とある科学者の告白
君が――君が、そうか。待っていたよ。……ああ、こっちのことだ。気にしなくていい。立ち話もなんだ、入りなさい。お茶でもごちそうしよう。君の用事はそれからでもいいだろう? どうした、遠慮することはない。
まあ、かけてくれたまえ。今お茶を出そう。……家族は寝ているよ。もう夜も遅いからね。静かに話そうか。どうぞ。ジュースでよかったかな? ……そうか、喜んでもらえて嬉しいよ。お菓子も持ってきた。安心しなさい、毒は入っていない。……私が言っても信じられないか。まあ、どちらでも好きにしてくれていい。私はいただこう。……これ? ああ、私の飲み物だ。おそらく最後の一杯なのだろう? だったらとっておきのワインでも開けさせてくれ。……ありがとう、感謝する。
さて、君はどういった用件で家に来たのかな。まあ、おおよその察しはついているが、改めて確認させて欲しい。……やはりそうか。そうだな。抵抗する気はないよ。好きにするといい。ただ、まあ、最後の晩餐というやつかな。それくらいの時間はもらってもいいだろう? ……すまないね、感謝する。その間、退屈しのぎになるか分からないけど、話をしようか。君だってすぐに聞きたい話のひとつやふたつ、あるだろう?
……何がそんなにうれしいのか、だって? そうだな。君と再会できてうれしいというのもあるし、君の奥にいる彼と、こうして話ができていることもうれしいよ。……冗談ではないさ。心の底からそう思っている。不思議かい? ……まあ、そうだね。その認識は間違ってない。君たちからすれば、紛れもなく私は敵だ。そうだな、それであっている。それでいい。それでいいんだ。
ただ、私が何の罪悪感にも囚われていないとそう思うのなら、その部分だけは誤解している。罪滅ぼし、というわけではないがね。これでも色々とバレないように失態を演じていたんだよ。ああ、そうだ。君はそれに気づいてくれたんだったね。ありがとう、感謝する。……何のことかって? 実験塔のセキュリティについてだよ。あの部屋の管理者は私なんだ。むろん表向きではなく、裏向きではあったがね。古びたセキュリティをそのまま使っていたのはわざとだよ。脱出は比較的簡単だったろう? もっとも、物理的にそうだったとしても、勇気をもって本当に実行できたのは私含めて君以外誰もいなかったがね。
……味方ではないよ。さっきも言ったが、私の立場は君たちの敵のそれだ。そこは誤解をしてはいけない。私はそれだけのことをしてきた。今更蝙蝠のように行って返ってバタバタする気力も気概もないよ。ところで、比喩として扱われる蝙蝠や狐などは、とても可哀想だと、そうは思わないかい?
……ふむ、そうだな。少し昔話をしてあげようか。それを聞けば、君の考えも少しは変わるだろう。今から十五年前の話だ。……なんのことかって? 私の罪の話だよ。……関係なくはないさ。君の出生に関わる話だ。ハハハ、俄然話を聞きたくなったようだね。ああ、そうだよ。私はあの実験に参加していた。主導していたのは当時の私の師にあたる人物だったが、私も携わっていたのだ。
……私のことが憎くなったかい? ……まあ、どちらでもいいさ。私に罪があることには変わりない。なんせ、あの実験で98人が亡くなったのだからね。……そうだ、私が殺した。今でもあのときのことは頭から離れない。悪夢にも幾度となくうなされた。
……そうだな。気づけなかった過ち……いや、気づこうとすらしなかった過ちだ。うまく行けば、そうだ、この閉塞した世界を打破できる。モンスターたちに怯えなくていい世界を作ることができるかもしれない。そんな希望に目が眩んだんだ。いつだって希望は私達を罪悪感から遠ざける。正義と思えば不思議と心が軽くなり、罪を罪だと思うことすら、いつしか無くなってしまうんだ。
……君にも心当たりがありそうだね。まあ、いいさ。君のそれはまだ軽い。十分にやり直せるだろう。私はもう駄目だよ。亡くなった98人が、じっと私を、暗い穴の底から見ている。あの、先祖返りクローン計画の被害者たちがね。
世代を渡り発現した類稀なる『先祖返り』の胤と、女性先祖返りの凍結卵子100体から英雄のクローンを産み出す先祖返りクローン計画。この計画は、道を外した私達の手で実行され、無様に失敗に終わった。誕生した胎児100人のうち、先祖返りが発現したのはたったのひとり。統計的にも通常の先祖返り発現率と何ら変わらない結果となった。
そのことが表沙汰になることを恐れた私達は、そのひとりを残して胎児を残らず処分しようとした。先祖返りの養子はどの名家も欲しがったから出自は対して問われない。けれど、残った99人はそうするしかないと、当時の私達は本気で思っていたんだ。実験が傾くにつれ芽生え始めた暗い暗い罪の意識に背中を押されるようにしてね。
その、処分の――精神的にも身体的にも、非常に未熟な人殺しの最中に現れたのが、英雄オスカーだった。彼は私達に怒鳴りかかると、今にも殺されてしまいそうだった最後の胎児を救い出し、その子を自分で育てると言いだした。……もう、分かるだろう。その最後のひとりが君だよ。君は英雄が助けなかったら、あのとき死ぬはずだったんだ。どうだい、私のことが憎らしく思えてきたんじゃないか?
……今、殺されても構わないよ。ただ、そうだな。そこに開封されていないワインがあるだろう? そう、さっき持ってきたワインのうちの、蓋を開けてない一本だ。君たちが強盗だとして、それだけは見逃してはくれないかな。それは彼らにとって、とても大事なものなんだ。
……ナイフを収めてくれるか。ありがとう。二杯目のワインも楽しめそうだ。さて、他に聞きたいことは……ああ、ちょっとまってくれ。娘が起きてきたみたいだ。部屋に戻るように言ってくる。……安心してくれ、余計なことは言わない。
……待たせたね。……ああ、そうだね。そろそろ十歳になるよ。まぁ、気にしないでくれ。さて、他に聞きたいことは……思ったよりも多いみたいだね。先に知らないことについて教えてあげようか。皇女様とあのメッセージについては私の関知するところではない。私は何も知らされていないよ。……本当だ。私も驚いたんだから。
その子供と皇帝陛下については……どう説明すればいいかな。……いや、拒んでいるわけではないのだ。ただ、本当に、どういうふうに話せばいいか分からないのだよ。あれに関しては――君についてもだが、謎が多すぎる。生物は私の専門とするところだが、どうすればあんな生物が生まれるのか不思議でならない。
構造が……それも、細胞ひとつとっての根本的な構造が、あまりにも普通の生物とは違いすぎる。代謝にしても伝達系にしてもそうだ。そもそもあれは代謝と呼んでいいのかすら今更ながら疑問に思っている。君なら分かるだろう? その身から溢れる尋常でないほどのエネルギーを、意識的にも無意識的にも感じているのだろう?
指先だけでも内在するエネルギーは我々の想定を遥かに上回った。いくらでも回復する君の状態を、どう定量的に把握すればいいか分からなかったのでね。悪いとは思ったが定期的に採らせてもらったよ。すまなかったね。
で、だ。君たちは、生物として、個体同士の境界が非常に曖昧みたいだね。だからこそあれほど素早く回復――回復というのも少しちがうかな。あれは身体の一部を別の身体で代替しているに過ぎない。予備が尽きれば当然死が待っている。そこは普通の生物と何ら変わらない。……何の話かって? その子供と陛下の話だよ。あれほど見事に移植――いや、あれを移植と呼ぶのもいささか語弊があるが――くそ、普通の言葉ではあまりに実状とかけ離れている。ともかく成功するとは思わなかった。弱っていて免疫がうまく機能していなかったせいもあるだろうが、そもそも君のものにはそんな特性は無かった。とすれば、あれは陛下特有のものだというしかない。
ああ、そうだ。その子供は残念ながらもう――。
……そうだな。私が主導していたわけではない。そもそも移植のノウハウは向こうの方が熟知していた。私はアドバイザーとして、一般的な生物的見地を述べていたに過ぎない。……が、君たちからすればそんなことは関係ないだろう。好きにするといい。その刃で喉を切り裂かれようと、私は抵抗しない。
……君は冷静だな。……ああ、分かった。そろそろ晩餐も終えるとしよう。大丈夫だ。抵抗はしない。おとなしく――ゲホッ、ゴホッ。ああ、丁度いいタイミングだ。ようやく薬が効いてきたか。
……騒がないでほしい。家族が起きてしまう。致死性の毒だ。もう助からない。……そうだな、覚悟の上だよ。君たちみたいな人が来るのを私はずっと待っていた。家族を人質に取られ、二度としないと決めたはずの悪事に手を染めてから、私はずっと待っていた。
……そうだな。私は最低だ。しかし、ここで君たちについていっても、残された家族は確実に酷い目に遭う。家族を同行しても他の親族がそうなるだけだ。分かるかい? そういうものに私は目をつけられてしまったのだよ。君もそうなのだろう?
……これを持って行きなさい。私が密かに集めていたものだ。きっと、助けになる。ああ、言い忘れていたが、マグヌス君は何も知らない。全部私が指示したことだ。……もう時間が無さそうだ。さあ、早く。ここから離れなさい。
……行ったか。……あれから、随分と長かったな……。ユキコ、エリ、すまない。父さんは先に逝く。タカヤナギ、遅くなってすまなかったな。今、俺も、お前のところに――。
■おまけ
◯第二軍団新規軍人募集処にて。
κ「すいやせん。新規募集の案内を見て来たんですが……」
軍人「おう、歓迎するぞ! 兵役の経験はあるよな。他に軍役は?」
κ「ありやせんけど、猟師の資格なら持ってますぜ。……あの、第零軍団のほうの募集はしてないんですか?」
軍人「なんだ、君もその話を聞いて来た口か? あいにく、そっちは現在の部隊から引き抜かれるんだ。まともな軍役が無ければ、それこそ先祖返りでもなければ第零のほうには――」
κ「このコインを見ててくだせぇ」
軍人「む、それがどうした――って、えェェェーーー!! コインが真っ二つに折れ曲がっていくゥゥゥーー!?」
κ「逆に力を込めれば、ほらこの通り」
軍人「も、元に戻っただとォォォーーーー!!? し、……信じられん。君は先祖返りなのか!?」
κ「いやー、猟師やってたらいつの間にかできるようになりやして。軍人さんを背中に載せたまま片手で腕立てでもやりましょうか?」
軍人「い、いや、結構だ。……分かった、上官には君のことを伝えておこう。ともかく、入隊希望でいいんだな」
κ「はい。ありがとうございやす」
◯第二軍団従軍看護師募集処にて
シスターA「すみません。看護師の募集はここでよろしかったかしら?」
軍人「ああ、マーテル教会の方ですか? 話は伺ってますよ。看護師を引き受けていただきありがとうございます。どうぞ、お入り下さい」
シスターB「はーい」
シスターC「こんにちはー」
Ω「失礼します―」
軍人「!? なんだ、その化物はァァァーーー!!」
シスターA「え、化物?」
シスターB「どこどこ?」
Ω「やだ、わたし、怖いィ」
軍人「貴様だ、貴様ァァァーーー!! どうして男がシスターの格好をしているんだァァァーー!!」
Ω「え、え? ふ、ふぇ、うわーーん!」
シスターA「あ、オメちゃん。泣かないで」
シスターB「ちょっと、軍人さん。オメちゃん泣かせないでくれる?」
シスターC「そうよ。オメちゃんはちょっと男っぽいけど、れっきとしたシスターなんですからね」
軍人(え、これでシスターなの? 嘘だろ? どっからどう見ても男だよ! あんな太眉で、顎髭生えてて、腕なんか俺の脚よりも太いんだぞ!)
軍人「……とにかく、えーと、オメ……?」
Ω「オメコですぅ」
軍人「オメ……あー、すまないが、君はお引取り――」
上官「まあ、待ち給え」
軍人「じょ、上官?」
上官「君……看護はできるのかね」
Ω「で、できます」
上官「……分かった。何か事情があるのだろう。君たちを歓迎しよう。あちらで手続きを済ませてくるといい」
シスターA「きゃ、上官さん。ありがとうございます!」
シスターB「さ、オメちゃん行こ」
Ω「う、うん」
シスターC「軍人さんには、べーっだ」
軍人「上官、いいんですか?」
上官「マーテル教会には多くの従軍看護師を斡旋してもらっていてな。こじれるとまずいのだよ」
軍人「それは分かっていますが……」
上官「大丈夫だ。君の心配は分かっている。あんな看護師が居ては士気が下がるというのだろう?
軍人「ええ、まぁ……」
上官「……あの者からは只ならぬ気配が発せられていた。第二軍団ではあの者の力を十二分に発揮することは叶わないだろう。違うかね?」
軍人「上官……?」
上官「あの者は第零軍団に推薦しておこう。そこでなら十分に力を発揮できるだろう」
軍人「……! さすがです、上官!」




