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《死の庭》の乙女たち  作者: 瀬川月菜
番外編・小片
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第2章後話

 被り物ほど薄くなく冬の衣類にしては身体を温めることもできない。その一枚が半分を覆う視界には、紺碧の空と海が広がっている。

 この世界にわずかに残された遺物、その魔法の力がこのエスフォス島に清浄さをもたらしている。ここには《死の庭》の影響は届かない。暖かな海の流れには魚たちが穏やかに身を任せ、命を育み、この島はいつも豊かだ。

 そして彼らはまたひとり、その豊かさを世界にもたらすための生贄を送り出した。

 あの弱い魂が行き着くところはどんな場所だろう、と海の彼方に思いを馳せる。将来自分が辿り着く場所でないことは確かだった。あの乙女はきっと何者にも脅かさない清らかなところで微睡むだろう――そうでなければならない、犠牲を作り続けるこの世界に生まれ落ちた我々はそれを願わねばならないのだ。

「……っく、…………ひっ……く……」

 神法司見習いのキュロは、先ほどからずっとしゃくりあげている。兄弟子たちは厭わしい海風から逃れてすでに神殿に戻ったというのに、彼女だけがずっとその場から離れられずにいた。乙女が去った海に背を向けることができず声を殺して泣いている。

 ひたすら悲しみに震える細い肩が哀れで、言った。

「……風が出てきた。神殿に戻れ。いくらこの島が守られていようが、人は風邪で呆気なく命を落とすこともある」

 嗚咽を飲み込んだキュロは、濡れて光る珠のような瞳でこちらを見上げた。目の縁は赤くなり、目尻には涙が溜まっている。

「戻れ」ともう一度告げた。

「死者は戻らない」

 ――失くしたくないのならば抗えばよかったのだ。

 それは誰の言葉だったのか。

 言外の追求を耳にしたかのようにキュロは大きく目を見開き、唇を噛んで涙を拭った。

「……はい、戻ります」

 目をこすると何かに気付いたかのようにその手を止め、大きく息を吸い込んだ後は目を腫らしながらも顔を上げて歩き出した。

 強い子だ。歩き出すことを決めたのだ。

 そうして少女が無事に道を辿るのを見ていたが、彼女ははっとして振り返り、呟いた。

「虹……」

 その声を聞いて同じように海を見ると、そこには七色の円環があった。

 太陽を囲む鮮やかな環は《死の庭》の祝福か、それとも不吉の前兆か。美しくはあったが素直にそうとは受け止められないものを感じて、空を見据える。

「……アイデス様が羨ましいです」

 戻ってきたキュロにそう言われ、眉をひそめた。

「……何がだ?」

「アイデス様だけだからです。シェオルディアから形見をいただいたのは」

 巻きつけられたままの薄布が風になびいた。

 何かを言う前に彼女は再び背を向けて歩み去ってしまった。

 妙に大人びた背中に、彼女の内側で何かが死んで何かが始まったのを感じ取る。

 海を見た。

 生贄が去った彼方、命ある者を脅かす異界が渦巻く東の海を。キュロの後ろ姿があの生贄の乙女と似ているような気がして、重苦しい感情が沸き起こる。

 ――抗えばよかったのだ。

 ――失くしたくなかったのならば

 胸を圧迫する柔らかいしこり。触れると心地よさを錯覚してしまいそうな痛みをもたらすそれが、いつまでも消えずにそこにある。

 名を知らぬ生贄の娘――《死の庭》の乙女を思い、甘みともつかない痛みを抱えて、ジークハルト・アイデス・ヴァルヒルムは依然としてそこに立っていた。

 七年後それが蘇るとは想像もしなかった。

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