ソフィの極秘調査5
ジィ。執事兼典医。代々皇家に仕える家系の出身。細身で眼鏡をかけた老人で、先代皇帝の頃から皇城に務めている。ソフィアは幼い頃から彼の世話になっており、中等部を卒業してからは医療の知識や技術を彼から教わっていた。常に優しく温厚で、ときにひょうきんに戯ける彼は、病床で気分が落ち込んでいるソフィアを何度となく笑わせて元気づけてくれた。
そんな彼とアークマイネ教授との間に何らかの繋がりがあることが分かったのはつい先程のこと。教授がわざわざ皇城の近く、それも人目につかないところに移動して、不審な封筒をジィへと手渡していたのだ。
もしかしたら二人は旧知の間柄で、何か渡す約束をしていたのかもしれないが、あんな人目につかない場所で渡すのは不自然だし、二人のやり取りはあまりにも素っ気ない。旧知であればもっと会話が弾むなり笑顔を見せ合ったりするものだ。先程見た限りでは、本当にただ封筒を渡すためだけに会っていたとしかソフィアには思えなかった。
「あの封筒の中身はいったい何なのでしょう」
人目を忍んで後宮の自室のベランダ辿り着いたソフィアは悩ましげにそう呟く。そのつぶやきが聞こえたのか、後宮の壁を彼女を抱えて登りきったシダレが、ちょっとこれからお買い物してきますとでも言い出しそうな気軽さで、「じゃあちょっと探して来るので待っててくださいね」とソフィアに声をかけた。
「え?」
というソフィアの間の抜けた返答がシダレに届く前に、彼女はするりとベランダから身を投げ出す。慌ててソフィアは手すりの下を見るがすでにシダレの姿はなく、ソフィアは仕方なしに自分の部屋へと戻るのであった。
シダレが無事、ソフィアの部屋に戻って来たのは小一時間後であった。
その間にソフィアは出迎えてくれたレイカに今日の出来事を説明し、シダレが封筒を探しに行ってしまったのだがこちらでも何かしたほうが良いのではないかと相談する。しかしレイカはソフィアの心配は無用だと言わんばかりに首を振った。
「シダレは隠密に秀でています。見つかる心配はまずないでしょう。それより……」
「それより……?」
「いえ、何でもないです。シダレの心配は要りません。姫様はひとまずゆっくり休んで下さい」
「そう、ですわね……」
レイカは何か別のことに興味を示したようなのだが、さして重要ではなかったのか優しくソフィアに休憩を促す。
尾行に監視、また尾行と、さらには思いがけない身近な人物と教授の繋がりを特定したソフィアは、その一言で疲れていることを思い出したかのように身体が重くなるのを感じた。シダレのことは気がかりであるが、自分よりも彼女をよく知るレイカがそう言うなら大丈夫だろう。……大丈夫だと信じたい。
正直、ソフィアとしてはまだ知り合って間もない自身とほぼ年齢の変わらないシダレを、レイカほど信じることができなかった。しかも、自分の厄介事に巻き込んでおいて危険な目に合わせてしまうのは、非常に心苦しいものがある。
心配性のソフィアがそんな風に気をもみつつソファに身体を預けていると、しばらくして彼女の心配もどこ吹く風といった様子のシダレが戻ってきた。
「姫様。ただいま戻りました。体調はいかがでしょうか?」
ソフィアは表向き病気で休んでいるので、演技でそんな挨拶をしているのだろう。いつものメイド服で彼女はひょっこりと部屋の扉から入ってくる。
「シダレ。無事だったのね、良かった……」
ソフィアはそう言ってほっと胸を撫で下ろすが、
「……あれ。私ってそんなに信頼されてませんかぁ」
彼女の非常に安堵した様子を目の当たりにしたシダレは、ため息交じりにそう呟くのであった。
「まあ、いいです。それよりこれが例の物です。ご査収下さい」
シダレはそう言うと、懐から小さなカメラを取り出してソフィアに渡そうと手を伸ばす。おそらく見つけた封筒の中身を撮影したものだろう。そう思ったソフィアはそのカメラを受け取ろうと手を伸ばしたのだが、横から伸びてきた腕がひょいとそれを奪い取った。
「ん。シダレ、ご苦労。それと正座」
「あ、レイカ姉――。……正座とは?」
「膝を折って座れの意」
「ギャフン!」
レイカはシダレの頭を掴むと、体重をかけるように下へと頭を抑え込み、それと同時に足払いして無理やりシダレを正座の姿勢にさせる。人生に一度でも発せられれば奇跡の台詞がシダレの口から絞り出された。
「レ、レイカ、何を――」
「姫様、今から訓練をサボったシダレにお仕置きするのでご容赦を。駆け上がりくらいで脚を攣るとは情けない。――画像は問題ない、か。なら5回で許す」
レイカは片手で器用にカメラを操作し、中身が問題ないことを確認したのかソフィアに向かってカメラを差し出す。ソフィアがおずおずとそれを受け取ると、レイカは空いた手の人差し指を弾くように丸め、シダレの額に照準を合わせる。初等学生以上なら誰でも知っているデコピンの構えだ。
「ぼ、暴力反対! 暴力反対! レイカ姉のデコピン頭が割れるくらい痛いんですよ! お願いやめて! 勘弁して! 反省してます! 謝りますからぁ!」
「駄目。謝るだけなら子供でもできる」
どうやらシダレが訓練を怠り、脚を攣ったことにレイカは腹を立てているようだ。シダレはまだデコピンされていないのにも関わらず、涙目になりながら必死で謝罪の言葉を紡ぎつつ、なんとか抵抗しようとレイカの両手首をそれぞれ掴んで引き剥がそうとするが、ぷるぷる震えるだけで一向に解放される気配がない。
「あ、あのレイカ。家族のことに口を出すのは本意ではないのだけれど、可哀想だしやめてあげたらどうかしら……」
「ひ、姫様ー!」
見るに見かねたソフィアがそう口添えすると、シダレが歓喜の声を上げた。
「申し訳ありません姫様。愚妹を躾けるのが《ミヤナギ》における私の役目。幸い封筒を見つけられましたが、典医が封筒を他の誰かに渡したり、誰にも見つからない場所に隠したら、そこで貴重な情報は失われていました。二度とそのようなことが起きないよう、愚妹を躾ける必要があります」
「……そう。なら仕方ないわね」
「ひ、姫様ー!」
珍しく長文で話すレイカに何か譲れないものを感じ取ったソフィアは、諦めたようにため息をつく。一方で、シダレは物哀しい悲鳴を上げた。
「では、シダレ。歯を食い縛れ」
「わー! ストップストップ! 違います違います、謝罪とか命乞いとかじゃないんです! 封筒に関して! 一刻も早く! 姫様に伝えしたい極めて重要なことがあるので、お願いだから一旦ストップしてー!!」
シダレの言葉に反応して、ピタリとレイカの腕が止まった。
「私に、一刻も早く?」
「……何?」
「ふぅ、命拾い……いや執行猶予か。ええとですね、例の封筒なんですけど案の定典医さんの私室にありまして、あ、私室のどこにあったと思います? それがですね、なかなか難易度の高い場所に隠されてましてね、いやー私じゃなかったらとてもじゃないけどこんな短時間で見つけることはできなかったんじゃないですかねって、ちょっままままま、待って待ってお願いその悪魔の指先を近づけないで――!」
勢いよく話し始めたシダレであったが、内容はすこぶる冗長であり、時間稼ぎと判断したのかレイカの腕が再度伸び始める。
「簡潔に」
「分かりましたよう、もう。実は、私が封筒の中身を撮影している最中に典医さんが戻って来て、封筒を持ち出したんです。彼はその封筒を誰に見せたと思いますか、姫様?」
シダレはじっとソフィアを見て問いかける。
どうして私に尋ねるのだろうと、再び時間稼ぎして大丈夫かと、そんなことを一瞬だけソフィアは思った。思った直後、まさか、の考えに彼女は到達する。
ソフィアの表情から彼女が悟ったことを悟ったシダレは、はっきりと自分が見てきた光景を口にした。
「姫様。典医さんはその封筒を、皇帝陛下にお見せしていました」




