杯であった。


「おい、大丈夫か?」

 伊吹の問いかけに、水沢は青い顔で答える。

「何とか無事です。もっともネックガードがなかったら危なかったかもしれませんが」


 清美が死体の口もとを調べながらつぶやく。

「うわあ、ネックガードに牙が食い込んでる。これは、冗談抜きで本当に危なかったわね」

「警察や消防にけが人がいないというニュースで少し油断していたかもしれません。伊吹さんが防具を用意してくれて本当に助かりました。まさか、ここまで初見殺しの相手がいるとは……」


「どうする。引き返すか?」

「いや、危険があるのは最初から予想できたことです。我々の心構えが不足していたことは確かですが、ここで引き返しては何も得るものがありません。進みましょう」

「やれやれ、じゃがけが人が出たら、けがの度合いに関係なく引き返すぞ。いいな」

 二人が諦める様子はないのを見て取った伊吹はとりあえず進むことに同意したものの、撤退の条件は譲るつもりはないと強くいった。


 息が整い少し冷静になった水沢は、とどめを刺した清美に問いかける。

「それで、私を襲った相手は何だったんですか?」

 彼女は、体長50センチほどのトカゲの死体を見せる。

 そのトカゲの胴体には皮膜が付いており、それを使って滑空することができるようだ。

 皮膜といっても、翼竜やコウモリのように指の間に膜があるのではなく、数本の肋骨が胴体の外に飛び出し、その間に扇状の翼膜が形成されている。


「トビトカゲの仲間かしら?」

「かもしれません。もっとも、普通のトビトカゲは虫を食べるため、大きな牙はないはずです。まして、人間のような自分より大きな相手を襲うことはないでしょう」


「そう考えると、こいつも立派なモンスターと言うわけね」

「ええ、なりは小さくとも、油断すれば人間の命を奪えるモンスターです」

 そう言いながら、水沢はトカゲと一緒に地面に叩きつけたネックガードを拾い上げる。

 トカゲの血で汚れたネックガードの臭いに水沢は顔をしかめるが、命には代えられないと諦めたのか首元にそれを装備し直した。


 トカゲの死体を手にしたまま、それを眺めていた清美がいいことを思いついたというふうに楽しそうな顔で、他の二人に話しかける。

「ねえ、こいつ食べられないかしら」

「はあ? いきなり何を言い出すんじゃ」

 伊吹があきれたように問い返すが、清美はお構いなしであった。


「ほら、少し前のゲームでも『おいしく焼けました』とか言って、モンスターの肉を食べるシーンがあったじゃない。あれと同じように、食べてみたら案外おいしいかもしれないわよ」

「そんなゲームのことなどわしは知らんわい。もし毒があったらどうするんじゃ」

 伊吹が大声で反論するが、清美はお構いなしに、トカゲの口の中を覗き込んでいる。

「うん、口の中を見たけれど毒牙らしきものはないし、大丈夫じゃない? カエルとかの両生類だど皮膚に毒がある種類もいて危険かもしれないけれど、爬虫類なら牙に毒がなければ大丈夫だと思うわ」

「こんなおかしなところに住んでいるトカゲを地球のトカゲと一緒にするな。第一その爬虫類は安全という俗説にしても、本当かどうか分からんじゃろうが」


「まあ、食べるかどうかはともかく、調査のために資料を持ち帰るのは賛成です。もっとも、ダンジョンを出た瞬間に死体が消える可能性もありますが」


「それも、ゲームの知識か?」

「そんなところです」

「でも、それを言ったら倒したとたんに、死体が消える可能性もあったのよね。それを考えれば、ダンジョンの外でも死体が残る可能性は高いんじゃないかしら」

「確かにその通りですね」


 取り合えず死体を持ち帰ることには反対の声はないようだと見た清美は、死体の処理にかかる、

「じゃあ、早速血抜きしとくわね」

「食べるとは言っとらんのじゃが……」


 清美が死体の処理をしている間に、水沢は懐中電灯をリュックサックから取り出す。

 天井や壁を懐中電灯で照らしながら、二人に告げる。

「これからは、天井や壁、ついでに床にも、さらに注意を払いながら進むことにしましょう」


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