拗ねヒメ
翌朝。セミルが起きてきた。ヒメちゃんはまだ寝ているようだ。とりあえず、セミルにこの世界を去ることを伝えてみる。ただし、フィクションを交えて死神さんのことがわからないようにしてみた。
「……つまり、昨日の夜、何故か知らないけれど唐突に失われた記憶が戻ったと。その記憶によると、悪霊さんは精神体となって異世界へと渡り『ある物』を探している。その『ある物』の存在する世界は知っているが、その世界に行くまでに幾つか別の世界を渡らないと辿り着けないと。で、そのうちのひとつであるこの世界に来たとき、たまたま転移が失敗してしまい、そのときのショックで記憶を失ってしまった、ねぇー」
じーとこちらを見るセミル。うん、非常に怪しまれている。俺の話し方がぎこちなかったせいだろうか。
「まあ、悪霊さんにも事情があることは分かってたし、記憶が戻ったんなら良かったね。本当に、世界旅行が終わった日の昨夜に、たまたま,偶然、記憶が戻ったのなら、だけど」
うわ、言葉に鋭い棘がある。
(い、いやー、確かに。言われてみると、すごい偶然だな。あれかな、昨日は衝撃的な出来事が多かったから、それが影響してるのかもしれんないな。あは、あは、あはははは)
「……実は世界旅行の前には記憶が戻ってた、とか?」
(ん、んー? 何のことかなー?)
「……まあ別に、いいけどさ。それで、いつまでに次の世界に行かなきゃいけないの?」
(今日の夜までに、だな。この世界でのんびりしちゃったから、次の世界には一刻も早く行かないといけない)
「わりと、切羽詰まってる感じ?」
(そ、そうだな)
じーとこちらを見るセミルさん。俺の姿は見えないはずなのだが、心の奥底を見透かされている気分だ。やがてセミルは視線を落としてため息をつく。
「ん、分かった。そういうことなら仕方ないね。とりあえず、マダムには挨拶するよね。ご飯食べたらすぐに行こうか。ライゼとか、悪霊さんのこと知っているヒトには私が伝えておくよ。住んでる場所、ここから遠いし」
良かった。納得してくれた。
(すまんな。助かる)
「いいって。悪霊さんにはわりと助けられたからねー。あ、そろそろヒメを起こさなくちゃ」
ヒメちゃん、昨日眠そうにしてたからな。いつもはヒメちゃんがセミルを起こすんだけど、今日は逆になったか。
「……あ、そうそう、一つ確認したいんだけどさ」
出ていこうとしたセミルがこちらを振り返る。
(ん? 何だ)
「悪霊さんが次の世界に行くのって、この世界や私達に飽きたからって、ことは、……ないよね」
少しだけ目を伏せて、こちらを見ないようにしてセミルは尋ねる。
(……ああ、それはないよ。断言できる。俺はこの世界で楽しくやれてた。正直、捜し物が無ければこの世界にずっと留まりたいところだ。ヒメちゃんの成長も気になるしな)
「……そっか。それを聞けて、安心した」
セミルはにっしっしと笑い、ヒメちゃんを起こしに行った。
朝食後、俺たちはマダムの屋敷へと向かった。食事中にヒメちゃんにも俺が居なくなることを伝えたのだが、寝ぼけているせいか「あっくんどっか行くの? いってらっしゃーい」と言われたので、正しく認識していないと思われる。むしろ、俺と別れるのに本当にそれだけの感想しかなかったら泣いてしまう自信がある。出張前のサラリーマンと違い、今生の別れの可能性もあるのだ。正直言うと、もうちょっと惜しんで欲しい。
で、マダムとマッドにセミルと同様の説明をしてみた。
「そうかい。自身のルーツがわかったのなら、それに越したことはないね。良かったよ。ただ、ちょっと寂しくなるがね」とマダム。
「悪霊氏。君と過ごした日々は実に刺激的だった。他に世界があることを知れて嬉しかったぞ。また来たときは渡ってきた別の世界の話も聞かせて欲しい」とマッド。
「あ、えっと、悪霊さんとは最後まで話せませんでしたが、最初に思ったよりも良いヒトだなって思いました。捜し物が見つかるといいですね。頑張ってください」とノーコちゃん。
みんな特に疑っている様子はない。やはり、セミルに疑われたのは彼女との接点が人一倍多かったからか。長い時間を一緒に過ごしたし、他のヒトには感じない違和感を感じたのだろう。
さて、三人とは挨拶が済んだ。
残すはヒメちゃんだけだ。俺たちのやり取りを聞いてたので、流石に状況は呑み込めているだろう。
(ヒメちゃん。さっきも言ったけど、俺は次の世界に行かなきゃならない。これでお別れだ。元気でな)
「……」
ヒメちゃんは答えない。
「ヒメ?」
セミルがヒメちゃんを覗き込む。
「悪霊さんに、言いたいことある? 今日言っておかないと、もう言えないかもしれないよ? せっかく悪霊さんが別れの時間を用意してくれたんだから」
「……あっくんは、この挨拶が終わったら行っちゃうの?」
(すぐに、じゃないけどな。今日の夜に行くつもりだ)
「そっか……」
ヒメちゃんはそう言うと立ち上がった。
「ヒメ?」
「ごめん、ちょっと……」
ヒメちゃんはそう言って部屋から出て行ってしまった。いったいどうしてしまったんだろう。
「悪霊さんとの別れを惜しんで、どこかで泣いているとか?」
(そっか。別れの涙を見せたくないんだな。いいんだよ、ヒメちゃん。お父さんに涙を見せてご覧?)
「悪霊さん、何言ってるの?」
いやあ、ヒメちゃんが俺との別れを惜しんでると思うと、つい。
しばらく待ってもヒメちゃんは戻ってこなかった。そんなに涙がとまらないのだろうか。
「どれ、ちょっと見てこようかね」とマダムが腰を上げたところ、屋敷の住人であるソーンが入ってきた。
「ああ、ちょうどよかった。ソーン。ヒメの居場所を知らないかい? 屋敷のどこかに居ると思うんだが」
「え、ヒメちゃん? ヒメちゃんならさっき屋敷を出て行くところを見たよ。どこに行ったのかは知らないけど」
ソーンの言葉に驚く俺たち。
「ヒメ氏が外へ?」
「何か、忘れ物とかですか?」
「いや、これは……」
(まさか……)
「……ヒメ、逃げたね? 別れの挨拶をしなければ、悪霊さんは次の世界に行かないと思ってるんだ。まったくもう!」
そう言ってセミルは頭を抱える。
「仕方ない、探しに行こう。まだ遠くには行ってないはずだよ」
セミルの呼びかけで、俺達はヒメちゃんを探し始めた。各自散開して心当たりのある場所を探る。
俺には友達発見器があるのでヒメちゃんの居場所はすぐに分かる。分かるのだが、すぐに俺が傍に行ってもいいのだろうか。近づいたら逃げられる気がするし、少し時間を置いたほうが気持ちに整理がつくこともある。ちょっとぶらぶらしてから向かうのが良いだろう。
そう思って、ヒメちゃんから少し離れた場所をうろうろしていると、突然地面が盛り上がった。
(うわっ、なんだこれ)
盛り上がった地面に裂け目が入り、あろうことか、そこからヒトが出てきた。しかも出てきたヒトは、ヒメちゃん? あれ、おかしいな。友達発見器は別の場所を示しているのだが……。
(ん? ヒメちゃんかと思ったけど、もしかして、サラちゃん?)
「おや、悪霊さんの声がします。もしかして近くに居たりします? これは幸先が良いですね」
穴から出てきたのは、塔の地下で会ったサラちゃんであった。




