野郎二人で1k暮らし
クリストファー・レイネット。15歳。飛び級で大学院を卒業し、エイビス国立研究所に採用される。彼の志望通り宇宙航空開発部に配属されるが、急に予算がなくなり設備と資材が揃えられず予定していた研究を進められないでいた。その間の雑用として上司より命ぜられたのがグレージーちゃんのお世話。
グレージー。人造人間。生命環境部所属のモルモット。見た目は十代後半だが、年齢は3歳。昔は彼女を使った研究が行われていたが、今ではあまり実施されていない。本来は生命環境部の者が世話をするべきだが、誰もやりたがらなかったのでたらい回しにされていた。現在は主にクリスくんが面倒を見ている。
この1週間で聞き出した彼らのプロフィールはこんなところだ。
その間、俺はクリスくんの家にお世話になっている。最初は当然のように嫌がられたが、俺の世界に興味を持ってくれたので、その話をする代わりに居候させてもらっているのだ。
「……で、いつまでここにいるつもりなんですか?」
いつものように彼の住まいへとついて行った俺に、クリスくんはぼそりと言った。
「もう一週間経ちますよ? そろそろ別の場所に行ってもいいんじゃないですかね?」
(えー、でも、俺この世界に君たち以外に知り合いいないし……。話しかけても誰も俺の声聞こえなかったし……)
「だからって、四六時中見えない誰かが傍にいたら精神がすり減りますよ。プライバシーの侵害です」
げっそりとした顔でクリスくんは言う。
彼の気持ちはよく分かる。
クリスくんは研究所職員用の寮に住んでいた。部屋の間取りは1kのアパートとみたいなもので、身を隠すところがどこにもない。そんな状態で、俺は彼とこの部屋をシェアしていた。カップルならまだしも、野郎二人でこれはキツイ。俺も学生時代、親元を離れアパートで一人暮らしをしていたからよく分かる。
ちなみに彼の実家はこの街にあるのだが、職場から遠いため今は使っていないようだ。
彼はまだここに来て数ヶ月程度らしく、部屋はそこまで荷物に溢れていない。机、椅子、ベッドの他は書棚とロケットの模型、変なガジェットが詰まったダンボール、窓際に設置された望遠鏡、カメラなどが整頓されて配置されていた。
(まあ、クリスくんの気持ちは分からないでもないけど……。あ、もしや、クリスくん。女性を部屋に連れ込むつもり?)
さては俺を部屋から追い出してイチャコラする気だな。そうはさせないぞ。
「は? 何でそうなるんです」
おいおい、「は?」という言葉が返ってきたよ。
もしや彼、女性が嫌いとか? そうだとすると面倒だな。
今回のミッションはクリスくんとレイジーちゃんをくっつけることだ。二人の相性・性格次第でアプローチも難易度も変わってくる。彼を知る前は軟派野郎だったら面倒かなーと思ってたけど、女嫌いのほうが厄介かも。
(いやだってさ。君もお年頃だし、経済的に自立もしてるでしょ。彼女のひとりやふたり、居るのかとーと思ってね)
「いや、ふたり居るのはおかしいと思いますけどね」
そうか。この国は一夫一妻制か。
(で、彼女は居るの? この一週間、そんな影は見えなかったけど)
「いませんよ。大学の頃は居ましたけど、院に入る頃に別れました」
おっと、居たことはあるのか。それなら良かった。
それにクリスくんと付き合っていた女性には悪いけど、別れていてくれて助かった。今も彼と付き合っていたら、別れさせることから始めないといけない。転生がかかっているとはいえ、さすがにそれは気が進まない。
「ですので、部屋に呼ぶ人は誰もいません。それにここは研究所の関係者以外立ち入り禁止なんですよ。外れも外れですが、一応、研究所の敷地内ですからね」
(そうなんだ。でも、君の先輩は女性を連れ込んでたぞ?)
「え、先輩って、コバヤシ先輩がですか?」
そう、その人。クリスくんにお酒を飲ませた人。
「あの人はまったく……」
(まあまあ。一通り他の部屋も周ってみたけど、その先輩以外にも連れ込んでる人けっこういたよ。多分、暗黙の了解になってるじゃないかな)
「そうだったんですか? 気づきませんでした」
クリスくんは驚いて目を丸くする。
寮の部屋、けっこう防音がしっかりしているから気づかなかったんだろうな。まだ入居したばっかりみたいだし。
「まあいずれにせよ、四六時中一緒はちょっと嫌というか、精神的にキツイのでたまには別の場所に行ってきてください」
(えー、俺研究所の外のことあまり知らないんだけど。道に迷って戻って来れなくなるのは嫌だし、俺と話せる人は貴重だからあまり離れたくないんだよね)
前の世界での精神崩壊がトラウマになっているので、この世界ではかなり慎重に探索している。そのため、まだ研究所周りの地理しか俺の頭に入っていない。ちょっとワガママっぽく聞こえるかもしれないが、二度と精神崩壊しないためにここは譲りたくない。
「うーん、そうですね。帝都の案内はまた今度しますよ。一度僕と周れば迷うこともないでしょう。それと、悪霊さんには僕以外にも話せる人がいるじゃないですか」
(僕以外って、レイジーちゃんのこと? でも、彼女とは話せることができても、話していい状況じゃないというか、クリスくんにもあまり話さないよう釘を刺されたじゃないか)
「まあ、それについては秘策があるので大丈夫です」
(秘策?)
「細かいことは明日話しますが、少しくらいなら話しても怪しまれなくなると思いますよ」
おお、それはすごい! 俺もレイジーちゃんともっと話がしたかったんだよね。
「というわけで、今夜は別の部屋で過ごして、また明日の朝にでも声を掛けてください。空き部屋がどこかにあればそこで。なければどうせ悪霊さんの声は聞こえないのでしょう? 適当な部屋で休んでくださいね」
(おう、分かった! それじゃあ行ってくる)
そう言って、俺は彼の部屋から出た。
彼は一週間ぶりにひとりで夜を過ごすことになる。彼は既に働いているが、俺の元いた世界の中学〜高校生くらいの年頃だ。今夜はこの部屋に近づかないほうが良さそうだな。
「……行きましたかね」
クリストファーは部屋の扉に向かってそう呟く。『それじゃあ、行ってくる!』という悪霊の言葉が聞こえたものの、本当に出ていったか確かめる術を彼は持たなかったのである。
ややあって、悪霊が本当に出ていったと判断しすると、彼は部屋の窓際へと近づく。傍には望遠鏡が設置されていた。外はもう日が沈み、夜の帳が降り始めている。
微かに残った夕日の残滓が、薄紫色のグラデーションを作り出す。その中にポツンと光る小さな星を確かめると、彼は手慣れた手付きで望遠鏡を操り、ファインダーにその星を写し出す。
レンズの向こうに薄緑色の雲に覆われた星が見えた。高倍率のアイピースに変えると、雲のうねりも観測できる。
「まだ、雲は晴れないか……」
この星は年中雲に覆われていた。晴れることが無いでもないが、それでも年に数度しか起こらない。
それでも彼は諦めきれず、目を凝らして僅かな晴れ間を探していたが、やがて諦めるようにレンズから顔を離した。疲れ目をこすると、彼はもう一度裸眼で空に浮かぶその星を見てーー。
「父さん……」
小さく、そう呟いた。




