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今夜もまた客間に布団を敷き詰める。
まゆちゃん専用の枕とリクエストの一番いい羽毛布団も用意した。
そのまゆちゃんは今、吟味に吟味を重ねた入浴剤を持って一番風呂を堪能中だ。
「委員長ーやることやるぞー」
「うっ…はーい!」
リビングに向かえば教科書とノートを広げている稲葉くん。
「1時間でサクっと要点さらうからな?時間がある時にこっちのICレコーダーで授業内容確認して」
「何から何までアリガトウゴザイマス…」
佐久間さんが許可した理由も分かったところでゼリー状の栄養ドリンクを飲みながら今日あった授業の振り返りをしてもらう。
稲葉くんは説明をしつつも、ソファで寛ぎながら家にストックしてあった非常食を啜っている。
「うぅ…カップ麺で申し訳ない…」
「作ってる時間勿体無いし、それにたまに食うと美味いよ?」
大した雑談もなく、各教科の授業範囲と流れをマンガのあらすじ紹介のようにサクッと纏められ、あとは要点の解説をメインに説明をしてもらう。
「…あれ?稲葉くんが居れば授業休んでも平気だね?」
一家に一台!
っていうか、理解度高いから出来るんだよね、噛み砕いた説明とか。
私、みなみちゃんに同じように説明できそうにも無いよ。
「いや授業は出ないと。一緒に卒業したくないの?」
「うぇ~…したい、です…」
「…ッじゃあ明日はちゃんと出席しないとっ」
「うん、まぁ明日は授業最後まで受けるー」
ノートのコピーに説明された内容を書き込みつつ蛍光ペンでラインを引き、復習の済んだページは自分のノートにそのまま貼り付ける。
そんな単純作業を繰り返しながら1時間。
まゆちゃんもお風呂から上がってきてほっこりしている。
「まゆちゃんお疲れ様~麦茶?ビール?」
「むぎちゃ…」
もう何なんだろうね、この振り幅。可愛いが過ぎる。
ウトウトとお子ちゃまモードに入ってますよ。
麦茶にハートのストローでも挿してやろうか。
「稲葉くん、まゆちゃんの髪乾かしてあげて~」
「えっ」
「気持ちは分かるけど引かない引かない~」
多分ほっといたらこのまま寝るんだもん。
で、枕がしんなりして朝こっちが怒られるんだよ?
「それにこの前乾かしてもらった時すっごく気持ち良かったし、まゆちゃんにもやってあげて」
「っハイ」
足早に洗面台へドライヤーを取りに行く稲葉くん。
まゆちゃんに麦茶を持たせれば案の定大人しくストローを吸って飲んでいる。
うん、ハートのストローにしてよかった。可愛い。
パシャリと1枚写真を撮っておく。
よし、これで今度何かあったら脅そう。
「委員長、怖いもの知らずだな…」
俺はそんなこと出来ないと怯えながらドライヤーの風圧を中にして、そっとまゆちゃんの髪を撫でていく。いいなぁ。
「うーん、怖いもの…」
何かあったかな。テーブルの上の教科書やノートを片付けながら考えてみる。
受験に対する不安はたっぷりとあるけれど、今それを言っちゃうと心配させるだろうしなぁ。
「あ、稲葉くんに嫌われたら怖いかも」
みなみちゃんや陸と海、佐久間さんなんかにも嫌われて見捨てられたら足元から全部崩れていきそうで怖い。
何か夢があるわけでもなく、不確かな人生で、年齢で、アイデンティティも形成しきらず確認し辛い。
まわりに優しい人たちがいると分かっているから今は怖くないけれど、もしも嫌われたらと思うと、意識が途切れて立ち止まってしまう。
要するに、1人じゃあ怖いのだ。
1人だと思っていた頃は怖いとは思わなかった。
恐怖を知らなかった。
今、大勢のひとに囲まれているのも、怖さから逃げるためなのかもしれない。




