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フロントはインカム無線でしか中のフロアと繋がっていないので、ある意味別業種のような状態だ。
ボトルや指名が入ったりするとキャッシャーから内容の復唱確認が入る。
あ、キャッシャーも基本的にはフロアにノータッチだからちょっと同じ現場で働いているリアリティーがないかもしれない。
お客様を通しきってしまえばフロントの仕事量は減る。
後は入れなかったお客様がここの1階で待つか近くで時間を潰されるかしているので、席が開けば連絡を入れてご案内するだけだ。
電話をとらなかった時点で次お待ちの方がいればそちらに。
電話をとっても10分以内にいらっしゃらなければそれも次のお客様に。
他の店舗をオススメする場合もあるので、スッと入店できなかったお客様はそのまま帰ってこない場合も多い。
取りこぼし…
この3日間はしたくないんだけどなぁ。
月曜から副業したくないっていうキャストの気持ちもわかるけど、うららの出勤があれから3人しか増えてないのは痛い。
もう少し人数が居れば今夜はミモザ定休日だし、今夜のこのビル売上NO.1店舗は桜かうららかっていうくらい競れるのに。
見通しが甘かったな、と反省しつつそろそろ1セット終わるのでニナさんは桜にそのまま出勤だ。
岩倉さまもいつもと違った雰囲気を楽しんでくれただろうけれど、通いなれた桜で落ち着きたいだろう。
スマホで佐久間さんにメッセージを飛ばす。
『うらら、ニナ卓まもなく1セット終了。延長なし。お客様は岩倉さまです。』
『了解。いつでも歓迎です』
いつもより30分以上早い開店になるのに対応が取れるとか…
こゆとこ見習わないと!って私しか居ないしね!!
ああもう!この気持ち…うららスタッフに届け…!
「綾瀬マネ、お疲れ様でーす」
「お疲れ様です」
「あ、はいお疲れ様です」
松本くんが伝票と、それに挟んだカードをキャッシャーまで持ってやってきていたようだ。
後ろには中尾くん。
精算を待つ1分程度の間にフロントも様子見に来てくれた。
「待ちはね、3組の2-1-1名様ですよ」
「じゃあお帰りになられたら案内してください」
「フロアどーお?」
いつもの軽口で話す。
稲葉くんは正統派というか営業中は一切姿勢を崩さないけれど、お客様も居ない状態のフロントでくらい多少崩れてもいいと私は思う。
中尾くんも気ぃ張ったままだと疲れきっちゃうだろうしねぇ。
「ん、上々じゃない?」
席は埋まっているし、少しキャストが足りなくてマイナス営業になっているけれどカバーできないほどじゃないし、開店1時間で場内指名も入ってきているから今夜は平和にイイ感じで着地できるんじゃないか、っていうのが松本くんの見解。
ミモザのキャスト連れてきた時点で売上の着地は私も不安には思っていないんだけど…
「うららのキャスト、どう?」
「…たぶん、明日は荒れるだろうね」
「…?」
何がだろう?と不思議そうな顔の中尾くん。
にっこり笑顔を向けて誤魔化しに掛かる。
「まだ序盤だけど、中尾くんどうですか?席に近づくタイミングとか距離感は今夜中に松本くんから盗んでくださいね」
今夜仕上がらないと明日、泣くことになるからね?と心の声を漏らさないよう中尾くんの右手を両手でぎゅっと握って、死ぬ気で超頑張れ!とエールを送る。
「は、はい!ありがとうございます!」
いや、お礼は面倒見ている松本くんに言ってあげて。
多分中尾くん以上に、育てる側って必死だからね。
しかも数字を上げていかなきゃならない開店中だし。
「綾瀬マネ、そゆとこ反則」
松本くんたちが戻ってしばらくすると藤宮くんからインカム無線が入る。
『お客様お帰りです。』
『了解です』
エレベーターの呼び出しボタンを押す。
いつものように下ボタンではなく、桜のある上ボタン。
お客様を先頭に、少し下がってニナさん、その少し間を空けた後ろに松本くんと中尾くん。
「clubうららへのご来店、ありがとうございました。」
「いやいや、こちらこそ楽しませてもらったよ。1セットだけでよかったのかな?」
「いいのいいの、今行けば桜を貸切状態でのんびりできるでしょう?」
チン!とエレベーターの到着音が鳴る。
「また先に行っていてくださいな?」
そうニナさんが言えば、仕方ないなと岩倉さまがエレベーターに乗り込む。
私たちは手を振るニナの後ろで声量を落として深く一礼する。
「「「ありがとうございました」」」
扉が閉まる音を聞いてから頭を上げると、ふうっと一息ついたニナさんと目が合う。
「ありがとうございました。…無理させちゃいましたよね」
「1セットで2本はちょっと無茶しちゃったかも…ねぇ君、冷たいお水くださる?」
はい!と返事をしてキッチンへと向かう中尾くん。
暗がりでは分かりにくいけれど、ニナさんの顔も露出している肌も赤い。
「ちょっと悔しいけれど…今夜一番得をするのは雪柳かしらね」
ぽつりと呟いたニナさん。
1番に入店してきたこともあり他の席のフリーに着くこともなく1セットで終了。
新規開拓したところでミモザに呼べたかどうかはわからないけれど、それでも席にさえ着けば可能性はゼロじゃあなくなる。
唯一残した爪あとは、目立つ容姿と衣装。
話題提供できただろうけど、他の店舗のキャストが違う店舗のキャストの紹介を素直にするとも思えない。
特にうららのキャストからは恨みを買っていそうだ。
雪柳とすみれのキャストは同伴で来ていない分、フリーを確実に食っていく。
うららよりセット料金が高いといっても、それほど差があるわけでもない。
うららの閉店時間が迫ればそのまま自店へと連れていくだろう。
新規を掴めず、うららのキャストから逆恨みを買い、不慣れな場所に自分の顧客を連れてくるストレス。
岩倉さまにも申し訳ない。
「大丈夫よ、この3日だけなのよ?――あとは知らないわ」
白くて細い指が私の眉間をぐりぐりする。
「申し訳ありません…よろしくお願いします」
「ふふっ、そこまで落ち込まなくていいのよ、見ていて面白かったし」
「ちょ、綾瀬マネ聞いてよ、ニナさんめっちゃトイレ行くんだぜ?」
「ふふふっ、だって他の席が気になるんだもの」
あー、他の席でどんな会話しているのか気になっただろうし、どう付回しされてるのか確認したかったのもあるんだろうけど…
「それ多分、他の席の人が、気になっただろうね」
中尾くんから手渡された水を飲みながらニナさんがキャッシャー場所へと消えていく。
ふわりと揺れるミニスカに目を奪われながらも目線を上げると、妖しげな笑みを浮かべるニナさん。
視界に入るだけで気になるのに、近くを通られたら…ちょっとクるよねぇ。
あれは女の私でもドキドキするよ。
でも指名したくてもニナさんは指名不可の非売品。
ミモザに来てくれれば指名もできるけど…
キャストじゃなくてスタッフに聞いてくれていたらお客様にそうお伝えできるんだけどなー。
ほんと悔しいな。
「じゃあ私もそろそろ桜に行くけれど…はい、ボトルのお手伝いありがとう」
松本くんと中尾くんにポチ袋が渡される。
1セット50分で2本。
スタッフは席に座ってゆっくり飲めるわけでもないので一気に流し込む。
キャストに無理をさせないようスタッフのグラスには少し多めに入れてもらうか2杯飲ませていただいたりするので、お酒が好きでなければ出来ない。
もちろん流し込んで席を外れれば、通常通り働く。
ハンドサインに目を光らせ、おしぼりを渡し、アイスペールや灰皿を換え、オーダー伝票を捌く。
酔っていられないのに酔うものを身体に入れる。
飲み過ぎれば営業後、緊張の糸が切れた瞬間起こるのが地獄絵図だ。
黒服なんて、飲んで当たり前でしょみたいなキャストもいる。
必死に愛想振って働いているんだからそれくらいしなさいよ、みたいなね。
でもこっちはどれだけ飲んでも基本ボトルバックがあるわけじゃあない。
うちのビルはまだマシでフリーのボトルはスタッフにもバックされるけれど、指名客のボトルは指名キャストのものだ。
いくら飲もうが飲むまいが給料には何ら関係はないし、そもそも飲むのは仕事じゃない。
飲むことを仕事にするなら黒服じゃなくみんなホストになるだろう。
「松本くんもそこそこ稼げそうよねぇ…」
「え、急に何の話よ綾瀬マネ」
手をふりニナさんを見送れば、松本くんたちもフロアへと戻っていく。
要するに夜の仕事は、勘違いしやすいのだ。
勘違いをさせて働かせるほうが楽かもしれないけれど、破綻もしやすい。
自己中心的になれば、自己評価も高くなる。
だからといって結果がついてくるとは限らない。
勘違いしたままでいると、その差に「こんなはずじゃあない」と思うばかりで「なぜ、どうして」と疑う心がなくなってしまう。
あったとしてもそれが自分に向かわず他へと向かう。
他人が悪い、店が悪い、社会が悪い、世界が悪い。
そんな考えの人間に「お前が悪い」なんて言ってくれる優しい人がいるわけもなく。
簡単に堕ちていく人たちを沢山見てきた。
上を見てもキリがないけれど、下を見てもキリがない。
今夜もココは何でもよく見える。
嘘ばかりかもしれないけれど…ある意味、みんな正直だ。
見えないはずの人の鬱憤や欲が、目に見える酒や金に形を変えていく。
まだ夜は始まったばかり。




