諸月の時期6
皇城とその周囲は通電しているようで、電灯が暗闇を取り払っている。周囲が暗いため、皇城はいつもより一際明るく輝いていた。自家発電装置でもあるのだろうか。
避難した民衆は城の庭に集められていた。城は格子塀によって簡易ながらも囲われており、門からお城の入り口までに存在する庭と、城の内側にある中庭が避難場所となっていた。
人数を把握するため、避難民はおおよそ住所ごとにまとめられていた。普通は住所ごとに避難所が定められているが、やむを得ず別の避難所に行ってしまった者もいる。彼らは彼らで一箇所に集められていた。クリスくん達4人もその集団の中にいた。門があるほうの庭である。
「久しぶりにお城の中に入ったけど、こんなんだったっけか。もっと塀とか大きくなかった?」
避難中とは思えない気軽さでアルが言う。
「最後に入ったのっていつ?」
「社会科見学のとき。初等部のころ」
「ならアルの身長が伸びたんでしょ。だから昔は大きく見えてた」
「あ、そっか。きっとそうだな」
俺たちは芝生に腰掛けて他愛もない雑談をしていた。周りを見てみると、沈鬱な表情をしているもの、仲間と陽気に笑っているものなど、実に様々である。だがその多くが塀の外を気にしていた。侵入したモンスターが気になるのであろう。
城の周囲は塀で覆われており、さらにその外側には見張りの軍人がぐるりと立ち並んでいた。皇族守護を目的とする第三分隊の兵たちである。他の避難所の様子は知らないが、それよりはるかに厳重に守られているだろう。
「まあ、お城だからねー」
俺の心の声が聞こえたアンナが答える。
「そういえばさ、最後、クリスなんか言いかけてなかったっけ?」
「最後っていつの最後ですか?」
「ほら、停電が起きる直前のこと。悪霊さんがクリスの兄ではないっていう話」
そういえば、そこで話が止まっていたな。
「ああ、そこですか。そうですよ。悪霊さんは僕とも父ともは血が繋がってません」
「え、じゃあ兄とか弟とか息子とかは何だったの?」
「多分、悪霊さんの妄想じゃないですかね」
ケイトの質問にクリスくんが答える。
間違いではないが妄想はちょっと酷い。
(兄っていうのはあれだな、俺のほうがクリスくんより年齢が上だからってだけだ)
「へー、そうなんだ」
「ちなみに何歳なの?」
(21歳だな。享年だけど。死んでからも含めると、多分22、3歳くらいにはなってると思う)
「あ、じゃあ俺たちと同じくらいだな」
「死んでからも年齢が増えるのは、ちょっと不思議な感覚ねー」
年齢を訊いてみるとクリスくんを除いた三人は21〜22歳。通常であれば大学は20歳で卒業するとのこと。俺の元いた世界より早いなと思ったが、公転周期が違うので日数で考えると、ほぼ同じかもしれない。
「息子っていうのは?」
(俺の娘(仮)とクリスくんが結婚したら、クリスくんは俺の息子だろ? 義理だけど)
「だからそれが妄想ですってーー」
「え、悪霊さんって子供いるの!?」
「結婚してるんですか!?」
クリスくんを押しのけて女性二人が尋ねてくる。
「結婚はしてないが娘(仮)はいる。こっちの世界では血は繋がっていないけど」
俺の言葉に三人が揃って首を傾げる。
「僕がさっき言いかけたのはこれですよ。悪霊さんはこの世界とは違う、異世界から来たらしいんです」
クリスくんの言葉に三人の首はますます傾く。三人の首を戻すため、俺とクリスくんは頑張って俺の状況を説明した。
ようやく三人の首が15度くらいに戻ったところ、獣の遠吠えが聞こえた。割と大きな声である。近くにモンスターが居るようだ。
避難した住民たちのざわめきが小さくなる。みんなが獣の声の方向を見ていた。塀の外の軍人たちもそちらを警戒している。
獣は注目を集めるにも関わらず、幾度か遠吠えしていた。
「……あれじゃないか? あの屋根の上。暗くてよく見えないが、何かが居る」
近くの避難民が声をあげる。彼の伸ばした指先の方を俺は注意深く観察する。
確かに、屋根の上に何かがいた。首を伸ばし、満月の夜空に遠吠えを響かせている。鈍く光を反射する鎧のような鱗。屋根に垂れ下がった鞭のような尾。それにあの見覚えのある顔は……。
(黒虎……か?)
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帝都中心部に現れた獣の姿をエリザベス達も確認していた。
「黒虎だと……」
「馬鹿な。どうやってあそこまで……」
「被害報告は?」
「ありません。黒鼠の報告のみです。目撃情報もありません」
モニタに映し出されているのは帝都内部に設置されたカメラの映像だ。距離があるため拡大された画像は少し荒いが、それでも遠吠えする獣が黒虎であることは認識できた。
「っち。我々の失態だな」
「私が行きましょう」
舌打ちするアキレスにエリザベスが提案する。
「理由は分かりませんが、奴の遠吠で位置は分かりました。大型のモンスターに対向するには砲弾が必要ですが、奴の位置は皇城からも近く迂闊に大砲は使えません。私が討伐すべきです」
「おいおい。頭を冷やせ。さっきも言ったが、お前に出ていかれるとこちらの防衛ラインに影響する。奴の現れた場所が皇城からも近いと、自分でも言っていただろ」
そう言ってアキレスは受話器を取る。
「ヤツのことは第一さんに任せるとしよう。借りをつくるのはちと面倒だが、帝国軍最強を謳っている連中だ。まあ酒の一杯でも奢ればいいだろう」
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俺がモンスターを認識した瞬間、モンスターは屋根から飛び降りた。
あの動き方は間違いない。現れたのは黒虎だ。ベティさん達はいったい何をやっているのか。
「は? 黒虎ですって?」
(ああ、間違いないと思う)
「え、虎……なの? 侵入したのは黒鼠だって……」
「いや、鼠は吠えないだろ。にしても、虎はないだろ。狼の間違いじゃないのか」
アルが聞き返した瞬間、遠くで何かが崩れる音がした。
「……何だ?」
その音はだんだんとこちらに近づいてくる。舞い上がった土埃が月の光に照らし出される。やがて、音源は正門前の大通りに現れた。
身の丈はあろう黒い三本の爪が道路を抉る。振り回された尻尾で電灯が折れ、道の端に止まっていた自動車がひっくり返った。
黒虎はゆっくりと顔をこちらに向ける。皇城の光に眩しそうにしながらも、徐々に黒虎は近づいてきた。
「く、黒虎!?」
「まさか、なんでこんなところに!」
「に、逃げろー!!」
避難民は我先に門から離れ始める。彼らに混じって俺たちも移動する。できるだけ門から離れようとするが、パニックになった人混みのせいでなかなか進まない。
『撃てー!』
掛け声を合図に、後ろから発砲音がする。正門側の軍人が十字砲火で黒虎を撃つ。撃ち続けるが、強固な鎧に阻まれて弾は表面で弾かれてしまう。
黒虎は姿勢が低くくした後、大きく跳ねた。大通りの距離を一気に詰め、着地際に長い尻尾を振り回す。砂塵が舞い、尻尾により跳ね飛ばされた散弾が正門側の軍人を襲う。その一撃で発砲音は無くなった。
露払いが終わった黒虎は、再び身を屈めてジャンプする。塀より高く、門より高く跳ねた虎は、するりと皇城の庭に舞い降りた。
辺りを見回し、獲物がたくさんいることを認識した黒虎は、正面に思い切り突っ込んで、殺意に満ちた爪を避難民に向けて振り払った。
「ーーおいおい。物騒な物を振り回しておりますなぁ。ここが皇城の中だと知ってのことですかぁ?」
戦車をも切り裂くその爪は、突如として現れた軍服を纏う青年の腕によって止められていた。
「知っているなら当然極刑。知らなかったとしても当然極刑。お前の命はここまでだ。理解したなら頭を垂れて這いつくばれ。帝国軍皇族守護、第一分隊筆頭ラインハルトが、名もなき獣に引導を渡してやるよ!」
屈強な青年は、唸り声をあげる黒虎に負けじと口上を述べた。




