幽霊になったらやってみたいこと
俺がこの世界に来てから3日が経過した。
意識だけの存在となった俺は、とりあえず天からのお迎えが来るのを待ってみた。だが一向にその気配がないので、この緑の大地を彷徨っていた。
体はなくとも移動はできるようで、自分の思い通りの方向に動くことができた。前後左右だけでなく、上下にも移動でき、地面の下には潜れないものの、上にはおおよそ3mの高さまで視線を持っていけた。
感覚器官に関しては、視覚と聴覚が機能していて、景色が見えるし風の音も聞こえる。一方で、嗅覚・味覚・触覚は完全に無くなっており、違和感が半端ない。ただ、三半規管はあるようで、自分が地面に対してどれだけ傾いているかは感じられた。これはありがたい。これがあるだけで、どこに視線を向ければいいか感じることができる。
そんなわけで、現状の俺はファーストパーソンシューティングゲームのキャラクタを、自分の意思で操作できるような存在だ。ただし、手も脚もないので、物を持ったり、何かを操作できないため、ものすごく自由度は低いが。
移動と思考しかできなくなった俺は、殺風景な草原をひたすら移動した。
太陽が出ていないので、最初は小高い丘を目印に移動し、丘の上からできるだけ遠くを見た。小さな川を見つけたので、あとは川沿いに下流へと向かった。他の人間、あるいは生物を探すことが目的だ。自分で自分を見ることはできないが、それは他人からも同じなのか、確認したかったのである。ちなみに、水面を覗き込んでもそこには何も映ってなかったので期待は薄い。
川沿いにひたすら移動する。幸か不幸か、疲労感も空腹感もなく、眠くなることもなかった。
太陽が沈んだのか、周りが暗くなっていく。しかし、ちょっと薄暗いかな、と感じるだけで、全く何も見えないということはない。月も電灯もないのに不思議だが、そもそも俺には眼すら無かったことを思い出し、そういうもんなんだなと受け入れて、移動を続けた。
川に魚がいたので、試しに水中へと移動してみた。ちょっと濁った視界の中、俺は魚のすぐ側に移動した。じーと観察しても、そいつは特に気にすること無く川の流れに身を任せており、やがて体をくねらせて遠くへと泳いでいった。魚は見たことあるような、ないようなそんな種類だった。そういえば、水中に潜ったにも関わらず、波紋がひとつも立たなかったな。うーん、本格的に幽霊になってしまったっぽい。
世界への干渉手段を失ったようで、少しさみしい。
そんなこんなで、この世界で目覚めたから丸3日。ひたすら移動し続けた俺は、とうとう村と呼ぶような集落を見つけた。舗装されたように固くなった緑色の道があり、その道沿いに家がポツンポツンと建っていたのだ。
しかし不思議なことに(もう大抵のことが不思議すぎで不思議とも思わなくなってきたな)、その家々は酷く統一性がない。木造のログハウスの隣に近代的な洋風の一軒家があり、その少し向こうにはサーカスみたいなテントが張られている。遊牧民のテントみたいな……ゲルって名前だったっけか。景観も環境も思想も無視された家々は、統一感を根こそぎ破壊されたかのように点在しており、まるでどこかのテーマパークに迷い込んだような印象が感じられた。
(とりあえず、どこかの家に入ってみるか……)
比較的まともそうな家を選び、中に入ってみることにする。選んだのは西洋風の1階建ての家。柵や塀など阻むものは何も無く、ただし表札や、郵便受けといった人が生活しているサインも特に無かった。
デッキテラスを上がり、カーテンのかかったガラスに近づく。カーテンの隙間から中が見えないかなと角度を変えてみたが、暗くてよく見えない。幽霊だし、通り抜けられないかなと思い、ゆっくりと移動し続けると、案の定、部屋の中に入れた。
部屋には住人がいた。ラフな格好で椅子にもたれた若い女性が一人。少し眼を細めて、じっと何かを見つめている。
(あ、すいません。急にお邪魔するつもりは無かったのですが……)
と心の中で声をかけてみるも、女性に反応はない。どうやら彼女も俺のことを認識できないらしい。ハアと心情的なため息をついて、彼女の視線の先を見る。
そこには一枚の大きな絵があった。高さは俺の身長ぐらいで、幅は両手を大の字に広げたよりちょっと大きいくらいだろうか。油彩の風景画である。
俺は彼女の真後ろに移動し、絵を観察する。あいにくと絵心が無いので良し悪しは分からない。すごく上手いなーと、一般人らしい陳腐な感想を抱いていた。
(ん?)
と、そこで俺は重大な事実に気づく。
彼女は、とても、とてもとてもラフな格好をしているということに。
すすすと上へ移動し、斜め後ろから彼女の首元を観察する。な、なんと! 大きく胸元の空いたインナーから、こぼれそうなお胸さんが見えるではないか!
(これは……ほほう……なかなか……)
彼女が体をひねるのに合わせて移動し
(なんと……むぅ……素晴らしい……)
感嘆符を漏らす。
俺が芸術鑑賞に夢中になっていると、彼女は急に前かがみになってしまった。両肘を膝にのせ、手に顎を乗せて、より近くで絵を観察し始めたのだ。この角度からではお胸さんがよく見えない。
(むぅ、もう少し良いではないか……。お?)
すすすと今度は彼女の正面へ移動する。視線を下げて、下げていくと、今度はきれいな色白の両脚が眼に入る。そして、その向こうには……。
ゴクリと無いはずの生唾を飲み込む。落ち着け、落ち着くんだ俺……。俺は紳士だ。紳士はこういうとき、なんと言うべきか分かっているだろう? まずは挨拶だ。挨拶は大事。
(パンツ見せてもらってもよろしいですか?)
「ん?」
(ん?)
パチリと、俺のことが見えないはずの彼女と、目が合った気がした。
(……)
「……」
(あの、おパンツ……)
「キャーーーーッ!!」
黄色い悲鳴が家中に響き渡った。