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学校の最寄り駅に着いて、いつものようにトイレで着替えたのに、ほんのり香る、自分のものじゃない香り。
ドドドドドと血が流れる音がして心臓が痛く、呼吸も苦しい。
どうにか冷静さを取り戻しながら着いた教室の中を見れば、何食わぬ顔して席に着いている稲葉くんが恨めしい。
一瞬だけ視線がぶつかって微笑まれる。
くっそー。負けてるなぁ。
男のくせにとか女のくせにとか、そういうつまらないプライドは持ち合わせていないけれど男女の差っていうのはふとした時に感じる。
私には稲葉くんみたいな包容力はない。
同じ教室に居てもさっきの、…通学中みたいに必要以上には関らないでくれて、学校は学校、バイトはバイトと線引きをしたい私の気持ちを優先してくれている。
私には見守っていくような、慈愛の精神は…探せばあるんだろうか。
質は違えども、佐久間さんや長岡さんからも同じような心遣いを感じて安らぎを得ている。
男女に隔たりはあるしそれぞれ特性だってある。
全部が全部、男女平等ってことにこだわらなくてもいいんじゃないかと思うようになった。
平等という価値観がいくら正しくても、それで幸せになれるとは限らない。
小さい頃と違って腕力でも勝てないんだけど、最近は男の人特有の優しさにも一生勝てないような気がしてる。
…いや、戦う前からそんなんでどうする!!
もっと強く強く!鍛えて努力した人だけが弱音吐いていいんだから!
私はまだやれる!やることもたくさんあるし!
とりあえず今日は授業も補講も1分1秒、いや1音だって逃がしはしないわ!!
「あーや、なんかまた悪い顔してる」
「みなみちゃん!久しぶり!」
「うん、やぁっと帰って来れた~おはよ~」
机につっぷしたまま、止まらないあくびをかみ殺している。
あれ、みなみちゃんが居るのに双子が居ない。
「りっくんやカイは?」
「時差ボケでサボりじゃないの~?それかまだあっちに居るかも」
「ん?時差ボケ?」
先週木曜日に稲葉くんと若様がお泊りに来て感動と動揺をお届けした時には3人パーティ会場に居たんだっけ。
ほら、これ、とみなみちゃんが左腕を掲げる。
…腕時計だね?しかも文字盤に散りばめられているのはダイヤですかね?
「ココが今年創業100周年だったからね、そのパーティで配られたであろう記念品」
おお、見たことのないデザインだったからチェックしそびれていた新作かと思ったら出回らないやつだった!
キャストやお客様を持ち上げるためにもこういった値段の分かり易い装飾品はチェックしているけれど、こんな限定品はカタログにも出ないので、もしもお客様が身に着けていらした時のためにじっくりと見せてもらう。
軽そうだしチタンかな、記念品というよりも実用性が高そうな品の良い時計で涎が出る。
「さすがにあげないわよぉ?」
「うん、見せてくれてありがと」
貰おうなんて思ってないしみなみちゃんだって譲ろうなんて思ってないんだろうけど、いいものはいいよね、と見惚れてたら次はあくびのかわりにため息が出てきた。
「私たちが出席させられたのがパーティの前夜祭だったんだけどねー」
ふんふんと話を聞きながら新聞を広げる。
おっさん臭いと言われても仕方ない、最近のネットは勝手にこっちの好みを取捨選択して使えたもんじゃない。
バランスよくザックリ世間を知ろうと思ったら時代に逆行、それぞれ社の特色はあるものの新聞に回帰している。
「胸糞悪いったらなかったわよ」
ふんふんと話を聞きながら1面から読み進めていく。
どちらかと言えば全国紙より地方紙派。
地域密着型のほうが小ネタとしては使える…ってこれも職業病かなぁ。
「あれは犬の品評会かセリ前の競走馬よ!」
おぉうっ…ご乱心ですね!
ドン!と机を叩けば教室が静まる。
あ、大丈夫ですよ、皆さん。どうぞこちらはお気になさらずに、という気持ちを込めて方々にペコペコと頭を下げる。
少しサワサワと元の空気になってきたところで担任の竹田先生が現れた。
話の続きはランチタイムかな。
「座れ座れー。出席取って朝礼するぞー」
大人しく自分の席に着き始めたクラスメイトたちを眺めながら呼ばれる。
「綾瀬お前このあと職員室な」
「え、嫌です」
つい、いつものクセで脊髄反射のようにNOが口から出る。
「じゃ昼だ、昼に校長室来い」
「ダメに決まってんじゃない、あーやと今日は学食でカレー食べるのよ」
え、カレーに決まってるの?
今日の日替わりも楽しみにしてたんだけど。
みなみちゃんと竹田先生が火花を散らしている。
「…じゃあ食ってからでいいから来い。ぜってー来い。」
私の都合や気持ちはお構いなしに2人が譲歩し合った結果、昼の私に休息時間は無さそうだ。




