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第3話 微笑みが見たくて

 家に帰ったアマリアは、ひどく落ち込んでいた。

 良かれと思って父に術を使ってもらったが、トゥーレは決してそれを喜びはしなかったのだから。


 大きなため息をつきつつ、ずぶ濡れになった服を脱ぎガウンを羽織った。湧かした湯に足を浸すと、じんわりと伝わる温度が心地よかった。それでも、胸の奥に抱える氷は解けそうにない。

 じっと足を見つめた。新たにできた痣は腿の付け根あたりまで届いていた。そっと、痣を指でなぞってみる。自分でも気味の悪い痣だと思う。

 呼び出された時から、この死の刻印がまた広がることは覚悟していたし、ハラルドでなく、トゥーレの為になったのだから後悔はない。


 あの時集まっていた者たちは、トゥーレの言葉の直後に音が止み、おおと歓声を上げていた。彼を見る目に尊敬の色がにじんでいた。

 きっと、この事はトゥーレの後押しになるに違いないのだ。正当なる領主の跡継ぎはトゥーレであってハラルドではないのだし。

 それなのに、彼はひどく不快気な顔でアマリアを睨んでいた。余計な事だと言われてしまった。全て見透かされてしまっていたようなのだ。

 呪術師風情が、頼まれもせぬ助け舟をだそうなどと、おこがましいことだったのだろうか。


――どうして術を使ったことを知られてしまったのだろう。……お父さんは完璧だった。私がよろけてしまったから?


 誰にも気付かれてはならなかったのに知られてしまったのは、きっと自分のせいだろう。でも風でふらつくこともあるのに、なぜたったそれだけのことで彼にバレてしまったのかと思う。気付かぬうちに、他にもボロを出していたのだろうか。

 いくら考えても分からないし、既にバレて嫌悪の目を向けられてしまったのだから、これ以上に考えたところでどうにもならないのだが。


 乾いた服に着替えた後、アマリアはぼんやりと雨に煙る通りを見つめた。温かい茶を飲む気分にもなれなかった。

 アマリアの胸を切なくさせているのは、トゥーレの笑顔を見たい、という思いだった。笑っていてくれたらそれでいい。例えそれが自分に向けられたものではなくても構わないのだ。優しく微笑んでいる彼が好きでたまらないのだから。

 アマリアたちは、他の使用人らと違っていつも屋敷で働いている訳では無い。仕事のある時だけ呼び出されるのだ。

 屋敷に行けばトゥーレの姿を見ることができる。声をかけることはできないが、彼の横顔を見ることができれば幸せだった。それが笑顔であればもっと幸せな気持ちになれる。

 でもこの頃、トゥーレは父のモーゼスと諍いを起こしていたらしく、いつも険しい表情ばかりだった。

 アマリアは、トゥーレの笑顔を思い出そうと目を瞑った。


 今までで一番の彼の笑顔。アマリアの胸を今でも、キュッと締め付けるトゥーレの笑顔を思い出す。

 あれは三年前、彼が勉強の為に異国に旅立つ時のことだった。

 遠い異国での半年間、たった一人の彼が勉学を無事に修められるように、病気をせず健康で戻れるように、と祈りを込めた護符を手渡したことがあったのだ。

 交易のキャラバン隊の話によると、その国は大層栄えていて年中穏やかな天気で風は優しく吹くらしい。とても良い国だよと言っていた。けれど、流行り病で多くに死者が出て、それがようやく終息してきた頃だとも言っていた。

 その話を聞いたアマリアは、トゥーレを守る護符を渡さずにはいられなかったのだ。







 祈りを込めた護符をもって、アマリアは密かに屋敷を訪ねた。それはとても勇気のいることだった。

 本当はフーゴだけが呼ばれていたのだが、どうしても護符をトゥーレに渡したくて、こっそりと忍んでいったのだった。父にも内緒で。

 頼まれもしないものを渡すことも、用もないのに勝手に屋敷に来るのも、見つかれば罰せられることだ。それでも、トゥーレの身に万の一つの厄災も被らせたくなくてて、じっとしていられなかった。

 もちろん、父が呼ばれたのは留学するトゥーレを守るまじないの為だったし、父の力を疑う訳ではなかったのだが、どうしても自分も彼の為に何かしたかったのだ。

 それに、今日会わなければトゥーレは出立してしまう。彼を見つめることができなくなってしまうのだから。


 息をひそめて庭に潜んでいた。フーゴが屋敷を辞したのを、使用人のおしゃべりで知った。自室に戻るトゥーレが庭の前の渡り廊下を通るのを、緊張で苦しくなる胸を押さえながら待っていた。

 そしてしばらくしてからやっとトゥーレが姿を現わせた。旅装し、普段は下している肩ほどの髪を束ねていた。

 いつもと違う彼の姿に、別れの時が迫っているのだと、アマリアの胸がざわつく。


「…………トゥーレ様」


 消え入りそうな声で呼びかけた。不安と緊張で喉がひりついていた。

 ああ、これでは聞こえずにそのまま歩き去ってしまう、とアマリアは思わず一歩踏み出す。ガサリと枝が鳴った。


「ん?」


 トゥーレが振り返った。驚きに目を丸くしていた。

 さっと周囲に視線を走らせ、誰もいないことを確認すると、彼は庭へ降りアマリアの側まできてくれた。


「君も来てたんなら、フーゴと一緒に居れば良かったのに。…………かくれんぼでもしてたのかな?」


 そう言ってにっこりと笑った。ヘーゼルの瞳が真っ直ぐに見つめきた。自分で呼びかけておいて、恥ずかしさでアマリアは目を伏せてしまう。


――かくれんぼだなんて……


 もう十四だというのに、彼は未だに子ども扱いする。遊びで隠れていたのではなく用件があるのだと察した上で、まだ子どもだねというようにからかうのだ。

 トゥーレの中では、アマリアは出会った時の十のままなのだろうかと少し不安になってしまう。そういえばあの頃屋敷にいくと、ご褒美だよとこっそり甘いお菓子をくれたものだった。


『君が呪術師として立派に仕事をしていることは認めるているよ。でも俺の弟や妹よりも年下じゃないか。まだ子どもなんだ。父や母の前では無理でも、俺の前に居る時くらいは子どもでいてもいいんだよ』


 そう言われて戸惑ったのを覚えている。子どもでいていいと言われても、どうすればよいのか分からなかった。一緒に遊ぶ友達もなく、アマリアはいつも大人たちに囲まれ、呪術師として厳しく躾けられていたのだから。

 トゥーレがくれる甘いお菓子だけが、自分がまだ子どもである証左のようだった。とはいえ、今ではもうお菓子を与えらることはなくなったのだが。

 アマリアは子ども扱いを歓迎しているわけではないが、気安く話してくれるのならそれでもいいかと思っていた。五つも年上の彼から見れば、子どもと思われても仕方がないのだろう。


 穢れた者たちに近づいてはいけないと、両親から何度も注意されているのに、彼はアマリア親子に微笑みかけるのを止めない。自分たちだけではなく、彼は下働きの者たちにも皆、平等に親し気な笑みを見せる。労わりの声をかけてくれる。年下の者には更に優しい。

 そんな彼だから、アマリアは恋してしまったのだ。畏れ多い片恋であり、トゥーレにとっては数多の使用人の一人に過ぎず、考えることもおこがましい程女として見られることなどあり得ない。

 だが、それでも恋うることは止められない。想うだけでいいのだ。見返りなんていらない。

 アマリアは深くお辞儀をして、顔を伏せたまま懐から護符を取り出した。


「これを……どうぞ。父の守護の術を受けられたことと存じますが、念の為に……」


 震えながら護符を差し出した。

 受け取るトゥーレの指が、つっとアマリアに触れる。ほんの一瞬の体温が、アマリアをゾクリと震わせた。カッと顔が熱くなる。彼の指の温かさが、まばたきする間にアマリアの全身に広がった。

 息が詰まって思わず手を引っ込めてしまう。だが、得も言われぬ幸せを感じていた。

 

「ありがとう、アマリア」


 トゥーレは腰をかがめて、俯く少女を覗き込むようにして微笑んでいた。

 アマリアの視界がトゥーレでいっぱいになる。トゥーレしか見えない。目を細めてにっこりと微笑む彼が、アマリアの胸に刻みつけられる。


――ああ、報われた。もう何も要らない。


 涙がこぼれそうになる。

 その時、トゥーレを探す声が聞こえて来た。第一夫人のようだ。

 ドキリとして固まってしまったアマリアを、トゥーレは植え込みの奥に押しやった。シッと人差し指を口にあて、声を出さずに「じゃあね」と唇を動かした。

 そしてわざと庭の奥を回ってから、渡り廊下は使わずに屋敷の中へと戻っていった。アマリアが見つからないように気遣ってくれたのだろう。


「トゥーレ様……」


 木の陰から、振り向くことなく去ってゆくトゥーレを見送った。

 交わした言葉は僅かだったが、会えなくなる寂しさを埋めるには十分すぎる程だった。それでも、切なさに我慢していた涙が、すうっと頬を濡らしていくのだった。

 この後、アマリアはトゥーレの出立を見送ることはできなかった。

 屋敷をこっそり抜け出そうとしているところを見つかってしまったのだ。そしてトゥーレが旅立った後、領主モーゼスから仕置きをされたのだった。

 無断でトゥーレに近づいたこと、それがアマリアの罪だった。


 地下の折檻部屋で縄に繋がれ、鞭打たれた。

 上半身裸に剥かれた背に、容赦なく領主の鞭が二度三度と振り下ろされた。悲鳴を上げて許しを乞えば、モーゼスに代わって第一夫人が鞭を取った。

 汚らわしい、汚らわしい、と彼女は何度もアマリアを責めさいなんだ。ついにはモーゼスが妻を止めて、ようやく折檻は終わった。

 背には幾筋もの赤いみみず腫れが走り、所々皮膚が裂けていた。薄暗くかび臭い部屋の石の床に突っ伏して、アマリアの意識がゆっくりと遠のいていく。

 仕置きされるのは仕方がない。命令を聞かぬ使用人は、いつもここで折檻を受けるのだ。とても苦しくて痛くて辛かったが、それでもトゥーレの笑顔を見れたのだから後悔は無かった。


――トゥーレ様、どうぞご無事で……







 雨粒が窓を叩いている。

 アマリアは外を眺めつつも、何も見てはいなかった。ただ、トゥーレの笑顔を思い浮かべるばかりだ。

 三年前、護符を渡して以来、彼がアマリアに微笑んでくれたことは無い。会う機会自体が減った上に、そもそも親しく会話できる相手ではないので当然なことなのだが、寂しく思ってしまう。欲張りすぎなのだろうかと、またため息をついた。


 半年経って帰ってきたトゥーレは、人が変わったように素っ気なくなっていた。それまでは会話せずとも、アマリアを見つければ微笑んでくれていたのが、すっと目を逸らしてしまい、まるでそこに誰もいないかのように振る舞うのだ。

 気を付けて見ていれば、他の使用人への態度は変わっていない。誰にでも笑いかけるし、声をかける。アマリアだけが無視されるようになっていた。

 それは今でも続いている。仕事で呼び出され、術の話をするときでさえ、彼はアマリアに見向きもしない。笑顔など見られようはずもないのだ。

 なぜそうなってしまったのか、アマリアには分からなかった。泣きたくなるほど、それは苦しいことだった。


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