ちょっとした秘密
「ご主人様、捕まえてきました」
「ご苦労だったね、シエル。手間をかけさせたね」
シエルと呼ばれた女性がドアを開いて現れた。彼女は廃棄されるはずだったニンゲンのひとりであり、五百年ほど前から管理者とここで暮らしている。管理者の代わりに雑務をこなし、彼の話し相手もするらしい。管理者が近づくと少女らに逃げられるため、彼の代わりに捕まえてきたのだ。
彼女は四本のロープを手に持ち、その先には四人の少女が縛られている。部屋に入ってきたときは彼女らは大人しかったが、管理者のことを見るや再び逃げ出そうと足掻き始めた。
「キャー、ケダモノよー!」
「変質者ー!」
「離してください。あなたのことが嫌いです!」
「こら、おとなしくしないか!」
シエルさんはロープを匠に操り少女たち四人を床に転がす。
「ご主人様。今のうちに」
「アインス、イスナ、サラ、フィーラ。私の言うことを聞きなさい」
「ケダモノーケダモノー!」
「話しかけないでください! あなたのことが嫌いです!」
「わー!」
「キャー!」
「うーん。どうしたものかな……」
管理者さんの言葉に耳を貸さず、ジタバタ暴れる少女たち。管理者さんの指示に従わないのか? 絶対服従みたいなこと言ってなかったっけ。
「いや、私の言うことを聞いているから、逃げだそうと足掻き、叫んでいるのだな。悪霊さん。君のほうからさっきの言葉を訂正してくれるか?」
(ん? ああ、俺の命令がまだ有効だってことね。了解した。みんな。さっきの言葉は取り消す。君たちのご主人様は変質者じゃなかった。俺の勘違いだった。ごめん)
ピタっと、動きを止める少女たち。
「ご主人様は変質者じゃないのですか?」とアインスちゃん。
「気を付けなくともいいのですか?」とイスナちゃん。
「逃げ出さなくともいいのですか?」とサラちゃん。
「叫ばなくともいいのですか?」とフィーラちゃん。
(そ、そうだね。変質者じゃないし、気を付けなくていいから、管理者さんの指示に従ってあげて)
「はい」
「分かりました。そうします」
ようやく彼女たちは大人しくなった。
「はあ、ようやく静かになった。まったく、悪霊さんのせいだからな」
(いやー。すまんすまん。4人全員がすんなり管理者さん=変質者だと肯定したから、何か良からぬことをしていたのだと勘違いしてしまった。さんざん罵倒されたし、そのことについてはいい加減許してくれ)
シエルさんがアインスちゃん達を探している間に、俺は数百年分の罵詈雑言を管理者から受けた気がする。最初は大人しく聞いてたけど、途中から口論になり、舌戦となり、最終的には罵り合う子供の喧嘩になっていた。にも関わらず、管理者はすごい楽しそうだった。きっと、管理者になってから誰かと口喧嘩することも無かったんだろうな。
管理者という肩書はあるが、彼もセミル達と同じ普通のニンゲンなんだと実感した。ちょっとだけ彼と仲良くなった気がする。
「仕方ない、許そう」
(上から目線か)
「管理者だからな」
(俺の、ではないだろ?)
管理者さんは口角を上げて肩を竦める。ちょっとした冗談を言い合うこの感じ。これが彼の素なのだろう。管理者になってからは外のニンゲンとは一切離さず、命令に忠実なニンゲンとだけ過ごしてきた日々。そんな無味の日常で、どれだけ素面の自分を曝け出せたのだろうか。
(許されたついでに管理者さん。ちょっとお願いしてもいい?)
「ん? 何だ? 今はちょっと気分がいいからな。お願いされてやるぞ?」
(まあ、簡単なことなんだが、俺と友達になってくれないか。俺と話せるニンゲンは少なくてな。少しでも友人を増やしておきたいのだ)
「なんだ。本当にちょっとしたことだな。だが、それはこちらこそだ。これからもよろしく頼むよ」
(そうだね、よろしく。ああ、あとアインスちゃんたちも俺の友人にしてくれるかい? 命令すればできなくはないだろ?)
「ああ、それは構わないが、彼女らは友という言葉とその意味を知らない。友人の定義を先に教えなきゃならんな……」
(だったら「俺のことを真摯に思い続けてくれれば」それでいいよ。真摯も教えるのが難しいなら「気が向いたら俺の言うことを聞く」なら、伝わるかな)
「そうだな。試しにやってみるか」
管理者さんは俺の言ったとおりに彼女たちに命令する。やはり、「真摯」は難しかったのか彼女らは小首を傾げていたが、「気が向いたら俺の言うことを聞く」という指示には肯定の返事を返した。
「これでいいのか?」
(ああ、ありがとな)
「気にするな……」
くいっとメガネを上げて恥ずかしそうな表情を隠した彼は、俺から逃げるように席へと戻った。
(あ、そういえば何で俺と会話したいが為にヒメちゃんを拉致したんだ? さっきの説明にはその辺の話が無かったよな)
「ん? ああ、そういえばそうだったな。説明するのを忘れていた」
(おい)
「まあ、そう怒るな。別に大した話じゃないんだ。悪霊さんとは話したかったが、セミルさん達、他のみんなと話したくはなかった。私の冗談でうっかり死んじゃうのは嫌だったからな。ただ悪霊さんの姿は見えないし、常に声が聞こえるわけじゃないから、連れてくるにも策を弄する必要があった」
(策?)
「うーん。策と言うほどでもないかな。結局は失敗しちゃったし。
① 君らから一人だけ連れ出した後、捕獲用の罠を発動して空間ごと移動させる
② その一人に悪霊さんが付いていれば、一人と悪霊さんを捕獲できる
③ あとはその一人を眠らせて、悪霊さんだけここに引っ張ってくればいい
最初にヒメちゃんを捕獲したのは、一番悪霊さんが付いていそうだって思ったからだよ」
(……けど、そこに俺はいなかった)
「そう。で、君たちはみんなで手分けしてヒメちゃんを探し始めた。三人の誰かに付いてってるのかと思い、それぞれをおびき寄せる為にアインス達三人を送ったんだけど、結局悪霊さんの声が塔一階から聞こえてきたからね。何を言ってるかは聞き取れなかったけど、慌てて罠を発動してみたらちゃんと捕獲できていた、と」
あ、危ね〜。それ、死神さんとの会話だよな。聞かれでもしたらミジンコ転生の可能性もあった。危なかった。
(四人まとめて捕獲して眠らせて俺だけ引っ張るのが楽じゃない?)
「生憎、四人だと罠で捕獲する成功率が下がるんだ。よしんばそれで四人を捕獲できてもそこに君が居なかったら台無しだからね。君の居場所を特定できなくなる。彼らを開放しても同じ手は警戒されるだろうし、チャンスを増やすために一人ずつ捕獲しようと判断したんだ」
なるほどね。考えてらっしゃる。
「ちなみに、ヒメちゃん以外の三人も閉じ込めて眠らせているから、悪霊さんの帰るときにでも解放させるよ」
(あ、みんな捕まってたのね)
俺は友達発見器を発動する。セミルもマッドもさっき探った方向から変わっていない。管理者の言う通り、捕まっているようだ。
「まあ、もう少し話しても大丈夫だろう? 約束通り、君の世界の話が聞きたいのだが」
(ああ、その約束だったな。眠っているならセミル達も大丈夫だろうさ。いいよ、何が聞きたい?)
「そうだな、まず君たちの世界の挨拶について教えて貰えるか?」
管理者との会話は弾み、ついつい長居をしてしまった。
(そろそろ戻るよ)
「そうか。まだ話足りないのだが仕方ないな。次はこちらから出向こう」
(引きこもりは卒業か?)
「馬鹿を言え。彼女らのうちの誰かにでも行かせるよ。アインスでもサラでも、彼女らを介せばフェアリーを通してコミュニケーションが可能だからな」
(なるほどね。楽しみにしてる)
そうか。そういう方法があったか。フェアリーを直接操れば、片言にならず流暢な言葉を話すこともできるのだな。
「なあ、悪霊さん。最初に来たとき、俺の名前を訊いたよな。まだ気になるか?」
(そうだね。気になるよ。でも、言いたくなければ言わなくていいよ)
「そうだな。最初は私もそう思ってたんだが……、なんとなくだが悪霊さんには、俺の名前を知っておいてもらいたくてな。ああ、別にそう呼ばなくていいよ。これまで通り管理者と呼んでくれて構わない。単に心に留め置いてもらいたいだけだ」
管理者は意を決したように口を開く。
「私の名前は『イグサ』だ。死んだことになっているから、あまり外では言わないでくれよ。まだ生きている仲間もいるからね。世界の秘密には及ばないちょっとした秘密だが、そっちと違ってこっちはバラして欲しくないな」
ははは、と彼は笑う。
(分かった。覚えておくよ)
「ありがたい」
(じゃあ、代わりに俺の本名も教えようかな。悪霊っていうのは世を忍ぶ仮の名でな。俺の本当の名前はーー)
「それなら知っているよ。ユリカさんの言葉を聞いていたからね。珍しい名前だったからよく覚えてる。そっちで呼ぼうか?」
(……いや。この世界の俺は「悪霊さん」だからな。そう呼んでくれ)
「分かった。それじゃあ、また会おう悪霊さん。今日は楽しかった。また、君の世界の話を聞かせてくれ」
(ああ、また、会えたらいいな。それじゃあ)
挨拶を交わし、俺達は別れた。
「どうぞ、こちらへ。ムラの近くまでお連れします」
サラちゃんに連れられて俺は移動する。来たときとは別のエレベーターに案内されるようだ。
小さなエレベータに俺とサラちゃんは乗り込み、上へと向かう。
(サラちゃん。ご主人様は好き?)
「……好きではないですね」
(じゃあ、嫌い?)
「嫌いでも、ないですね。ご主人様の言葉には逆らえませんが、私達が嫌なことを指示するのは極力控えているように見受けられます」
(そっか。じゃあ、ときどき話し相手になってあげてよ)
「なってますよ? シエルと一緒に」
(そうじゃなくて。冗談を言い合うような、悪口を言い合うようなそんな話し相手になってあげてよ)
「ご主人様に嫌われろ、ということですか?」
(違う違う。悪口を言い合うくらいに、仲良くなって欲しいってこと。管理者さん、自分の失言で君たちが傷ついたり死なないよう、気を遣っているようだったからね。常にそれだと苛々しちゃうから、それを解消する相手になってあげて欲しいんだ)
「はあ。でも、ご主人様の言葉には逆らえません」
(大丈夫。君にその気があるなら大丈夫だ。俺が命令するよ。「管理者が君らに言う悪口雑言、罵詈誹謗、身体障害を引き起こすような指示は冗談だから、従う必要はない」。どちらも逆らえないご主人様の言葉だ。気が向いたら、こっちの指示に従うといい)
さっき、管理者に「気が向いたら俺の言うことを聞く」ように「命令」させたのはこれが理由だ。もしかしたら無意味かもしれないけど、これで管理者の気が晴れるようになるならそのほうが良いだろう。
「……分かりました。でも、ご主人様が私にそんなこと言うとは思えないのですが……」
(そうだね。まあ、俺が君にそう指示したって言えば、試してくれるんじゃないかな)
「……」
(言うも言わないも、サラちゃんの好きにするといいよ)
「……そうですね。そうします」
エレベータの扉が開く。俺とサラちゃんは扉の外へ出る。そこは浅い洞窟の中であった。曲がった先に明かりが見える。おそらく外だろう。
「眠っていた皆様はもうお目覚めしたかと思います。洞窟を出て、道なりに進めば塔へと着くはずです」
(分かった。ありがとね)
「それでは、お気をつけて」
彼女は下へと戻っていた。エレベータの代わりにズズズと音がして岩が現れる。普段はこれでカムフラージュしているのだろう。
洞窟を出ると、外はもう暗くなり始めていた。




