不可視存在(4)
テレビでほぼ全てのチャンネルが、トヨサキ精機の緊急記者会見を生中継し始める。
現実に戻ったマチは、企業警察の自分のブースで、その映像を思考通信で確認していた。中身は見なくてもよく知っている。マチは主体的に捜査と追跡、解明に関わっている。
視界の隅に赤い点滅。思考通信だった。赤い点滅の下に、最高レベルの秘匿回線を意味する表示がついている。
即座に受けると、相手は音声のみでつながった。
(今回の件は、御苦労だった、マチ三等警部)
(いえ)
思考で返しつつ、マチは相手が知らない声であることにやや戸惑った。
(君の能力にはおおよそ満足している。あの殺人は余計だったがね)
(それは、失礼しました。罠に気づけず)
マチの衝撃銃への細工もまた、罠だったのだ。
相手はたっぷりと間をおいて、マチを引きつけ、結論を口にした。
(君への報酬は十分に与えられる。六ヶ月だ。それでいいか?)
六ヶ月。その言葉を脳内は反芻して、それでもマチは心をつく気持ちを隠せなかった。
(ありがとうございます。感謝します)
こんなにへり下ることはない、正当な報酬だ、とマチは考えようとしたが、それが不可能だった。
正当な報酬など、ありえない。無理なことを通し、どこまでもその無理を通すためにトヨサキで働いているのである。
(今後の働きに期待する)
言葉を残して、通信は切れた。
しばらくぼんやりとブースの壁を眺めていたマチは、首を振ると、椅子から立ち上がった。
松代シティの上空を巡る、飛行島。その一番島の地中に、その場所はあった。
真っ暗闇の部屋に明かりが灯り、唯一の出入り口のドアが音もなくスライドし、そこからマチが部屋に踏み込んだ。
背後でドアが閉まると、マチはこの部屋に入った時にいつも感じる心許なさを、意識しないように努めた。
この部屋は完全な隔離空間で、思考空間へのアクセスは全てが不可能なように設計されている。それでもマチの頭には、思考錠が取り付けられている。
その部屋の真ん中にある椅子に、一人の女性が座っている。
正確には、拘束されていた。両手両足が金具で椅子に固定され、顔にものっぺらぼうの仮面が付いている。
部屋には明らかに人工の匂い。そして部屋の隅には多機能ドロイドが数台、待機している。
マチが歩み寄ると、女性の仮面が自動でスライドした。
仮面の下には、どんな芸術も及ばない、完全な美貌があった。不自然に見えるほどだが、しかしその完璧さは、人工的に作ることはできない、と見た者は考えざるをえない。
「久しぶりだね、マチ」
女性の凜とした声には張りがあり、跳ねるような調子だった。
「今回はどれくらい私の処刑が延びたのかな?」
「半年だよ。残念だったな」
マチは女性と距離を置いて立ち止まる。近づくのを恐れているように見えるが、まさにマチは彼女に近づくのを恐れていた。
ニヤニヤと笑うその女性の顔は、どこか毒々しい気配を覗かせる。
「私を生かしておいても、仕方ないわよ、マチ。そんなに師匠思いだと、少し、本当に微かに、原子一つ分くらい、うれしいけれど」
「そうかね」
どっと疲れを感じるマチは座りたかったが、椅子はない。そもそもこの部屋は面会を前提にしていない。
「そろそろ」マチは無駄と分かっても、言わずにはいられなかった。「改心して、協力してくれないかな。その才能を無駄にする必要はない。ここから出るべきだ。罪を償い、正義の道を歩くべきだ」
「そんなことを言いに来たの?」
女性の即答に、マチは首を振るしかない。
「ねぇ、マチ。私は別に自分が間違っていたとも、間違っているとも、思っていない。するべきことをしただけ。正義なんて、捨て置きなさい。それに、世に名高い「現代の魔女」の弟子が、企業警察の使い走りをする必要なんてないわよ。私のことなんて、忘れなさい」
「俺だって、そんな言葉を聞きに来たわけじゃないさ。そして、正義を論じたいわけでもない」
マチは力なく言い返し、黙る。黙るしかなかった。
彼女、「現代の魔女」とも呼ばれる存在は、情報系、思考通信系の関係者なら、知らぬ者はいない人物である。
数年前、唐突に現れ、最初は三年先の技術者、と呼ばれ、次に、五年先を行く天才、と呼ばれ、その後には、十年先を行く奇跡、と賞賛された。
しかし、その彼女は大規模な情報テロを起こし、大混乱、そして大虐殺の渦に世界を叩き込み、結果、その称号は「現代の魔女」と変化した。
彼女は捕らえられ、死刑となったが、その彼女は未だ生きている。
マチが企業警察に協力する限り、彼女の死刑の執行はその協力の成果如何で延長される。
今のところ、彼女の処刑は三年四ヶ月ほど先に設定されていた。
マチは深く息を吸うと、顔を上げた。
「また来るよ」
「もっと気楽に来ていいのよ。さすがに私でも退屈だわ。次世代の思考存在を設計するのも、煮詰まってきたから。そろそろ記録装置も欲しい、自分の頭脳以外に」
「その話は聞きたいな。それも詳しく」
皮肉げな表情を作りつつ、マチはかつての自分の師にそう促す。
返事もやはり皮肉げだった。
「話すには時間が足りないわ。そして、もし話すとしたら、刑が執行される前の日にする」
「それなら」
気力を奮い立たせ、強気にマチは応じた。
「残り一日になった時、その話を聞いて、それから仕事をして執行を延期させるさ」
「小賢しいこと」
今度は師が俯き、弟子は師をまっすぐに見つめた。
そのまま二人は黙り込み、やがてマチが身を翻した。
「また来るよ」
「どうぞ」
マチが部屋を出て行く。部屋に一人残った女性の顔を仮面が覆い、そして部屋の電気が消える。真っ暗闇の空間に、生の気配はない。
沈黙、静寂、無音。
時間の流れさえ曖昧な、特殊な世界が再び生み出される。
一人の女性を拘束するだけの、そのためだけの世界。
トヨサキ精機の全ての情報処理基地がアップデートされ、工作員によって設置された偽物の仮想情報処理基地は解体された。その中で貴重な技術や手法が浮かび上がったのは、トヨサキには思わぬ副産物である。
情報処理基地の複製を行ったのが誰か。
調査の中で、アイサカ技研という企業の関与が浮かび上がったが、責任者が謎の死を遂げ、詳細は不明のままに終わった。
責任者が死に際に個人的な情報も、仕事上での情報も、全て焼き払っていた。これはやや過剰な身辺整理と言えるが、実際に起こってしまっては、どうしようもない。
何者かが裏にいるのは明らかだが、これをトヨサキの企業警察が表立って捜査するわけにはいかない。捜査するのは首都警察か、アイサカの企業警察になる。
それでも細々とトヨサキも捜査しているが、成果は少ない。
トヨサキとしては、この件による風評の悪化を振り払うのに、必死の努力の日々だ。
マチはタカギのことを密かに調べたが、何の情報もなかった。昔の知り合いに接触したが、目立った話は聞かない。今は傭兵になっている、という話も聞いたが、詳細までは伝わってこなかった。
トヨサキに提出された報告書は、主にマチが作成し、説明も行った。
マチの主張は、何者かがトヨサキ精機の情報処理基地に情報工作を仕掛け、それはトヨサキの企業警察による不正を捏造し、トヨサキを自滅させることにあった、というものだ。
情報処理基地への工作により、トヨサキはその衝撃銃の管理に関するすべての情報を謎の敵に完全に握られ、さらに支配された。
その結果、ありもしない不正を、実際にある不正とすることが可能になる、という状況が発生した。
最初の警官の不審死や、次に起きた警官が警官を衝撃銃で殺害したというシチュエーションは、すべて、仕組まれていたのだとマチは考えている。
その場面における裏事情は、トヨサキの支社ビルの屋上で顔を合わせた背広の男がよく知っているだろうから、当然、トヨサキの上層部はマチ以上に知っているはずだ。彼らにはマチには想像もつかない、強靭で広い情報網があるはずである。
全てが、はず、という表現を付与しなくてはならないが、これはほぼ確定的な、はず、だとマチの感触は告げている。
死体に残っていた衝撃銃で撃たれた痕跡がトヨサキの衝撃銃であるのは、もちろん、トヨサキに疑いを向けさせるためだ。その衝撃銃がどこから出たのかは、はっきりしている。
トヨサキの特殊部隊が制圧した衝撃銃の密造部隊の元に、トヨサキの衝撃銃と全く同じものが多数、存在した。そこで作られた衝撃銃が、一連の殺人の凶器である。
この点でも、トヨサキはまさに攻撃されていたのだ。トヨサキは不法に衝撃銃を所有している、密造している、とも攻撃できるし、それが無理でも、密造された衝撃銃で犯罪が行われれば、それは自然と、トヨサキの衝撃銃が密かに使われている、ということになる。
トヨサキの企業警察の、衝撃銃の管理の不完全や、警官による警官殺し。それだけでもトヨサキの企業警察への不信には十分だが、敵はその次に決定的な場面を作った。
マチ自身が、殺人を犯す場面を、首都警察とマスコミに発見させたのが、それだ。
これは身内を殺す警官殺しとは明らかに質が違う。
民間人を殺しているのだ。
それも警告なしで、殺傷出力で、殺している。過剰な暴力そのものだ。
しかしそれも相手の仕組んだ罠である。複製の情報処理基地からの指令で、マチの衝撃銃は遠隔操作で、非殺傷出力から殺傷出力へ、切り替えられていた。
不幸なことに、あの男は犠牲になるべくして、あそこにいたわけだ。
マチはすでに、あの男が民間人ではないことも知っているし、それはトヨサキも承知している。あるいは首都警察もマスコミも確認しているかもしれないが、残念なことに、彼らは自分に都合の悪いことには絶対に触れない。微塵も。
この民間人殺しが、トヨサキの致命傷になるはずだった。しかし、それはあのトヨサキの支社の屋上にいた背広の男とおそらくその配下、そしてマチの機転と閃きから、まさに首の皮一枚で、トヨサキの命を奪いきれなかった。
こうして、マチはタカギの工作を暴き、彼女を拘束しようと罠を張ったわけだが、しかし、確保には失敗した。失敗したが、トヨサキの情報処理基地が破綻することは防ぐことができた。
これはトヨサキを救う一方、マチへの評価もまた、ギリギリのところで救い上げる結果になった。
とりあえずの落着の時になり、マチは報酬を得て、また日常に戻ったのだった。危うくマスコミに殺人犯として触れて回られるところだった。マチもまた今回は冷や汗をかいたのは間違いない。
そうして再び始まった日常のある日、マチは昼休みに食事に出ていた。企業警察のオフィスに近い、カフェである。合成パン、合成肉、擬似野菜で作られたサンドイッチを食べつつ、電子新聞を視覚に投影して読んでいると、誰かが向かいにいるのに気づいた。
マチが視線を上げると、どこにでもいそうな中年男性が立っている。
「ニジ・マチさんですね」
警戒しないわけがない。マチは油断なく、微笑んでいる相手を見た。もちろん、新聞は消しているし、相手の映像を記録し始める。
「そちらは?」
男は背広の内側から名刺を取り出して、渡してくる。電子名刺ではない。本物の紙だ。マチは名刺を持ち歩かないが、しかし、相手はマチを知っているのだから、名刺を出す以前に、こちらから名乗る必要もないと判断した。
受け取った名刺には、カイリ・マツモトと書いてある。
社名は、フジイ情報社、だった。すぐに記憶と結びつかない。役職は、営業課長補佐。
「何か、情報関係でお手伝いできれば、と思いまして。ただそれだけです」
マツモトは照れたように笑ってそう言うとすぐに頭を下げた。かすかに香水の匂い。
「また、ご縁があれば」
そんな言葉を残して、男は去っていった。後ろ姿を目で追う。
「フジイ情報社……」
マチは視線を名刺に移す。
どこかで聞いたことがある、と考えていると、タカギの顔が反射的に脳裏に浮かび、そこで気づいた。こういう瞬間に、マチは直感というものに偉大さを感じる。
フジイ情報社、その名前は数年前、「月の兎」作戦の時、そういう企業から来た奴がいた、と思い出した。それはタカギではない。誰だったかは思い出せなかった。過去の記録を当たれば、分かるかもしれない。
当時は今の自分の立場や職業を全く予想しなかったので、連絡先を知らない仲間も大勢いた。何せ、情報通信でも思考通信でもなく、実際に顔を合わせて作戦を進めていた。それも十人や二十人じゃない、百人を軽く超える人間がその場にいたのだ。
マチは顔をしかめて、過去の記録を確認するのを保留した。
どこの会社に所属しようと、その会社がどんな会社にせよ、あのマツモトという男は、とにかく胡散臭い男だな、というのがマチの第一感で、つまり、関わらない方がいいだろう、というのが結論だった。
しかし、少しは調べる必要もある。マチは今後の調査の方法を思案しつつ、気持ちを切り替えた。
名刺をテーブルに置き、置いたままにして、素早くマチはサンドイッチを食べ終わり、合成コーヒーを飲み干し、席を立った。名刺にはもう見るのも触れるのも、嫌だった。やはりどこか、薄気味悪いのだった。非科学的ではあるが。
個人認証で精算して、マチは名刺のことなど見なかったかのように、店を出た。
もちろん、路上からマツモトの姿は消えている。
頭上には様々な広告用の立体映像が浮かび上がっている。そこを文字が踊って取り巻くのが目まぐるしい。そして映像や文字の隙間を飛行車両が飛び交うのが、高架の脇に覗く。
市街を行き交う人々や車両が発する、生気とでも表現するべき、人が生きていることを示す、かすかな、しかし押し寄せてくるほど密度の濃い生活音。
確かにこの街は現実に生きている。常に変化し、どこかへと向かっていく。
マチが歩き出したのは、これといって特徴のない、松代シティの、普通の昼下がりである。
彼にとってもまた、日常の中の一コマであり、それが何よりも幸せだと、彼はまだはっきりとは考えてもいないのだった。
全ての人間が、未来においてしか理解できないように。
身近で、曖昧で、しかし何よりも尊い、日常というものを、ただそのままにして、誰もが生きていく。
生きている限り、休むことはできないのだ。
(了)