諸月の時期
俺がこの世界に来てから二ヶ月が経過した。惑星テラの一年の日数はおよそ四百日。それを二十分割して二十月を以て一年としている。テラの暦換算で二ヶ月であるため、おおよそ四十日が経過していた。
俺はクリスくんとレイジーちゃんをなんとかラブラブにしようと頑張りつつ、恋の夏風の出力向上に努めていた。死神さんとの特訓で無風から微風になったし、努力次第で強風にまで威力がアップすると思ったからだ。しかし、恋の夏風の出力は依然微風のままであり、強どころか弱にすら到達していない。やはり身体がないとダメなのか。
二人の仲も特に進展していない。クリスくんは妹の面倒を見ているといった様子であったし、レイジーちゃんも彼に懐いてはいるのだが、ラブラブにありがちな気恥ずかしさが皆無であった。
クリスくんにレイジーちゃんが閉じ込められていることについて、どう思っているか訊いてみた。
(ちょっとクリスくん。レイジーちゃん可愛そうじゃない? 閉じ込められてさ、定期的に指先切り取られてさ)
「そうですね。可愛そうだとは思いますよ」
(じゃあ彼女を檻から外に連れ出して匿おうぜ。俺も頑張るからさ)
「え、嫌ですよ。そんなことしたらすぐにバレますし、ここクビになるじゃないですか。研究できなくなるのは嫌です」
彼はにべもなく言い放つ。
「それに、僕はレイジーには期待しているんですよ。彼女の回復力が兵士や一般人に備われば、モンスターの被害を減らせますからね。帝都ではそうでもないですが、今でも諸月の時期は世界中で数千人もの人が死んでます。時期外れだとしても、つい2年前にモンスターの襲撃で拠点がひとつ滅びてますからね」
わお。思ったよりもモンスターの被害は甚大だった。
(えー。じゃあ、カール准教授だっけ。彼に言ってさ、レイジーちゃんをもうちょっと自由にしてあげようよ)
「ああ。それについては僕も気になりましてね。理由を訊いてみました。どうしてこんなに厳重に閉じ込めているのか」
(おお。どうだった? 自由にできそう?)
「ダメそうですね。彼女、今は大人しいですけど、昔はすごく暴れたそうで……。生還の研究員を何名か病院送りにしているんですよ」
(……まじで?)
「はい。骨折した人もいるとか。それで、生還の研究員は彼女のことを怖がってしまい、世話をする人が居なくなったそうです」
(それで、その役割がたらい回しにされて、別の部署のクリスくんに白羽の矢が立ったと)
「白羽の矢というか、罰ゲームですよ。酷い話です。なんせ、その話を聞く前から僕は彼女の世話をしていたんですから。先輩は露骨に拒否してましたし、多分知ってましたね」
苦々しい顔つきでクリスくんは言う。
「まあ、今は薬で凶暴性も抑えられているみたいですし、僕もずっと彼女の世話をしています。暴れたのも始めだけって聞きますし、もう大丈夫でしょう。これからも彼女の世話は続けますよ」
なんでも無さそうに彼は言う。自分より一回り離れた初対面の年上に平気で冗談を言っていたし、クリスくんは年の割に肝が座っているな。
(そうかー。そんなことがあったのなら、閉じ込められるのも仕方ない、か。けど、どうにかして外に出してやりたいな……)
「……前から気になってたんですけど、悪霊さんはどうしてそこまで彼女のことを気にするんですか? 前の世界の知り合いにそっくりとは聞きましたけど」
(そうだな……。その知り合いが、俺の娘だったからかな)
彼は目を瞠る。
「……そうでしたか。納得です。さすがに、自分の娘に似た子が実験体扱いされているのは、他人だとしても我慢がならないものでしょう」
正確には血がつながっていないのだけど、まあいいか。実質俺の娘(仮)だろう。
「というか、悪霊さん子供がいたんですね。話しやすかったのでもっと歳が近いのかと思ってました」
(まあ、クリスくんとは兄弟くらいの歳の差かな。俺が兄ね)
「僕が弟ですか」
クリスくんは俺の冗談に僅かに微笑んでくれた。
というわけで、クリスくんにレイジーちゃんを連れて逃避行する気は無いようである。ただ、彼女(の研究)に期待していることは確かなので、無碍に扱うことはないだろう。仕方ない。ひとまず、クリスくんとレイジーちゃんの仲は現状維持に努めるとして、クリスくんに悪い虫がつかないように頑張るとしよう。
友達発見器のおかげで道に迷うこともなくなったので、俺は時々帝都の散歩に出かけていた。気のせいか、街をゆく人々の顔が険しく思えた。苦々しく空を見る大人も居る。一体なんだろう。
帝都は広いが城壁で囲われているため面積に限界がある。食糧生産に必要な畑や、飛行機離着陸用の滑走場、電波受信施設などが優先的に地上に配置されるため、居住施設は地下深くに存在していた。黒猪のときに現れた人は、その地下に住んでいる人がほとんどだそうだ。クリスくん含め、地上に住んでいるのは一部の人間だけらしい。
お城にも行ってみた。豪華絢爛ゴシック様式というわけではなく、装飾の少ないシンプルで質素なお城であった。人の出入りは激しいが、中には軍人がいたるところで目を見張らせており、皇帝及び皇族の住まう領域は厳しく立入り制限されていた。険しい眼の見張りの横を「ご苦労さまー」と俺は通り過ぎる。こういうとき、この体は便利だと思った。
皇族のうち、姿を見たのは執務室にいた現皇帝とその皇子であった。皇帝は優しそうなお爺ちゃんで、皇子は精悍な青年だ。見た目、随分と歳が離れている。祖父と孫と言われても通じそうだが、それでも親子なのだと後からクリスくんから聞いた。息子の他に娘もいるそうだが、彼女の姿は見なかった。皇妃とともに、城の奥にいるのだろう。
クリスくんの家にも行ってみた。彼の掃除について行ったのだ。さすが、英雄。小さいながらも家は地上に一軒家として存在していた。周囲に住まう人々も政府の重鎮ばかりだそうだ。
家は洋風の二階建ての建物であった。二人で住むには十分に広いだろう。棚に写真があった。クリスくんとオスカーさんが二人で写っている。まだクリスくんが小さいので、十年前くらいの撮影されたものだろう。母親の写真は見当たらない。男手ひとつで育てられたとベティさんが言っていたし、幼い頃に他界してしまったのかな。聞かないほうがいいだろう。
ちなみに、ベティさんは遠征に行っているため今回は俺とクリスくんだけだ。この前城壁で会ったとき以来、彼女とは会っていない。居場所が分かるので、友達認定はされているようだが。
(ベティさん、来れなかったけど忙しいのかな)
「そうでしょうね。そろそろ諸月の時期ですし。少しでもモンスターを間引いたりと、準備に追われているんでしょう」
そっか。そろそろモンスターが活性化するのか。軍人、一般人問わず、帝都を行き交う人々の様子がピリピリしていたのはそういうことか。
「まあ、そうですね。諸月の時期は十日ほど続きます。その間、夜間はモンスター迎撃のため大砲の音が鳴り響きますし、城壁で守られているとは言え安心はできないでしょう」
(十日も続くのか)
「ええ。毎年のことですが、こればっかりは慣れないですね」
そう言って、クリスくんはため息をつく。
諸月の時期。モンスターの活性化。聞き覚えのある遠吠えが、城壁の向こうから聞こえたような気がした。




