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若様視点。
一番古い記憶はむせかえるほどの化粧品の匂い、蒸れるカツラの不快さ。
わけもわからず同じせりふを同じ動きで発声させることだけ、繰り返し繰り返し繰り返し。
何度眠って忘れそうになっても同じ動きをすれば同じ台詞が出るようになった。
努力していないとは言わないが、これを努力だと胸を張って言えるかといえば違うし、これで才能があるとか血筋だと言われてもわけがわからない。
ただそれしか出来ないように仕込まれただけなのにな、と世間の評価が少し煩わしい。
小中高一貫の男子校へと入学してますます世間とは離れたように思う。
夏休みの宿題で作った粘土の貯金箱にコレ貼ったらお洒落かな、と作って持っていけば「あ、これウチにもあったなー。そっかー!これ貼ればそれなりに見えたか!」と言われた。
家に紫綬褒章があったり人間国宝がいるのが普通なわけがない。
たぶん盛大にズレが生じているのはわかっているけれど、普通がわからないんだからどうしようもない。
そして親も普通がわかっていないんだから常識を知ることは一生無いんだろうと思っていた。
そんな風に諦めていたときだった、あや姉と出会ったのは。
いつも通り学校が終わって送迎され、日舞の稽古場に行けば見たことのない女の子がいた。
いや、というか女の子を見るのも久しぶりだった。
稽古着の浴衣を着て、ぴしっと正座している。
「ししょー…?」
何で?いつもマンツーマン稽古なのに?
「まずは、おはようございます、でしょう」
刺々しい声が肌に刺さる。
「おはようございます…本日もご指導よろしくおねがいいたします…」
「はい、こちらこそ宜しくお願い致します若様」
それから、師匠はあなたの父の友人の娘だと、紹介してくれた。
「綾瀬ひかりです、綾瀬と気軽に呼んでくださいね、若様」
小学校の、それも低学年の子供が、高学年のお姉さんをそう呼ぶのにも気が引けて「ひかりさん?」と呼べば暗雲立ち込めたので、あや姉ちゃんで定着した。
この時に、俺も若様と呼ばれるのが嫌だと気づいていればよかったのに。
みんながそう呼ぶから名前なんてどうでもいいかと思っていた自分を殴りたい。
あや姉ちゃんはどうしても必要な時に、何度か舞台に立ったことがあるらしい。
女の子は舞台に上がれないと思っていたのに子役だったらいいなんて…。
可愛い女の子と一緒ならちょっとは舞台も楽しくなりそうなのにと思っていたら師匠から驚きの一言が。
「共演もしてますよ」
え!いつ!!!そんなの記憶にないよ!!
「覚えていませんか、禿役でご一緒しましたよ」
ぇええええええ~~!!お、覚えてない…!
「まぁ若様、女形お嫌いですものねぇ」
だって女の子じゃないのに女の子になりきるって変じゃない?
正直かっこいい役のほうが楽しい。
いや、基本的に家や血筋とやらのせいか悪役は回ってこないけど。
「そんな若様の苦手を無くす為にも身近なお手本として綾瀬さんをお招き致しました」
「お手本となれるか久しぶりで不安ではありますが…」
おこずかい出るし、と師匠に聞こえない声で呟いたあや姉。
お金目当てか!こっちにはちっとも興味ないとかありえなくない!?
ちやほやされるのが日常だったのに無関心という衝撃。
あや姉がキレイでかわいくって一目惚れしてなかったら多分グレてたと思う。
好きになって欲しいと思って色々話せば、コロコロ変わる顔が可愛いという。
それならばそう思い続けてもらえるよう可愛く振舞うし、稽古後にまだ一緒に居たい!と少しのわがままを言えば「若様は子供っぽくて安心する」と笑顔を返され、これが子供らしさか!と勉強になった。
毎日毎日誰かを演じていて、自分まで演じてしまえば、もうこの世に本当の自分なんて居ない気がする。
消耗し続けて空っぽになるほうが、別人になるためには演じやすいのかもしれない。
それでも、もし選べるのならあんな勲章のためじゃなく、あや姉のために消えてなくなりたい。
あや姉の望む子供らしさを前面に押し出していれば、まわりの大人たちは安心した。
一般的に理解できる許容内に納まる、というのが大事だったらしい。
一般的といえるものから乖離させていることは見ないふりか、それなのに普通でいろって勝手すぎないか。
そして同じような境遇の友人たちには、自分まで演じるというのはウケが悪かった。
「あいつらは俺らのこと一生わかんないよ」
色んなことを諦めて生きなければならないなんて、生まれた時から決まっているやつはごく少数だ。
だからこそ、ここで出来た友人たちは一生モノだと思う。
でも好きな人には好かれたいじゃないか!
この気持ちは演技で芽生えたものじゃない唯一のものだから大事にしたい。
***
そんな決意を心のど真ん中に五寸釘で打ち付けて早数年。
今日も子供らしく!を念頭に無邪気に振舞って大好きアピールをしていたらうっかり間違えた。
「でも俺の1番はあや姉だから!」
「わぁ~あ、嬉しーい。1番が居るってことは2番も居るってことよねぇ」
…しまったぁーーーー!!!!
あや姉の地雷を無邪気に踏み抜いたーーー!!!!
その昔あや姉が見本となるよう、一緒に稽古したのは藤娘。
「まるで私たちの父親のようなクズですね」と言って放ち、師匠を黙らせた記憶が思い出される。
個人的にはどんなことしていようが親の動向に興味はないし、ある日弟か妹が出来たとしても構わないんだけど、あや姉がアウトなら俺もアウトだ。
1番がいて2番がいて300番がいてもいいんじゃない?とは思っているけど、あや姉がコレを非常識な思考だと言うのならそんな考えは抹殺する。
どうしよう、これが血ってやつなのか、俺にも確実にあや姉にクズと罵られる血が…!
あや姉の友達にも「何人に告られようが好きなひとに好きになってもらえなきゃ意味ないしなぁ…」と追い討ちを掛けられ、どうやって学校に着いたのかわからないまま、気づいたら午前中の授業も終わっていた。
ずっと朝のあや姉の冷ややかな目が忘れられずにいたら、友人たちにどうしたと話し掛けられたのでワラをも掴む思いで相談したらため息をつかれた。
「子供らしくあろうと演じてたらほんとに子供になるとかアホか」
「だねー、どんどん人間味増してるよね一哉くん」
「まぁ境界線がわからなくなるくらいグズグズなのは演者としてもイチとしてもいいことじゃないか?」
クズクズに聞こえる…
しばらく立ち直れそうにないかも。




