ソフィの極秘調査3
軍病院の目と鼻の先にはちょっとした広場がある。芝生が敷かれ、木々が植えられた緑の空間は、患者の癒やし効果を狙ってつくられたものであった。広場には休息用のベンチと、ちょっとした遊具が設置されている。患者を遊ばせるのは危ないのではとソフィアは思ったが、どうやらそれは患者を見舞う子供たちのためにあるようで、遊具と戯れる子どもたちを優しげに見つめている患者の姿がそこにはあった。
「ふぅ……」
ソフィアはベンチに腰掛けて、青空から降り注ぐ木漏れ日を華奢な身体で受け止めていた。シダレは飲み物を買ってくると言ってどこかへ行ってしまったので、彼女ひとりである。再び軍病院に戻ったか、あるいは近のお店にでも行ったのだろう。
ソフィアはベンチに身体を預け、ぼうっと空を見ていた。暖かい日差しが少し眩しい。もう少しで肌寒くなる季節のはずだが、まだ心地よい暖かさが残っているようだ。
(昼間からこんなにゆっくりするのは、随分と久しぶりですわね……)
平日は公務、休日は裏とり調査を行っていたので、こんなに気の休まる時間は少し懐かしい。あるいは、それを感じ取ってシダレは休息を取ろうと言い出したのかもしれない。
「こんなものまで用意して……」
ソフィアはシダレから渡された受信機のスイッチを入れる。画面では、赤い点が建物の内部に灯っていた。教授の仕事はあまり移動するものではないらしい。一体全体、何をしているのだろう。そう思ったソフィアはしばらく機械とにらめっこしていたが、代わり映えしない画面に飽きてしまい、彼女は機械をポケットへとしまう。
(シダレの言う通り、少し休みましょうか。焦ってもいいことはないでしょうし……)
風が木々を揺らし、芝生を撫でる。目の前では、子どもたちが楽しそうに遊んでおり、喧騒のさなかに鳥の囀りも聞こえてきた。心休まる光景と、暖かな日差しに、思わず彼女の瞼は重くなる。ウトウトとするソフィアであったが、しばらくして彼女ははっと気づいたように目を覚ました。彼女は眠気を振り払うように頭を振る。
(危ない危ない。思わず寝てしまうところでしたわ……。それにしても、シダレは遅いですわね……。どこまで行ったのかしら。まさか、私を置いてひとりで見張りを再開してるんじゃ……?)
と、未だ戻らないシダレをソフィアが疑い始めていると、彼女の目の前にすっと誰かが移動してきた。その誰かはソフィアの前で立ち止まると、じっと彼女のほうを見つめてくる。自然、ソフィアもその人物を見返す形になるが、その人物――女性の、とても変な――もとい、ひどく個性的な格好に、ソフィアは瞬きを何度か繰り返した。
膝下まで伸びる黒い編み上げの革靴に、黒を貴重としたフリルの多いワンピース。ヘッドドレスでブロンドヘアを纏め上げ、頭上には銀色の日傘が差されている。女性の格好がそれだけならば、そういう趣味の女性だと思うだけであっただろう。しかし、目の前の彼女はそれに加え、右眼が眼帯で覆われており、さらに左腕には白の包帯が巻き付いていた。少々というか、かなり奇抜な格好であった。
包帯から患者を連想したが、基本的に軍病院には入院患者しかいないはずだ。果たして、こんな目立つ格好が許されているのだろうか。そんなことをソフィアは考えていると、目の前の女性――よく見ると、ソフィアと同い年くらいの女性はそっと口を開いて、
「元気?」
と、ソフィアに尋ねた。
「……へ?」
突然の質問に、ソフィアは間の抜けた声を出してしまう。ややあって、それが自分に向けられたものだと認識すると、ソフィアは取り敢えず、といった面持ちで女性に返事をする。
「え、ええ、元気ですが……」
「――そう、良かった」
女性はそう言って笑みを浮かべると、踵を返してソフィアの元から去ろうとする。呆けながらも女性の素性を訪ねようと、「待って」と声をかけようとしたソフィアであったが、ソフィアが口を開く前に女性の足がピタリと止まった。
女性の視線は広場の奥に向けられている。ソフィアがそちらを見ると、太った男性が身体を揺すりながら、こちらに向かって走ってきていた。
「あー、もう、ターニャ氏! 勝手にどこかに行ったら駄目だと言ったではありませんか! はぁ、はぁ」
男性は彼女の隣に立ち止まると、息を荒くして女性にそう呼びかける。。
「うるさい、デブチン。お前の足が遅いのが悪い」
「はふぉう、辛辣ぅ! だがそれがいい! それこそ、第零軍団のターニャ大尉であります! やはり僕の目に狂いは無かった! あー、カメラカメラ!」
太った男性はそう叫ぶと、肩から提げた大きなレンズ付きのカメラを構え、パシャリ、パシャリとターニャと呼ばれた女性を撮影し始める。
「ふほぉう、華奢な身体に凍てつくような氷の瞳! たまらんですよー! ハァハァ! あ、目線くださーい!」
「うっさい、死ね」
「はい、いただきましたー! ありがとうございます!」
女性は男性に罵声を浴びせているが、男性は意に介さず撮影を続けている。突如、目の前で始まった謎の撮影会に、ソフィアは声をかける気が失せたばかりか、あまり関わり合いにならないほうが良さそうだと判断した。ソフィアはそっと立ちあがり、彼らからスススと距離を取る。
遊具で遊んでいた子供のひとりが「あー、第零軍団のターニャ大尉だー!」と言って、彼らに近づこうとするが、「しー、見てはいけません!」と母親に目を塞がれていた。やはり、そういう輩たちなのだろうか。
「む、居たな。あいつらだ」
「そこの二人! ちょっといいかな!」
突如、男性の声が広場に響く。二人の警官が足早に近づいて来るのが見えた。彼らは撮影会をしている謎の二人組を見据えている。どうやら、この不審者二人を探していたらしい。
「む。これは、面倒ですな。ターニャ氏、行くでござるよ」
「こ……殴るのは、駄目?」
「ふほぅ! これはアグレッシブ! 駄目ですよ、余計面倒になるだけでござる」
謎の二人組はそう言葉を交わすと、警官たちに背を向けて広場から走り去っていった。慌てたように警官が二人を追いかける。女性は別として、男性は健康からは程遠い不摂生の極みとも言える肥満体型なので、よほど頑張らないと逃げられないだろうな……。
「あ、ソフィ様。お待たせしました。飲み物買ってきましたよー……。何かあったんですか?」
ソフィアが立ったままぼうっと彼らが走り去った方を見ていると、反対側からシダレが声をかけてきた。彼女の両手には蓋付きの紙コップが握られており、その片方をソフィアに差し出してくる。
「ああ、シダレですか。ありがとう。……私にもよくわからないのですが、第零軍団の……ターニャ大尉?……が現れて、撮影会して、警官に追われて逃げて行きました」
ソフィは懸命に今、目の前で起きた出来事をシダレに説明するが、
「……ソフィ様、本当にお城に戻らなくて大丈夫ですか?」
シダレは心配そうな表情になり、熱はないかとソフィアの額に手を当てるのであった。




