クリスとレイジー
写真の女性はヒメちゃんにとても良く似ていた。俺の記憶の彼女よりもやや大人びているだろうか。少しだけ成長したヒメちゃんに見える。
(これ、ヒメちゃんじゃないんですか? 死神さん)
「んー、多分違うんじゃないですかね。まさにさっき言った、同じ魂を持つ存在だと思いますよ」
多分って?
「上司が『多分』って言ってたので」
あの神のお告げをしてくださった上司様か。それぐらいはっきりしてくれればいいのに。どうせこのグレージーという女性に聞けばすぐに分かるんだし。あ、でも名前も違うし、やっぱりヒメちゃんじゃないのかな。
「あ、そろそろ着きますよ。その二人のところに着くようにしましたので、あとはよろしくお願いしますね」
それでは、と言って死神さんは消えてしまった。 え、いきなりターゲットとの出会いなの?
描き換わっていた周りの景色は徐々に鮮明になり、やがて止まる。瞬間、今まで聞こえなかった音が耳に飛び込んできた。
大きな音ではない。空気の流れる微かな音。静けさがもたらす耳鳴りのノイズ。そんな僅かな音が聞こえ始める。かすかな違いだが、確かに今まで時が止まっていたことを実感した。
(さてと、とりあえずその二人と意思疎通できなきゃ何もできないんだけど……。うおっ)
さすがにそれは大丈夫だろう。そう思いながら俺は辺りを見回す。
見回して、すぐに気づいた。
というか、目が合った。
まさに、ちょうど、俺の目の前にターゲットのひとりが居た。グレージーという名のヒメちゃん似の女性だ。
実物の方も、やはりヒメちゃんの成長した姿である。少し等身が伸び、顔つきも大人びている。髪も伸びており、ぶっきらぼうにひとつに纏められていた。お洒落でそのような髪型にしている、というわけではないのだろう。ざっくばらんに切り揃えられている。
じっと、こちらを見ている彼女。あ、もしかして俺の独り言聞かれていたかな。もしそうなら意思疎通できるってことだから、非常に助かるんだけど。
(あ、どうも。急にお邪魔して申し訳ない。えっと、グレージーちゃんであってるかな?)
「……」
(あのー、もしもし?)
「……」
(聞こえてるー?)
彼女の表情は変わらない。ずっと、俺のことを見つめている。だけど、俺の言葉には反応がない。うーん、これはどう判断したらいいんだろう。
そんなことを考えていると、後ろから扉が開く音がした。目の前の彼女はその音に驚いたのか、身を屈めて俺の視界から外れる。
後ろを振り返ると、本を携えた男性が入ってきていた。この男性はもうひとりのターゲットだ。確かクリストファー・レイネットという名前だったかな。
彼が扉を閉めると、カチッという動作音がする。オートで鍵が閉まるのだろう。彼は部屋に入ってくると、部屋の中にあるもうひとつの部屋の扉をノックした。
距離が近すぎて分からなかったのだが、グレージーという女性は俺が居る部屋の中にある、もうひとつの部屋の中にいた。この部屋の一部はガラス張りで、さっきまで俺はガラス越しに彼女と目を合わせていたのだ。
その彼女はというと、クリストファーがノックした扉に向かって小走りに移動していた。だが、彼女は扉を開けようとはしない。じっと待っているだけだ。クリストファーが首から下げていたカードを扉の傍に押し当てると、電子音がして扉が開いた。外からしか開けられない仕組みなのかな。
「お待たせ。ごめんね、新しい本を取ってきたんだ」
そう言って彼は部屋に入る。扉が閉まると、もう彼の声は聞こえなくなった。気密性が高い部屋なのだろう。この様子だと、さっきの俺の声も彼女には聞こえていなかったんだろうな。無視されていたわけではなくて良かった。
とはいえ、彼らとコミュニケーションを取らなくてはどうしようもない。すり抜けられるといいんだが……。ガラスの透過を試みると、あっさりと部屋の中に入れた。良かった。
ガラス部屋の中は殺風景な部屋だった。ベットがひとつに机と椅子がひとつずつ。あとはスケッチブックと色鉛筆、それに絵本が数冊。この本はクリストファーが持ってきたものだろう。
ベッドの上で彼らは読書していた。二人仲良く覗き込んでいる。俺も一緒に覗き込んでみる。
彼が音読し、彼女が熱心に眺めていた。読み聞かせをしているらしい。文字は見たこともない形をしている。また、ページあたりの文字数はかなり少ない。これ、子供用の絵本なのかな。二人共そんな年齢には見えないんだけど……。
「……こうして、いのちからがらにげだしたかれらでしたが、けっしてれんちゅうのおってこれないあたらしいばしょでしあわせにくらしましたとさ。めでたしめでたし」
そう言ってクリストファーは物語を締めくくった。やっぱり児童文学だったか。俺まで思わず聞き入ってしまった。俺の知ってるお話ではなかった。元の世界でも、セミルの世界でも聞いたことない物語。見覚えのない文字だったし、やはりここは異世界なのだろう。
「おし、まい?」
「そうだよ。おしまいだよ」
「もっと」
「だーめ。続きはまた明日ね」
「クリスの、ケチ」
不貞腐れるグレージーちゃん。彼女の喋り方はさっきから片言だ。この読み聞かせでクリストファーが彼女に言葉を教えているのかな。
さて、このままだとクリストファーは帰ってしまいそうだ。その前に、何とかコミュニケーションを取らないとな。
(あー、ゴホン。もしもし、俺の声が聞こえていたら反応して欲しいんだが)
そう声をかけると二人は一瞬ビクッとした。クリストファーはこちらに近づき、一方でグレージーちゃんは俺から遠ざかり、ベッドの隅で布団ガードの構えをする。もしかして、怖がられてる?
「もしもし、聞こえていますか? どちら様です?」
クリストファーはそう俺に話しかける。
(ああ、聞こえているよ。そうだな、何と名乗ったらいいかな……)
「? ふざけているんですか?」
(いや、そんなことはないよ。そうだな、ここは一つ確認の意味で、「悪霊さん」と名乗っておこうか。この名に聞き覚えはないかな? 特に、そこで布団に包まっているグレージーちゃん)
「悪霊さん? えっと何なんですかあなた。……もしかして、先輩ですか? 変なこと言って怖がらせようとしてるんですか?」
(いや、俺は君の先輩ではないよ。ただちょっと、純粋に尋ねたいだけなんだ。それにしても、クリストファーくん……で、いいかな? 君、やけに冷静だね。俺の声を初めて聞いて、こんなにも冷静なヒトは初めてかもしれない)
ただし、死神さんは除く。
「いったい何を言って……」
そう呟いたクリストファーくんは、しばらく黙った後、目を見開いた。
「何で、通信がオフになっているのに、声が聞こえるんだ?」
(ははは、君こそ一体何を……)
ん? 通信がオフ?
ちょっと後ろを振り返ってみる。後ろにはボツボツした穴の空いた、スピーカらしき機器が壁に取り付けてあった。
あ、これやっちまったかも。
「……ぼ」
(ぼ?)
「亡霊だー! 実験塔の亡霊が出たぞー!」
クリストファーくんはそう叫んで、ダッシュで部屋から出ていってしまった。
(亡霊はやだなぁ。悪霊のほうがまだ馴染みがあるのに……)
ねるねるおばさんが頭に浮かぶ。
「あく、りょーさん?」
ベッドの隅で、事態をよく呑み込めていないグレージーちゃんがじっとこちらを見ていた。
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