師弟対決
「さて、こんなもんさね」
一仕事終えたマダムが戻ってきた。場所はマダムのムラの郊外。道から外れているため、この辺りには家も見当たらない。周りにも住み着いているヒトは居ないだろう。
「コロシアム並とはいかないが、少しなら<十闘士>同士が喧嘩しても壊れないと思う。存分に戦いな」
「が、頑張りましゅ」
マダムはそう言って笑顔を見せる。しかし、急に師匠と戦うことになったパイルさんはさっきから緊張しっぱなしだ。語尾もさっきから不安定である。
話は数刻前に遡る。
「な、何で私が師匠と戦わなくてはならないんだ! しかも、本気で!」
クリスタから予想外の提案を受けたパイルさんは狼狽えていた。
「パイル、あなたの話を聞いてて思ったんだけど、あなた、お師匠さんとの関係をなあなあにしたままでしょ?」
「い、いや、私と師匠の関係は、恋ではなく憧れだと……」
「それは、周りが言っていることでしょ? あなた自身の言葉じゃない。あなたが思う師匠との関係じゃないよ」
「それは、まあ、そうなんだが……。あ、いや、それは違う。それでは、前に相談したみんなに失礼だ。確かに、私と師匠の関係を憧れと判断したのは私ではなく周りなのだが、私自身、そうなのかとも思っている。だから、これは私の思う師匠との関係だ」
「そう。で、それはあなたの願う師匠との関係なの?」
「それはーー」
パイルさんは口を開いたまま固まる。次の言葉は出てこなかった。
「さっきの話の中にもバイダルさんが出てきたけどさ。なんだろうね。そう思うのは私だけかもしれないけどさ、『私の師匠は凄いんだぞ』とか『私の師匠は優しいんだ』って思いが言葉の端々に見え隠れしてるんだよね。直接言葉にしなくてもさ。ーーああ、いや別にそう思うのはダメって言っているわけじゃないよ。他人を慕うことは悪じゃないし、慕っているヒトと恋い焦がれているヒトが別々なんて良くあること。けれど、あなたはそれでいいのかなって思って。あなたはこのまま永遠に、バイダルさんと師弟関係のままで満足なの? それがあなたの願うことなの?」
「だ、だが、師匠とグレンのことは別の話でーー」
「そんなことないよ。バイダルさんのこともグレンさんのことも、本質は同じ。あなたが彼らとどういった関係を願うかということ」
気がついたときに傍にいたのはバイダルさん。育ての親であり、戦闘の師。紳士な態度で誰にも優しく、それでいて最高峰の実力を持つ強者。
最近になって気になり始めたのはグレンさん。幼馴染であり、ライバル。普段は剽軽だが、一途な思いを数百年懐き続けた剛毅のヒト。
同じ話なら、先にあったものから順に処理していったほうが収まりが良い。
「それに、恋も憧れも、言葉が違うだけで意味のベクトルは近いからね。片方がストンと収まれば、もう片方も自然に収まるかもしれないしさ。まずはこっちの問題から片付けたほうがいいよ」
「だ、だとしても、わざわざ戦わなくとも……。話して思いを伝えるとか……」
「いやいや、そんなの無理だって。それができてたらこんなグチャグチャ悩んでないから。ずっと戦いの訓練ばっかたしてたんでしょ? お師匠さん相手にさ。だったらさ、本気で、懸命になって戦ったほうが、伝わるものもあるし伝わってくるものもあるでしょ。コロシアムで君を負かした相手もさ、そう思ったんじゃないの?」
「あ……」
そう呟いた彼女はしばらく黙る。表情から見て取れる感情は、困惑ではなく把握。
何かが彼女のなかにストンと収まったようだ。
「そうなのかな……。そうなのかもしれない。……うん、分かった。そうしてみるよ。ありがとうクリスタ」
「いいってことよ」
ぷいと顔を背けて呟くクリスタ。慣れないことをして恥ずかしがっているようだ。
パイルさんの顔は明るい。さっきまでの焦った表情が嘘のようだ。相談というか、叱咤という感じだったが、クリスタのおかげで何とかなりそうで良かった。
「あ。だが、返事の期限はもうすぐーー」
「そんなの待たせとけばいいって。数百年待った相手でしょ? 数日待たせたところで大して変わんないから」
「で、でも、師匠と本気で戦うには最近訓練をサボりすぎている。せめて三ヶ月は訓練に集中したいんだが……」
「は? そんなもん行き当たりばったりでいいでしょ。恋に準備期間があると思うな。頭で考えるな。身体で感じろ。というわけで、戦闘は今すぐ始めるよ。バイダルさんと連絡つくヒト、ここに彼を呼んでくれる? <十闘士> vs 準<十闘士> の非公式戦闘を始まるよ」
というわけで現在。
戦いの場所がないだろうとマダムが言い出し、即席の闘技場を造ってしまった。闘技場と言っても地面を固く踏み均しただけなのだが、三階建ての家が数百軒入りそうな深さと広さの大穴がそこにはあった。キレイな円柱状の穴であり、底も壁面も土とは思えないほど固くなっている。
この戦闘を見守るのはセミル、ヒメちゃん、マッド、ノーコちゃん、マダムにクリスタの6人+俺。生贄になっていた三人の封印は解いていない。何となく、この戦いが終わるまでは放置していたほうがいいだろうとみんなが判断した。グレンに見られるのはパイルさんも嫌だろうし。
ちなみに、モズの早贄三人衆を見たパイルさんはかなり驚いてた。彼ら三人が来ていたことを、今の今まで気づかなかったらしい。
「マダムの所業だと思うけど、本当に気づかなかったの、パイル。物音とかしなかった?」
「いや、まったく……。マダムはずっと私の話に付き合ってくれていたし、戦闘音なんて一切なかった。マダムが席を外したのはお茶が切れたときくらいだ。けれど、10分も経たずに戻ってきたぞ」
ということは、お茶の準備をしている間に、あの三人をこの状態に調理してのけたのか。しかも、屋敷の連中に気付かれないように。やはりマダムは化物だ。
「皆さん、お久しぶりですな」
音もなく、バイダルさんが俺達のすぐ傍に現れた。いつもの口調、いつもの紳士服である。
「どうも。マダム殿。お久しぶりです。まったく衰えておらぬようで安心しました」
空けられた大穴を見てバイダルさんは言う。
「バイダル。急に呼んで悪かったね。一応、周りに被害がでないように場所だけは造ったからこの中でやってくれ。後はちゃんと、パイルのこと見てやんな」
「はい。もちろんです」
バイダルさんはパイルに近づく。
「して、パイル。私と戦いたいというメッセージを受け取りましたが、意思は変わっておりませんか?」
「は、はい、師匠。意思は変わっていません。それに、今日は、以前までの訓練のような戦闘ではなく、本気で私と戦ってください」
パイルさんは緊張している。無理もない。ランキング差は4つしか無いとは言え、準<十闘士>と<十闘士>とでは実力差がかなりあるらしい。多分、本気で挑んでも敵わないだろう。
「本気で、ですか?」
「はい、お願いします」
「ふむ……」
しばらく見つめ合う二人。やがて、バイダルさんが口を開く。
「いいでしょう。この穴から叩き出されるか、戦闘不能になったほうが負けでいいですね。それでは、準備はいいですか?」
「は」
「待った!」
はい、と言おうとしたパイルさんを止めたのは、今まで成り行きを静観していたクリスタだ。挙手をして、二人の間に割って入るように進み出る。
「クリスタ? どうして……」
「ごめんね。パイル、その勝負ちょっと待った」
「あなたは……?」
「私はクリスタ。パイルの知り合いで、この本気の勝負をけしかけた者です。ああ、私はバイダルさんのことはよく知ってるから名乗らなくていいですよ。有名人ですからね」
「それは、恐縮です。して本気の勝負に待ったをかける理由をお教え願えますかな?」
「それはですね。バイダルさん、あの大穴を見ていただけませんか?」
「あの大穴?」
クリスタに指示された方向をバイダルさんは見る。
「そう、その底の方です」
パアンっと、小気味のいい音が響く。そちらを見ると、片手を突き出したクリスタと、首が傾いたバイダルさんが固まっていた。二人の姿勢から察するに、不意をついたクリスタが思いっきりバイダルさんをビンタしたらしい。
「何を?」
特に堪えた様子もなく、ぐりんと首を捻ってクリスタの目を見て、バイダルさんは尋ねる。
「いやあ、バイダルさんの弟子への優しさがですね。思わず惚れちまうくらいすごかったもんですから、ついムカついちゃいましてね。図らずもビンタしてしまいました。すいません、謝るので許してください」
滔々とクリスタは言う。彼女は笑顔だ。笑顔だが、目が笑っていない。
「言ってる意味が、わかりませんが?」
「ああ、分かりませんか? 最愛の愛弟子が、悩みに悩んだあんたの弟子が意を決して本気で戦って欲しいと言っているのに、いつまで彼女を弟子扱いしてるんですか、馬鹿野郎って意味ですよ」
「……」
「クリスタ……」
「パイルもパイルだ。何が『はい、お願いします』だ。いつまで弟子の気分で甘えている。このまま戦っても、勝っても負けても何も変わらない。何も伝わらない。何も伝えられない。あやふやな師匠と弟子の関係のまんまだ。さっき言っただろうが、お前はどんな関係を願っているんだ? 師弟か? 憧れか? 恋人か? 本気でやらないと、どれもまともに手に入らないぞ。分かってるのか?」
クリスタはパイルの方を見ない。バイダルさんの方を見たまま、彼女に言う。
「分かっている。分かっているんだが、身体が震えて……」
「……パイル。そうか、お前は悩んでいたのだな。済まない、気づかなかった。私は師匠失格だ」
バイダルさんがそう呟くと、彼の前にいたクリスタが吹っ飛んだ。
「クリスタ!」
飛ばされたクリスタはマダムがキャッチした。彼女は動かない。どうやら気を失っているようだ。
「お前は、こっちだ」
バイダルさんの言葉を残して二人が消える。瞬間、穴の底に響く嫌な音。
そちらに視線を向けると、地面に叩きつけられたパイルが宙を舞っていた。
「パイル。私は師匠失格だ。故にお前とはもう師弟ではない。だから、本気で戦おう。だからこそ、本気で戦おう。この姿はお前にも見せたことは無かったな。久しぶりにこの姿になって闘うんだ。あまり早く、爆ぜてくれるなよ? それでは楽しくないからな」
パンツ一張羅に身を包んだバイダルが砂埃の中に立っていた。




