フォウリンの戦い2
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エイジャ共和国国家主席、ルート・フォン・エイジャは目の前の現実を正しく認識できなかった。
「こいつが王か?」
「多分。一番でかい家で一番大事に扱われてましたし、間違いないでしょ」
彼は危機に備えていた。第二級の厳戒態勢を出した帝国をほんの一時だけ「何を馬鹿な」と軽んじたものの、それでも想定された最悪には十分に備えていた。
観測された宇宙船の推定最大搭乗人数は百人。数ヶ月の宇宙航行に必要な物資を考えるなら、どう考えてもそれが限界だ。その百人の先祖返りが敵であったとしても十分な対抗戦力をルートはフォウリンに配備していた。
軍艦を始めとした海上兵器に戦車や火砲といった陸戦兵器。それらを扱う数万の兵士と、最悪の白兵戦に備えてエイジャより掻き集めた先祖返り百人。さらには、確かな血統と尋常ならざる鍛錬により全員が先祖返りと同等の力を持つとされる元暗殺一家ミヤナギ一族百二十人。
それは諸月を遥かに上回る戦力だった。万が一にもガイアの人類は対抗できない、いや、対抗する意志すら捻じ伏せるほどの軍事力をルートはフォウリンに集積していた。
『万事抜かり無かれ』。日頃そう口にする彼であったが、帝国の属国である以上、自分が満足するほどの備えは今までに一度たりともできなかった。しかし今回は違う。皇帝自ら発した第二級の厳戒体制を盾にとり、彼は望むままの戦力を首都に揃えた。軍艦を配備し、戦車を掻き集め、兵士ひとりひとりに十分な装備を整えた。共和国の象徴たる人民大会堂には帝都の第一分隊に勝るとも劣らない先祖返りのみの部隊を配置した。彼の護衛も当然、全員が先祖返りだ。思うがままに街並みが変化し、権力が自分のものに集まってくる。それが一時的なものだと分かっていても、人民大会堂から首都を見下ろす彼は支配者のみが得られる眼下の景色に酔いしれていた。
しかし、それは宇宙船の墜落から一変する。
落花のごとく、酔は醒めた。
彼は今、倒壊した建物の屋根の上に転がされている。護衛はいつの間にか消えていた。世界随一の美しさと称されたフォウリンの街並みは見るも無残に破壊され、あちらこちらから火の手が上がっている。今朝までの面影は、もはやどこにも見当たらない。
「なんだ、これは……?」
消え入るようなか細い声で、彼はそう呟いた。
「機械の一族の王よ。〈イヴの欠片〉はどこだ?」
呆然としていたルートは背後から声をかけられた。振り返ると、そこにはメガネをかけた女性が座っていた。傍らには自分をここまで拉致した大男と剣を腰にぶら下げた青年が控えている。
「誰だ、貴様らは……」
「? 頭が鈍いな。今の状況を分かっているのか?」
ルートの脚に痛みが走った。思わず悲鳴を上げて、彼は自分の脚を見る。ふくらはぎのあたりから勢いよく血が出ていた。何かに貫かれたように服に穴も空いている。
「あ、うわあァァァーーーー!! 私の脚が、脚が、撃たれた!! 誰か、誰かァァァーーー!!!
「あーあー、うるせぇな」
「おま……お前らが、ガイアの人類か……! あ、そ、そうだ! ウンリュウ! ウンリュウはどこだ! ウンリュウが来ればお前らなんぞ――」
「ウンリュウ? そりゃこいつか?」
大男はぶっきらぼうにそう言うと、ルートに向かって何かを放る。血と臓腑を撒き散らしながら飛んできたそれは、醜く崩れた人の上半身であった。片目のないその顔に、彼は今まさに求めていた人物の面影を見た。
「……え、え? ぷえ?? ウン、リュウ……?」
「そいつと……あー、何だっけ? ミヤナギ一族つったか。いやー、あいつらは強かったなぁ。俺も久しぶりに楽しめたぜ。それだけで遥々テラまで来た甲斐があるってもんだ」
大男は大口を開けると嬉しそうにハッハッハと笑った。
「そんな、どうして……? あいつは……ウンリュウは……エイジャ最強の男なんだぞ……?」
「……喚くな、煩わしい」
「ひ――」
鬱陶しそうな女の言葉に、小さな悲鳴を上げて彼は黙りこむ。彼の奥歯はカタカタと小さく震えていた。
「もう一度だけ聞こうか。〈イヴの欠片〉はどこだ?」
「イ、イヴの……欠片?」
「知らんのか? 前の宇宙船でこちらにきた五人の子供だ」
「子供……? ……そ、そんなはずはない。前の宇宙船には誰も乗って居なかったと聞いている」
「聞いている? お前は、王ではないのか?」
「王……ではない」
属国とはいえルートは一国の主だ。王と呼べなくはない。しかし、女性の詰問するような口調に、ここで王と答えたらどんな目に遭うか、この脚を貫かれたようにまたどこか別の場所を貫かれるのではないのか、そんな恐怖が彼を「王ではない」と答えさせた。
――だが。
「ふん、何だ外れか。おい、ハルガンさっさと王を連れてこい。ウォルフ、こいつは殺して構わん」
「殺ッ……!?」
無情にも女はそう口にする。ぶっきらぼうに放たれた言葉であったが、だからこそ冗談で発した言葉ではないと直感的に彼には分かった。
「えぇ! またかよー。俺もさっさと戦いてぇよー」
「知るか。さっさといけ」
「抵抗しない者を一方的にいたぶるのは嫌なのですが」
「知るか。さっさとやれ」
大男と女はまだ言い合っている。一方で、青年はため息をつくと剣を抜きながらルートに近づいてきた。
ゆっくりと確実に近づいてくる死。隣に転がされたウンリュウの上半身が嫌でも目についた。
殺される。殺される。自分は今、この場で、確実に殺される。
恐怖の限界はとうの昔に超えており、吹っ切れたように彼は「自分の死」を覚悟した。その覚悟が、彼を束縛していた恐怖心を相対的に小さくさせる。狭まっていた視界が広がり、辛うじて面影の残るフォウリンの街並が目に入る。倒壊した家屋に押しつぶされて赤く染まった住民たち。道や壁に身体を預けて動かない兵士たち。その中には彼の見知った人物が何人もいた。つい先日言葉を交わしたものもいる。腹心のウンリュウに至っては、先日どころかつい先程まで普通に会話をしていたのだ。
人を人とは思わぬ所業。地獄が顕現したと錯覚する光景。
目の前の連中が、この惨劇を引き起こしたのだ。恐怖に抑圧されていた怒りが、心の奥底で沸々と煮えたぎっているのを彼は感じていた。
「――なぜだ?」
ルートが口を開くと、青年はピタリと脚を止めた。
「なぜ、こんなことをする!? どうしてこんな酷いことが平然とできる!? ウンリュウ、ヤハタ、ハオラン! シギル、クーガー、ユーハン! 貴様らが踏みにじった者たちの名だ! 彼ら……いや、彼らだけではない! ここに住む者たちは――お前らに殺された人々はみな、ただ平和に暮らしていただけだ! 何なんだお前らは!? 私たちがお前らに何をした!?」
怒りを込めて。憎しみを込めて。ルートは彼らにそう叫んでいた。
「何をした、だと?」
彼の言葉に反応したのは青年ではなかった。奥に居た女はそう言って立ち上がると、大男と青年を押しのけてルートに近づき、片手で彼の胸ぐらを掴んでぐいと持ち上げた。女の細腕でなんて力だと思う間に、喉が締まりルートは呻き声を上げる。
「『どうしてこんな酷いことができる?』だと? 貴様らが言うな!! 機械の一族!!!」
昏い昏い女の瞳がルートを見据える。人を殺せそうなほど強い眼力に睨まれて、吹っ切れたはずの恐怖が再び彼の中で大きくなる。
「アドナイ、エル、ヤハ、イルエ、サマリ、ガラル、クロエ、エルマ! アスラ、カダヴァ、セドラ、シーラ、イェネス、テトス、オルゴス、マリア! マキラ、デビラ、イシス、マティス、メシア、フタビ、ペケト、アトム! ダキア、アシュラ、フールー、フェル―ラ、アナト、タロト、バアル、ヤナム! アラル、アラメ、マズド、ナハベト、ウルス、フシャタ、ケルグス、キーラ! クラベス、カナベド、シシキリ、シルヴァ、セシリー、ゲルド、そして、……イヴ! みんな貴様らに殺された我が同胞だ!! なぜだと!? どうしてだと!? 忘れたのか機械の一族!! 三千年前、和平の道を鎖したのは貴様らだぞ!!!」
鬼の形相で叫ぶ女に、ルートは「な、何のことだ……?」と答えるのが精一杯であった。女の台詞の言葉通りの意味は分かっても、どれだけ記憶を漁ろうとその意味するところにまるで心当たりがなかったのである。
拍子抜けしたようなルートの台詞に、女は溢れた怒りを嗤い声に変えて吐き出す。
「く、くく、カカカ。本当に忘れてやがる。……ああ、そうか。こいつらの寿命はせいぜい数十年だったか。知りもせず、気にもせず、口伝せず、記録せず、忌み嫌い忘れてのうのうと生きてきたのだなぁ。もういい、貴様らは滅べ。たかだか数千年前の反省も活かせぬ生物など消えゆくのが自然の道理だ。数十年すら記憶の保たぬ粗末な頭を呪いながら果てるがいい」
女の力が強くなった。ビキビキとルートの喉から嫌な音が聞こえる。彼の口から小さい泡が漏れ出した時、それは唐突に起こった。
地響きと勘違いするほどの低い唸り声が大気を震わせる。それとほぼ前後して、津波を思わせるほどの巨大な飛沫が海から舞い上がった。飛沫は空を飛び、港から少し離れたフォウリンの街まで夕立のように降り注いぐ。
「う、が、ガハッ……」
突然の事態に驚いたのか女はルートの首から手を離すと海の方へとその身を向けた。大男と青年もそちらを見る。
「おいおいおいおい、何だ、ありゃ?」
巨大な黒い何かが、海中から陸にあがろうともがいていた。港に停泊していた軍艦がおもちゃのように潰れて消える。その黒くて丸い巨大な何かは、身体から大量の海水を滴らせながら、ビジャリビジャリとフォウリンの街へと進撃を開始した。
「……大きいですね」
「見りゃ分かるわ。何だあれ? 生物か?」
青年と大男は困惑したように巨大な何かを見ていた。落ちかけた意識が回復したルートは、この状況をいち早く理解する。彼はあの生物を知っていた。いや、エイジャで、テラで、暮らしている人間であれば、あの生物を、あのモンスターを知らぬ者など居なかったのだ。どうしてという疑問は確信に変わり、ガイアスの起こした惨状と合わせて、彼はタガが外れたように狂気に笑った。
「く、ククク、アーハッハ!! アレこそは世界に五体のみ存在するネームド級主クラスモンスター、黒鯨『ポセイドン』!! 我々がどうあがいても太刀打ちできなかった世界最大級のモンスターだ!! 巨大なヒレで海底を歩き、一度丘に上がれば都市が平らになるまで蹂躙をやめない忌むべき災厄!! なぜやつが来たか!? 決まっている!! お前らの宇宙船だ!! 宇宙船の墜落が奴の逆鱗に触れたのだ!! 縄張りを害されたと怒っているのだ!! もうお前らはお終いだ!! ここで私と一緒に――」
「喚くなと言ったろうが」
女の言葉とともにルートの口が止まる。幾多もの木の枝が彼の身体を突き刺し、至るところに穴を開けていた。穴の一つ一つからは溢れ出る樹液のように血が滴り落ちる。熟れた実のように血を流す彼は数回びくんと跳ねた後、それきり少しも動かなくなった。
「おー、相変わらず王サマはおっかねぇ」
「まったくですね。……さて、黒鯨ですか。……大きいですね。どうします? 逃げるなら早いほうがいいと思いますが」
「あん? 逃げる? 馬鹿言うな。黒鯨を倒すんだよ。あんなでかい奴は見たことねえ。倒しがいがありそうだ」
大男は準備体操でもするように腕をぐるぐる回す。それを見て女は口を開いた。
「……そうだな。衝突と戦闘で消耗が激しい。奴を喰らうぞ。今日はここで休憩だ」
「さっすが王サマ。話が分かるぅ」
「では、シャラメとダーガーを呼んできましょう。さすがにアレの解体はひとりでは骨が折れるでしょう」
そう言うと青年は姿を消した。一方で大男は嬉しそうに黒鯨に向かっていく。残された女は再び屋根の上に腰を下ろし、上陸しようとしている黒鯨を見ていた。
「ガイアにはあんな生物は居なかったな……。テラ特有の進化ということか。ふぅん、面白い。機械の一族を絶滅させたら調べてみるか」
女は平然とそう言うと、どこか唇を歪めるようにして、にししと笑った。
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