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不可視存在(3)

 ギブスンが小型ドローンを無数に放ったお陰で、マチは松代シティの路上で、目的の相手の背後に張り付くことができた。

 見たところでは変わったところはない。一般市民にしか見えない。

 思考でギブスンと打ち合わせをしつつ、尾行する。ドローンによる監視は法規制があり、記録や追跡が過剰になると裁判で不利なので、ここでドローンの数をかなり絞ることになった。実際にマチが見ているのだから、逃すはずはない。

 マチは男を尾行し続けたが、一日、移動し続けた男は夕方になって、松代シティの外れにある古い安宿に入った。一日の尾行は、マチに相応の疲労を与えていた。

 安宿の出入り口が見える位置を探し、路地があったためにそこに身を潜めたマチは、ゆっくりと深呼吸する。

 ドローンを使ったとはいえ、ドローンを過剰に信用しないのが彼のスタイルである。マチは自分の感覚が最も信頼できる、と考えている。

 仲間の捜査官の協力を仰ぎたかったが、ほとんどがそれぞれに身内の警官の被害者と加害者のことを調べていて、手を借りられなかった。マチにとっては不利だったが、こうして尾行ができたのだから、それは問題なかったと言えた。

 安宿の前でしばらく待ったが、動きはない。ここで監視用のドロイドに引き継ぐのは合法だ。マチ自身はすぐに出動できる場所で待機すればいい。

 そう思ったまさにその時、安宿から男が出てきた。まっすぐにマチの方へ向かってくる。

 察知されたか、と思ったが、どうするべきか、決心がつきかねた。これは明らかに疲労の影響である。決断力の低下。

 路地から飛び出すことで、相手の不意をつけるのか。あるいは向こうはこちらに気づいておらず、こちらから姿を表す結果になるかもしれない。もちろん、マチに関心がないなら、マチが路地から出たところでなんでもない。

 迷ったのは一瞬だった。結局、じりっとマチは路地の奥へ後ずさり、姿を完全に路地の陰に消そうとした。つまり、男はマチに気づいていない、と考えを定めた。

 これならもし相手が向かってきても、狭い路地の中で一対一、逆に確保すればいい。

 マチが見ている前で、路地の出入り口に、男が立った。

 その手には銃のようなものが握られていた。

 勘は外れた。相手の狙いはマチだった。気づいたが、遅い。

 失敗した、と思ったのも一瞬。

 マチは身を屈めて相手に突っ込みつつ、ポケットからカードを取り出す。

 手元で衝撃銃が展開され、同時に、頭上を何かが突き抜ける。不可視の、致死性の衝撃。

 相手も衝撃銃だ、と考えるのと同時に、マチと男の間合いが消滅。マチの空いている手が男の衝撃銃を上に跳ね上げ、もう一方の手の衝撃銃を心臓に照準する。

 が、相手も、片手でマチの衝撃銃を逸らす。発砲が一瞬遅く、外れる。

 至近距離で回し蹴りを繰り出すが相手は防ぐ。それをマチは強引に振り抜き、距離を作る。

 よろめいた男に向けて、マチが照準。が、相手の銃口に殺気。

 体をひねり、足への攻撃を回避するが、完全には避け損ね、足に痛みと衝撃、体のバランスが崩れる。

 その中で男の衝撃銃を弾き飛ばすためにそこを狙い撃つ。

 発砲。命中せず。

 転がったマチは狭い路地で身動きが取れないため、立ち上がらずに左に右にと転げるようにして、男との間合いを詰める。その間にも衝撃がいくつも体をかすめる。

 男が一歩後退し、そこはすでに路地の外。

 逃げる、と判断したマチはしゃがんだ姿勢で発砲姿勢を取る。

 男も銃を構えた。

 発砲は同時。倒れたのも同時。

 しかし、起き上がったのはマチだけだった。

 深く息を吐いて、左肩を抑える。激痛を発する左肩に力が入らず腕を支えられない。衝撃銃は右手だけで握り、左腕は垂れ下がっている。

 肩に衝撃銃の一発が命中したのだった。しかし命と比べれば安いものだった。

 路地から出て、道路に倒れる男をマチは確認する。衝撃銃による攻撃なので、出血もない。男の顔は少し苦しそうだが、眠っているようだった。

 が、マチはここで気づいた。

 男は、死んでいる。

 混乱しながらもマチは自分の手元の衝撃銃を確認し、出力が非殺傷に設定されているのを見た。しかし、実際は違った。なぜ、殺傷出力だったのか、マチには全くわからない。

 無意識に男の手がまだ握っている衝撃銃を取り上げる。

 仔細に観察しようとした時、マチは気配を感じ、その正体にすぐに考えが及んだ。

 一気に意識が冴え、目を閉じて、思考を思考世界に飛び込ませる。同時に自分の位置情報から、たった今の自分の周囲にある監視カメラの存在を探知する。思考世界に連結されている監視カメラを全て掌握。

 監視カメラの中でも、思考世界に連結されていないものは、その設置された記録のある場所の電源を操作できるなら操作し、機能を停止させる。

(ギブスン、まずいことになった)

 思考を現実に戻す。思考していた間は一瞬だったが、マチには長く感じられた。

 視界の隅にウインドウが開くはずが、開かない。疑問に思っているうちに、マチは理由を目の前で知ることになった。

 手のひらサイズの多機能カメラを持った男が二人、マチを撮影しながら姿を見せたのだ。隠れていたのは間違いない。たった今、マチが男を射殺したシーンを録画していたのである。

 そしてそのカメラの横には、首都警察の警官が数人、控えていて、その向こうには首都警察の飛行車両がゆっくりと降りてくる。

 全てはこの瞬間のために用意されていたのだ。

「武器を捨てろ!」

 首都警察の警官が怒鳴る。

 もちろん、マチとしては、抵抗しても意味がない。ギブスンが反応しないということは、トヨサキも今のマチの状態を把握しているのだろう。トヨサキはマチを切って捨てる準備を始めている可能性もある。ただ、マチを切れば、マチが何を口走るかわからないから、まだ切られるかは、はっきりしない。

 まずは我慢だ。

 マチは男の持っていた衝撃銃をまず捨て、次に自分の衝撃銃を捨てた。

 そして苦労して、両手を上にあげた。

 首都警察の警官が、にじり寄ってくる。


 首都警察の車両の中で、マチは手錠をかけられ、警官に挟まれて座っている。左肩が痛むので、動かずにいる。脚の方は痺れる程度。

 マチはカチューシャを没収され、代わりに思考世界へ入れないように、接続を制限する思考錠をつけられていた。

 そのマチは考えを進めている。

 つまり、偽造の衝撃銃を使った殺人は、殺人自体が目的ではなかった。

 全てはトヨサキの企業警察を罠に嵌めるために行われていたのだ。

 トヨサキに捜査させ、やがては犯人をちらつかせ、銃撃戦に巻き込み、犯人を射殺させる。

 その一部始終を記録し、マスコミにも流し、それによってトヨサキを破滅させる。

 どこかの企業の策謀のはずだが、どこなのかはマチには見当がつかない。

 トヨサキの警官の死とその捜査も、あるいは利用されているのかもしれない。

 飛行車両が大きく旋回。

 マチは顔をしかめつつ、自分が罠にはまったことを悔しがるしかできない。

 それにしても、どうやって衝撃銃を運用したのか。実際にマチは自分を攻撃した男が衝撃銃を持っているのを見た。その衝撃銃は、マチの持っているトヨサキの企業警察が運用しているものと同じだった。

 その点さえも、トヨサキを陥れる意図を感じさせる。

 しかし、なぜ、自分の衝撃銃が殺傷出力だったのか、マチにはやはりわからない。

 何かがマチの心理に引っかかった。

 トヨサキを罠に嵌めるのなら、偽造衝撃銃は、トヨサキの運用している衝撃銃、とするのが自然だ。実際、型式は同じに見えた。そこは筋が通る。

 それなら、記録の面、情報の面でも、トヨサキの関与を決定的にする罠があるのではないか。

 不正の記録がありさえすれば、トヨサキは弁明も許されず、処罰される。

 記録や情報さえも、改変されている可能性。

 考えてみれば、記録が偽装されているとすれば、全てが可能になる。

 トヨサキの記録や情報などに工作がされているとすれば、そこから相手を特定できそうだ。

 このことをマチはギブスンに伝えたいが、既にそれは無理だった。

 いよいよ顔をしかめるマチを乗せた飛行車両が、ゆっくりと降下していく。警察署に到着したらしい。首都警察の取り調べは、違法だと噂されている。マチはこれからの取り調べという拷問をどうやり過ごすか、考え始めた。

 車両が着陸。マチの左右の警官が虚空を見てから、お互いに顔を見合わせる。その表情は不快げでマチはそれを見て、不思議に思った。

 警官のひとりがマチの手錠を外したのは、その直後だった。思考錠が外され、カチューシャが手元に戻ってくる。衝撃銃も返ってきた。

「釈放だ」

 警官がそう言ってドアを開け、早く出るように促す。

 マチはまだ状況を把握できてないが、右手でカードをポケットに入れ、カチューシャを手に提げて警察車両を降りた。

 強い風が吹く。周囲のビルの様子で、今、飛行車両が着陸したのがトヨサキ精機の松代支店の屋上だとわかった。トヨサキの企業警察の警官だが、この建物に来たことはマチはほとんどなかった。

 マチの背後でドアが閉まり、警察車両が飛び去っていった。

 屋上で待ち構えていた背広の男が不機嫌そうな顔で歩み寄ってくる。

「ニジ・マチ三等警部だな?」

「そうです」

 マチは一応、敬礼する。しかし手にカチューシャを持ったまま、ラフに。

「あなたは?」

「私のことはいい。今回の面倒を処理する係だ。警察のオフィスまで送るから、しばらくここで待っていたまえ。飛行車両が来る」

 今回の面倒を処理する係、ということは、処理できる、処理した、ということとマチは解釈した。

「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

「ふん」

 背広の男が睨むようにマチを見た。

「どうやら我々を陥れるつもりの奴らがいる。それを逆に潰すのが、私たちや君たちの役目だ。そのための道筋は、ついたか?」

「おおよそ。しかし、大事になりますよ、これは」

「知っている。私は君以上に知っている。大事になる? 別にいいさ」

 マチの考えていること、マチの推測を知っているはずもない男が、軽い調子で応じる。どこか説得力のある、そんな口調。

 男はタバコを取り出した。本物のタバコは最高の嗜好品で、とんでもない税率になっている。超高給取りだけが楽しめるものだ。マチは本物のタバコは数回だけ吸ったことがある。その時、この嗜好品が、いくら法外とも言える値段でも、健康を害しても、嗜む理由を理解した。

 一本、くわえた男が、マチにも勧めてくる。マチは丁寧に断った。半分は遠慮、半分は気後れだ。

「トヨサキに手を出せばどうなるか、教えてやれ」

 男はタバコに火をつけ、深く息を吸い込むと、煙を盛大に吐いた。蠱惑的とも思える香りが風に流れて消える。

「徹底的にな」

 男の酷薄な、冷酷な声もまた、風に流れ、消えた。

 松代シティを彩る様々な投影映像を背景に、飛行車両が屋上に近づいてきた。


 企業警察のオフィスに戻り、ギブスンがマチを迎えた。目が少し光っている。

「肩が痛むが、それは別にいい。どうやって俺を解放させた?」

 ギブスンのブースで、マチは背中を少しだけ壁につける。ギブスンは少し歩いて疲れたのか、椅子に落ち着いている。

「トヨサキ精機のお偉いさんが取引をした。首都警察、マスコミ、との三者の取引だ。もちろん、それだけじゃなく、俺が首都警察に不利になる情報を提供したりしたがな」

「不利になる情報?」

「連中、お前を確保する時、ちょっと暴力的すぎたのさ。あとは、周囲の記録装置をお前の追跡や逮捕に強引に利用したことも、ちょっと違法だった。その辺りがこっちに有利になった。誰かさんが記録装置は乗っ取っていたようだけど」

 マチを大きく息を吐き、

「病院に行く。たぶん、すぐ帰れるだろう。その前にギブスン、警官の変死事件の後から今日までの、トヨサキ精機の衝撃銃の使用履歴をまとめて、俺に送りつけてくれ」

「そんなもの調べて、どうする? 俺がこの前、調べたぞ」

「気になることがあってな。じゃ、行ってくる」

 マチはギブスンを残し、そのままオフィスを出ると病院へ向かった。

 すぐにギブスンから頼んでいた情報が来た。マチは自動運転のタクシーに乗りながら、思考だけは激しく思考世界を走り始めた。

 肩の痛みは気にならなかった。


 トヨサキ精機の企業警察の中にも特殊部隊はある。

 この特殊部隊が、その夜、松代シティの最外周に近い位置にある倉庫を強襲した。

 地下に特殊部隊の一チーム五人が飛び込むと、激烈な反撃があったが、完全武装の特殊部隊が追い返されるわけがない。

 制圧してみると、その場には八人ほどがいて、全員が確保された。

 地下空間には様々な機械が設置されて、また機械部品の入った箱も積み重ねられている。

 ここを偽造衝撃銃の製造場所と判明して踏み込んだが、事実はその通りだった。

 この後、証拠隠滅のために地下空間を爆破するはずだった爆薬が排除され、設備や資料の全てをトヨサキの企業警察は手に入れることになった。


 特殊部隊による偽造衝撃銃の製造場所が押さえられたその時。

 一人の女が思考世界で細工に勤しんでいた。

 彼女の仕事はおおよそ終わり、結果はやや芳しくなかったが、これから行う最後の行動により、五分五分の結果に終わるはずだった。

 準備が完了し、実行すれば、終わりだ。

 実行を指示する。

 瞬間、背筋が冷えるような感覚があり、彼女は身を引くように、思考を対象から分離する。

 わずかの差で壁のような情報防壁が立ち上がる。これにまともに触れてしまうと、思考を焼かれる。

 先ほどまで触れていたトヨサキ精機の情報処理基地は、今、完全に防御されている。彼女はそれを透過するのにかかる時間を即座に割り出そうとした。しかし見たところ、防壁は強固で、また解析は容易に済みそうもない。

 明らかに、彼女のことを想定した防壁に見えた。

(やっぱりお前だったな)

 声を確認した彼女は、そこにある思考体を映像化する。

 若い男。

 その男はマチだった。

(ニジ・マチ)彼女は顔をしかめる。(罠を張っていたの?)

(生憎、それが取り柄でね)

 思考世界で、二人が向かい合う。

 マチは彼女、マツリ・タカギを知っている。しかしその名前は偽名で、今は違う名前を名乗っているかもしれないが。

 もちろん、タカギもマチを知っている。それも、油断ならない相手として。

(タカギ)マチはゆっくりと語りかける。(お前の情報技術、情報工作の癖はよく知っていたから、多分、お前だと思ったよ)

 それで、というのが彼女の返事。マチは穏やかに話しかけた。

(トヨサキの情報処理基地を二重にするとは、思い浮かばなかった。生半可な演劇じゃ使用できない、とんでもない大道具だよ)

 情報処理基地を二重にする。それはタカギが行ったことを的確に表現していた。

 マチは続ける。

(トヨサキの情報処理基地の全てを、もう一つ、仮想の情報処理基地として複製する。そしてそれを本物と重ねる。偽造された方、仮想情報処理基地に、偽造した衝撃銃に関する情報が流れ、それはいいように処理されて、正規の情報と重ね合わせて、本物の情報処理基地に流れ、処理、記録される。しかも二つの情報処理基地はお互いに情報が流れあって、時間とともに癒着し、一つになっていくわけだ。もっとも、これは一側面だ。もう一つの面は、過去の記録を良いように改竄し、それを疑わせない面だろうね。つまり今、トヨサキの情報処理基地の中にある記録は全部、そちらさんの掌の上、ってわけだ)

 タカギの思考が回り始める。マチも同じだが、話はやめない。

(こうされてしまえば、トヨサキをいくら調べたところで、トヨサキからは裏にある複製の情報処理基地には気付けない。気づかないうちに、トヨサキの管理下に偽装して、偽造衝撃銃が人を殺していたわけだ。調べたよ、トヨサキの衝撃銃の実際の携行記録を。もちろん、情報処理基地を調べたんじゃないぜ。実際の人間を探ったんだ。監視装置や個人認証、洗い尽くした。結果、実際と食い違いが多々見られるのがわかった。つまり、ないはずの衝撃銃があることになり、なかったはずの発砲があったことになっている。記録の偽装が完全すぎて、誰も疑わないが、その代わりに完全すぎたということかな)

 タカギが嘆息する気配。

(偏執的よね、あなたって。ねぇ、マチ)

 かすかにタカギの思考体が動いた瞬間、マチは即座に行動に移った。

 彼の思考により、タカギの周囲に情報防壁が組み立てられる。思考空間では光のように錯覚される情報の波が、球形となってタカギを包み込む。

 通信を完全に遮断しようとするが、しかし、タカギと周囲の通信は継続される。

(さすがの技術だな。半端な防壁は即座に解析して突破するか)

(そちらもね。前より優秀、というか、狡猾、というか)

 マチが手を振るように思考すると、タカギの周囲に数列の檻が形成される。今度は通信が大きく制限できた手応えがマチにある。タカギとマチによる、解析と変化のせめぎ合いが始まるが、お互いにおくびにも出さない。

 穏やかなマチの、独白のような言葉が漏れた。

(残念だよ、タカギ。君が犯罪者になるとは思わなかった)

(傭兵ってそんなものよ。もちろん、主義主張がないわけじゃないけれど)

(「最後のハッカソン」の仲間には、そうなって欲しくなかった)

 どこか寂しげなマチの言葉に、タカギが反応した。

(懐かしい。「最後のハッカソン」、「月の兎」作戦は、確かに良い思い出だわ)

 数年前、「満月」事件と呼ばれる情報テロがあった。これは地球全土に影響を及ぼす大きな事件だったが、それを解決した作戦が、「月の兎」作戦、と呼ばれていた。

 この作戦が広く知られるのは、国連や国家ではなく、在野の技術者などが一丸となり、一つのチームを組み、事件を解決したからである。

 マチが手を振ると数列の檻が絞られるように狭くなり、タカギの思考体を拘束する。思考檻はこの場にタカギを縛り付け、そのまま即座にその接続地点、肉体の位置を割り出す働きを開始する。

 マチは低い声で告げる。

(トヨサキの情報処理基地への工作は、もちろん、違法行為だ。トヨサキ精機の企業警察として、お前を逮捕する)

 その言葉を受けて、タカギに初めての揺らぎ、そう、微かな驚きの気配が広がる。

(嘘じゃないのね、あなたが企業警察とは。それこそ、「最後のハッカソン」の一員が企業警察とは、残念ね。裏切りに等しいわ)

(事情があってね。話せないし、あまり探らないでくれよ。俺にも主義主張はある)

 かすかな笑いの気配の後、

(さて、どうかしら)

 と、言ったタカギの口調に、マチが緊張したその瞬間、タカギを拘束していた情報檻がスゥッと溶けるようにタカギの思考体を透過した。いや、違う、タカギの方が檻をすり抜けたのだ。

 予想を超える超高速の防壁の解析と、それによる無効化が発動していた。

 弾けるように思考檻が消滅。それはつまり、タカギの逆襲である思考攻撃の結果であり、その思考攻撃は檻を消し飛ばしたそのまま、逆流してマチを襲っている。マチの思考を守る思考防壁に焼けるような感覚、突破を許さずに攻撃をはじき返した。

 しかし、わずかに間ができる。思考世界における一瞬は、大きな意味を持つ。

(あなたが企業警察から自由になれるように、トヨサキを吹っ飛ばしてあげる)

 声を発する間にも、マチの目の前で、タカギの思考体が消えていく。タカギの思考体がこの場からスルスルと逃げていくのにマチは慌てたが、タカギを再拘束できなかったのは、タカギの思考体が発した信号を感知したからだ。

 彼女の思考の向かう先は、マチが組んだ防壁が守る、トヨサキ精機の情報処理基地だ。マチの防壁が通信を停滞させるが、完全には止まらない。不正規ではなく、正規の通信に偽装されているのだ。その上、タカギの思考が付与され、目まぐるしく変化する強力な防壁で守られている。

 情報処理基地の手続きの間に、通信を即座にマチが解析、トヨサキを守る防壁を変更しつつ、通信を遅延させる。

 手続きはほんの一瞬、遅延もほんの一瞬。

 その一瞬をさらに刻んだ一瞬にマチの思考が割り込む。

 混沌とも言える分析、構築、対処の結果、タカギが発した情報処理基地を破綻させる信号は破壊し、拒絶できた。

 だが、このわずかな時間が、タカギに味方している。

(馬鹿ね、トヨサキを吹っ飛ばしても意味ないわ)

 マチが思考を戻した時、タカギはもう消える寸前で、その存在の情報、思考体が消え去り、言葉だけが不自然に響いた。

(また会いましょうね。「落とし穴」さん)

 完全に消えたタカギの後には、何も残っていない。

 マチは大きく息を吐き、首を振った。

 ここでできることは、もはや何もないのは明らかだ。タカギは痕跡を消しているだろうし、追跡も不可能だろう。あとは情報技術者に任せることになる。

 そしてマチは最後の用心をして、現実世界へ戻ることにした。



(続く)



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