ソフィの極秘調査
BM登録ありがとうございます。姫様編スタートです。数話の予定です。
クリスとレイジーが帝都から脱出してから数週間後のある日の夜。皇城の自室にてソフィアは侍女から報告を受けていた。
「また、成果なしですか……」
期待した報告を得られなかったソフィアは、本人としては大した思いを込めたわけではないのだが、聞き手としては残念とも失望とも理解できる言葉を呟いてしまう。侍女であるエマ・クラインの耳にもそれは届いてしまい、彼女は「申し訳ありません……」と消え入るような声で主人に謝罪した。
「ああ、謝らないで。手が足りませんし、四六時中見張ってることはできませんもの。仕方がないですわ」
目に見えて落ち込むエマを元気づけようとソフィアは彼女をフォローする。それを受けて、エマに一瞬だけ笑顔が戻ったものの、それでも主人の期待に応えられなかったことには変わりないと、そう思ったのか、彼女は「はい……」とうつむき加減に返事するのであった。
クリスの話を聞いて、ソフィアは大規模情報統制の裏とりを始めていた。
が、成果は未だ芳しくなかった。
情報統制のできる人物で、さらにガイアの観測情報が得られる人物は限られる。可能な人物としては、帝国軍のダグラス元帥と情報部のシェルビルス室長だろうか。そう考えたソフィアは、二人とその周辺人物を洗っていたが、表層的な部分を探っても疑わしいところは何ひとつ出てこなかった。
そのため、深いところまで調査しようと、信頼のおける人間――、護衛のレイカ・ミヤナギとラインハルト、そして侍女であるエマ・クラインとシダレ・ミヤナギに、怪しい人物を直接監視するよう彼女はお願いしたのだ。普段の仕事の合間を見て数日間ひとりずつ監視を続けたのだが、残念ながら情報統制に関する動きは見られないとのことであった。
「エマ、ご苦労さまです。今日はゆっくり休んでね」
「はい……」
「どうするんです、ソフィ様。まだシェルビルス室長の監視を続けるんですか?」
二人の会話に割って入ったのは、もうひとりの侍女であるシダレ・ミヤナギだ。彼女はレイカの再従兄弟にあたり、「シダレなら信頼できる」というレイカの言葉もあって、ソフィアは彼女に秘密を打ち明けたのだ。もっとも、すべての秘密を打ち明けたわけではなく、主要な部分をかいつまんでといった感じだったが、シダレは「ああ、そうなんですか、大変ですねー。それで私はどうすれば?」と疑うこともせず、どこか他人事のようにソフィアの厄介事を引き受けてくれた。
同様の話は幼少よりソフィアと親しかった侍女のエマにもしており、彼女はシダレと違って驚き、疑念を抱きつつも最終的に力になってくれると約束してくれた。もっとも、隣で同時に話を聞いていたシダレに張り合ってのことかもしれないが。
「シェルビルス室長の監視は切り上げましょう。次はアークマイネ教授の監視を二人にもお願いします。レイカとラインハルトが見張ってくれていましたが、二人だけだとどうしても限界がありますから」
「護衛も忙しいし、ね」
と、護衛任務真っ最中のレイカ・ミヤナギがソフィアの言葉を引き継ぐ。レイカとラインハルトは二人でソフィアの護衛をすることが多く、現に今もラインハルトは睡魔に負けないよう己の腹をつねりつつ、部屋の前で仁王立ちしている。そのため、監視するにしても二人だけでは限界があったのだ。
「そうですか。レイカ姉、そっちも進捗なし?」
「うん。だめ」
「そっか。キリト兄には訊いてみた? 前、それとなく聞いてみようって言ってたけど……」
「あら、ハヤマさんにも聞いてくれたの?」
親戚らしく仲のよさげな二人の会話に、ソフィアは割り込む。
帝国軍第一軍団第四分隊隊長ハヤマ・キリトはミヤナギ・レイカの実兄であった。婿養子のため苗字が変わっているが、彼もレイカやシダレと同じくミヤナギ一族の者である。
ミヤナギ一族は武技に秀でた一族で、テラ統一前の時代においては要人の護衛や暗殺などを請け負っていた。そのため、裏に通じる情報網を持っている。それをあてにして、レイカは大規模情報統制の動きがないか実の兄に探りを入れていたのだろうとソフィアは考えた。
「はい。残念ですが、兄も知らないようです」
「‥…そうですか。他のミヤナギ一族に詳しい方は?」
「キリト兄が駄目なら聞いても無駄だと思いますよ、ソフィ様。その辺りのことに今、一番くわしいのはキリト兄でしたから。現に私とレイカ姉は、その変はからきしです」
「そう、ね」
と同意するレイカであったが、シダレの小馬鹿にしたような態度が気に食わなかったのか、彼女はシダレに強烈なデコピンをお見舞いする。シダレは半べそになりながら「暴力反対!」と抗議して、言い争いを始めた二人はエマに「ソフィア様の前でうるさいですよ!」と叱られていた。
そんな彼らを笑って見ていたソフィアであったが、ミヤナギ一族の情報網には内心期待していただけに、彼女は少し落胆していた。クリスがレイジーを連れ出してはや数週間が経過しており、依然進展なしの今の状況に彼女は少々焦りを覚えていたのだ。
(このままだとクリスの指名手配がいつ解けるか分かりませんわね。はやく二人が安心して戻って来られるようにしてあげたいのに……)
ソフィアは背もたれに身体を預けると、ため息をついた。
レイジーとクリスが帝都を脱出して数週間が経過しているにも関わらず、レイジーが公に指名手配された様子は無い。一度だけ、警察がソフィアのもとに事情聴取に来たのだが、皇族というのもあってか、連行されたり高圧的な態度を取られることなく聴取は終わり、以降彼らがソフィアのもとに来ることはなかった。予め理論武装していたソフィアからすると、拍子抜けするほど警察の調査はあっさりとしていたが、秘密裏に調査は進んでいるのだと彼女は実感していた。
「公にしなくてよいのですか?」
「はい。機密に関わるので」
聴取の終わりにソフィアが尋ねると、警察の人間はそう答えた。その機密がどの程度のレベルかは分からないが、少なくとも公に調査する気なさそうである。
(クリスの指名手配がまだ続いているということは、二人はまだ発見されていないはず。けれど時間が経つに連れ二人は追い込まれていきますわ。こちらとしてもできるだけのことはしてあげないと……)
そんな風にソフィアが考えていると、部屋の扉がノックされる。ソフィアは皆に「秘密を話さないように」と目配せして、「どうぞ」と返事をする。
「ソフィ様。皇帝陛下がお見えです」
「お父様が?」
「ソフィ。ちょっと失礼するが、構わんかの?」
ラインハルトが扉を開いて皇帝の来訪を告げると、すぐに本人がドアの隙間から顔を覗かせた。「ええ、構いませんが」と言って、ソフィアは慌てて椅子から立ち上がる。
「どうしましたか、お父様? 何か急用でも……?」
「いや、急用というわけではないがの。……なんじゃ、そんなに慌てて。何か内緒話でもしてたのかの?」
皇帝は真顔のままつかつかとソフィアのもとまで歩み寄り、一方裏とり調査が父に感づかれたのでは、と思ったソフィの表情が僅かに強ばる。
「……はは。まあ、そう身構えるでない。結婚を控えているんじゃ、侍女やミヤナギには話せても、儂に話せないことなどいくらでもあるじゃろ、のう」
皇帝はおどけたように笑って侍女たちの方を見る。侍女たちは目線を下げて軽く頷き、彼女らよりは少し話しやすい立場にいるレイカが「そうですね」と返事をした。皇帝の冗談だと気付いたソフィアは場の雰囲気に流されて苦笑したものの、その実、内心では安堵でいっぱいであった。
「ふふ。まあ、そのようなこともありますわね。それで、ご用件はなんでしょう」
「いや、まあ、儂の杞憂であればよいのじゃが、――最近、元気がなさそうじゃったから、何かあったかと思っての」
と、心配そうに表情を皇帝はソフィアに向ける。
皇帝という最上の立場にありながら、その権力の一切を自利ではなく誰が為に振るう理想の為政者。そう評される現皇帝ヴィルヘルム・フォン・マルステラの――父親の優しい態度は、否応なしにソフィアを惹きつけ、尊敬の念を抱かせる。そんな皇帝が、父親が、レイジーに非道なことをするわけがない。情報統制なんて行う訳がない。
だから今、彼女が行っている裏とり調査の協力を仰いだ方が良いのでは、とそんな考えが一瞬彼女の脳裏によぎる。
――こちらとしても味方は増やしたいですが、信頼のおける人物だけにしましょう。でないと、こちらが一網打尽にされます――
そんな彼女を思いとどまらせたのは、クリスの言葉であった。
調査の初期に父親の無罪を証明したかったソフィアは、ヴェルニカ襲撃前後の皇帝のスケジュールを確認していた。ヴェルニカへの襲撃が人為的に起こされたものであるならば、何か不穏な動きがあるはず。逆に言えば、その前後で不審な点が見つからなければ、情報統制に関わりが薄いと言えるだろう。そう思った彼女が皇帝のスケジュールを確認すると、ヴェルニカ襲撃前後、皇帝は属国の視察でルイーシアに行っていた。ヴェルニカのあるレイダースにほど近い、ルイーシアのとある都市に。
ただの予定通りの視察なら疑わしいところはない。ところがその視察は一月前に急遽組まれたものであり、今までだったら報告だけで済んでいた些細な出来事を、わざわざ現地へと確認に出向いたらしい。
ただ、疑わしいと言えばそれまでで、この結果から皇帝の立場が情報統制の『向こう側』だという判断はできない。それでもその結果は無罪証明を求めたソフィアの心に一抹の不安を与えていた。
(お父様のことは信じたい……ですが、それは私の私情ですわね。クリス達の安全が最優先です。まだ、そのときではありませんわね)
と、ソフィアは思い直して、口を開く。
「……あら、そうでしたか? ……でしたら、きっと、それはクリスとレイジーのことでしょう」
「ああ、そうか。ソフィは二人と仲が良かったからの……。あの二人はまだ見つかってないんじゃったな」
「ええ。捜査の進展はお父様の耳にも入っていないので?」
「そうじゃな。何か分かったらソフィも分かるようにしておくとしよう。……二人が早く見つかるといいの」
「……そうですわね」
皇帝の様子は二人を心配するそれであり、疑わしいところは少しもない。
「それじゃあ、心配事もわかったことだし、儂は行くとしようかの。ソフィア、無理そうなら二、三日公務を休んでも構わんよ」
そう言うと、皇帝はソフィアに背を向け部屋の出口へ向かう。いつの間にか移動していたシダレが、先だって扉を開けていた。
「あ、お父様――」
「どうした、ソフィ?」
思わず、といった様子でソフィアは皇帝の背中に声をかける。
「……いえ、何でもありません。そうですね、少しお休みを頂こうかと思います」
「そうか。ゆっくり休むのじゃぞ」
しかし続く言葉は見つからず、ソフィは無難にそう言うと、皇帝は部屋を出ていった。皇帝とその護衛が廊下の奥に消えたことを確認すると、シダレはそっと扉を閉める。
「ソフィ様。ちょっと話しそうになってませんでしたか?」
戻ってきたシダレが、ソフィアに言う。
「……そうですわね。お父様が二人を心配していたので思わず……。バレてしまいましたか?」
「ええ、ソフィ様は顔に感情が出やすいので」
「そうですか……」
政治に携わるものとして感情を表に出さない訓練をしていたソフィアであったが、それが不得手であることは彼女も自覚するところだった。少しでも顔の緊張を解そうと、ソフィアはくりくりと、自分の頬をマッサージする。
「お父様がこちら側であることが分かれば、すぐにでもレイジーとクリスのことを相談するんですが……」
「まあまあ。それを確定させるための監視ですよね。焦らずにいきましょう」
と、マイペースにシダレは言う。そんな彼女を見て、逸っていたソフィアの心が少しだけ落ち着いたような気がした。
「そうですね。ありがとう、シダレ。少しだけ落ち着きましたわ」
「いえいえ。これも侍中の務めですので。……あ、何だったらその感謝の気持ちをお給料に反映していただけると嬉しいです」
「こら、シダレ! 調子に乗らない!」
親指と人差し指でお金をつくったシダレは、再びエマに怒られていた。そんな二人を見て、思わずソフィアは笑顔になってしまう。
ふと、怒られているシダレと重なったのか、手のかかる妹のような存在――レイジーがソフィアの頭に浮かぶ。逃走中の彼女は、今元気にしているだろうか。
「レイジー、元気かしらね……」
「あ、ソフィ様。次いでだから聞いてしまいますけど、幼馴染だったクリストファーさんはいいとして、どうしてソフィ様はグレイジーさんをそんなに気にかけるんですか?」
ソフィアの呟きが聞こえたのか、話題を変えたかったのか、エマに怒られているシダレがそう尋ねてくる。
「……そうね。籠の中の鳥は、私だけで十分だから、ですわね」
彼女は自身の左手の薬指にはめられた指輪を見て、そう言うのであった。




