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「あくりょー、さん」
逃亡したクリストファーくんと違い、グレージーちゃんは落ち着いていた。
(そうだよ。その名前に聞き覚えはないかな? あ、それとも「あっくん」のほうが馴染みがあるかな。ヒメちゃんは俺のこと、そう呼んでたんだけど)
「あっ、くん?」
(そうだよ。あっくんだよー)
小首を傾げて何やら思案するグレージーちゃん。ぐるんと首を捻った後、彼女はぷるぷると首を左右に振って口を開いた。
「あっくん、違う」
(ん? 違くないよー。あっくんだよー)
「あっくん、違う」
(ノー、チガクナイヨー。アイムあっくん。ユーハーヒメちゃんデスかー?)
「違う、あっくんはー」
彼女はスケッチブックを取りページをめくる。
「こう!」
そう言って俺に突き出したページには、棒人間が描かれていた。
(何それ? 棒人間?)
「あっくん!」
(棒人間にしか見えない)
「あっくん!」
ほほを膨らませてあっくんと連呼する彼女。俺に伝わっていないのが分かるらしく、ちょっと涙目である。
そういえば、ヒメちゃんも絵心無かったなぁ。大半のページを余らせたままスケッチブックを放り出していたし。そういうところは似ているのだけれど、この反応だと本当に別人なのかもしれない。
だって、俺、実体ないし。俺の知っているヒメちゃんなら、俺のことを絵で伝えようとは思わないはず。つまり、グレージーちゃんの言う「あっくん」は俺ではない。たまたま、あっくんという名の知り合いが、ヒメちゃんそっくりの彼女にもいたのだろう。残念だ。「あっくん」という名に反応してくれたときはちょっと期待したんだけど、やはり死神さんの言う通り、"同じ魂"を持つ者、ということか。
(ん。分かった。それがあっくんだな)
「! うん!」
俺に伝わったことが分かるやいなや、ニコニコと笑うグレージちゃん。こういうところもヒメちゃんに似てるんだけどな。
(君がヒメちゃんじゃないということも分かったことだし、改めて自己紹介しようか。俺の名前はーー)
「あくりょーさん」
知ってる、という顔でグレージーちゃんが言う。
(ん? ああ、違うよ。それは俺の名前じゃないんだ。俺の本当の名前はーー)
「あくりょーさん」
(だから、違うって)
「……りょーさん?」
それはもっと違う。
俺を指さして「あくりょーさん」と連呼するグレージーちゃん。どうしよう。間違って覚えられてしまった。このままではこの世界でも悪霊さんと認知されてしまう。
世界が変わって今までの関係はリセットされたんだ。ここは一つ、心機一転、俺も本名で物語に関わりたいと思う。大丈夫だ。タイトルなんて管理者ページから3クリックで変えられる。新章になったことだし、ついでにタイトルも改めさせていただこう。
(いいかい。グレージちゃん。これから、大事な話をするよ?)
「ダイジ?」
(そう。大事)
雰囲気を察知して神妙になる彼女。いいぞ、ちゃんと俺の話を聞いてくれている。
(いいかい、俺の本当の名前は……)
「ホントのナマ、エ……」
(あーー)
「本当ですよ! 亡霊の声が聞こえたんです!」
「はー、とうとう頭がおかしくなったか」
「おかしくなってません! 話を聞いてください!」
「話は聞いてるよ。というか、そうギャンギャン騒ぐな。寝不足で頭が痛いんだ」
俺の言葉を遮るように、扉を開けて二人の人間が入ってきた。
ひとりはさっき出ていったクリストファーくんで、もうひとりは知らない。白衣を来た長身で眼鏡のお兄さんだ。ちょうど俺(が生きていたとき)と同年代か、少し年上だろう。
「で、どこからだ?」
「スピーカーの傍からです。最初は誰かのいたずらかと思いました」
「俺はお前のいたずらだと思っているが?」
「真面目に聞いてください」
「聞いているよ」
ベッドにどっかと座りため息をつくお兄さん。話が通じていない様子に、クリストファーくんは苛立っている。
「あ、レイジーは聞こえてたよね。さっきの声。ちょっと、先輩に説明してあげてくれる?」
グレージーちゃんは先輩と呼ばれた彼が入ったときから、ベッドの隅に退避し、布団ガードの構えをしている。
「ね、レイジーも聞こえたよね?」
「……きこ、えた」
「ーーはぁ。すっかり仲がよろしくなったことで」
こくんと頷き彼の言葉を肯定する彼女。そんな二人を先輩と呼ばれた男は鼻で笑う。
「今は、そんな話をしていません。というか、元はと言えば先輩が押し付けたんじゃないですか、彼女の世話は」
「まあな。ガッコー出たてのお坊ちゃんには順当な仕事だろ?」
「そうは思いませんけど。というか、何で生環の仕事が宙空まで周ってくるんですか。おかしいでしょう」
「そんなことは俺も知らんよ。大方、うちの教授がうまいこと他部所に言いくるめられたんだろうよ。まったく。こっちだって迷惑してんだ。ガキがぐだぐだ抜かすな」
「その雑用を僕に押し付けといて何言ってるんですか」
「あー、はいはい、うるっせえなぁ。それで、その亡霊とやらの声がするんでしたっけ? レイネット様。そんな声、全然聞こえないんですけどー」
しばらく沈黙。クリストファーくんは辺りをキョロキョロと見ている。
「おかしいですね。さっきは聞こえてたんですが」
「大方、二人仲良く夢でも見てたんだろ? そーゆーのは大概にしろよ、レイネット様。わかってるとは思うけど、ここ、監視されてるからな? 全部、筒抜けだぞ?」
「そーゆーの? 何言ってるんですか? さっぱり意味が分かりません」
クリストファーくんは真顔で言い切り、彼の先輩は一瞬だけ間の抜けた顔をした。
「あー、そうか。まだガキでしたか。すいません。俺の早とちりでしたレイネット様」
「さっきから何を言ってるんですか、先輩。それより、亡霊の声なんですけど、どうやら僕と彼女のことを知ってーー。どうしたんだ、レイジー?」
話を遮られたクリストファーくん。見ると、グレージーちゃんが彼の袖を引っ張っている。
「なまえ、ちがう」
「え? 名前が違う?」
「そう」
「どういうこと?」
「ぼうれい、なまえ、ちがう」
「……えっと?」
「何だ? こいつは何を言ってやがる?」
先輩の言葉にびくっと身体を震わせる彼女。どうやら彼女、先輩には懐いていないらしい。
「あ、あくりょー」
「ん? ああ、亡霊が名乗った名前のこと? 確かに、さっきの声の主は自身を悪霊と名乗っていたけど、そんなの亡霊でも大差ないんじゃ?」
「なまえ、ちがう。だから、でて、こない。 おこ?」
グレージーちゃんは首を傾げながら言う。
「おい、通訳。説明しろ」
「おそらく、さっきの亡霊は名前を間違われたから怒って出てこないと、レイジーは言いたいんだと思います」
「ふん。それが『悪霊』ってか? 名前には聞こえんなー」
先輩はじろりと彼女を睨む。ぴゅんとグレージちゃんは布団ガードに頭を引っ込めてしまった。
「っち。まあいいや。それで事態が進むならさっさとそうしろ。俺は少しでも寝たいんだからな」
「分かりましたよ。えーっと、名前を間違えてしまってすいません。悪霊さん。まだここに居ますか?」
む。三者三様の視線を感じる。ここは期待に応えねばな。
(おう、ここに居るぞ)
「! ほら、先輩! 本当に居るじゃないですか! 何が夢ですか!」
「……は? 何言ってるんだ、お前?」
俺の声が聞こえて喜ぶクリストファーくんと、彼を訝しげに見る先輩さん。
「何って、今、声が確かにしたじゃないですか! ね、レイジーも聞こえたよね」
「きこえた」
(おう、俺にも聞こえたな。まあ、自分の声だし聞こえるのは当たり前なんだけどもね)
「ほら! また!」
「……」
相変わらず先輩さんは目つきを変えない。この様子だと、彼には俺の声が聞こえて無さそうだな。
「ほら、先輩。やっぱり、俺の言ったことが正しかったじゃないですか! 謝ってください。さっき『とうとう頭がいかれたか親の七光りのウスラポンカチ』と言ったことを謝ってください!」
「クリス。お前にはその、悪霊とやらの声が聞こえるんだな?」
「ええ!」
胸を張って肯定するクリストファーくん。彼の様子を見た先輩は少し神妙にして口を開いた。
「……そうか。すまなかったな、クリス。お前、ちょっと疲れてるんだな。明日は休んでいいぞ。教授には俺が言っとくから」
「……はい?」
「ちょっと、仕事を押し付けすぎたな。悪かった。あいつの世話も俺がしとくから、無理にする必要はないからな」
「え、ちょっと先輩、急にどうしたんですか?」
「もう今日は帰って休め。なんだったら、お酒でも飲みに行くか? 奢ってやるぞ? ほら」
先輩に肩を捕まれ、クリストファーくんはそのまま引きずられるように部屋を出ていってしまった。
「……クリス、どうした?」
(つかれてないことは確かだと思う)
彼女の疑問に、俺は否定形で答えておいた。
BM登録ありがとうございます。
主人公の名前、一文字目のみ公開します。
あ■■■■
あくりょう、ではないです。




