北上
少々のアクシデントはあったが、戦力把握を無事に終えた俺達はリーデンベルグへと戻り宿を取った。そこでも身分証は効力を発揮し、最初は若い二人を少し訝しがっていた受付のお姉さんもすぐに営業スマイルを浮かべて対応してくれた。クリスくんが要求したのはツインの一部屋である。
(ダブルじゃないのか?)
「レイジーとは兄妹という設定ですからね。偽名も同じ名字ですし。ダブルは変に思われるでしょう」
いやいや、大丈夫でしょ。夫婦っていう設定でも良いんじゃないかな。兄妹と称するには、二人共あまり似てないんじゃないかな。
「良くないですよ。レイジーの寝相に悩まされるのはもうゴメンです」
うんざりしたように彼は言う。レイジーちゃん、そんなに寝相が悪いのだろうか。
「夫婦って何?」
言葉の意味を知らなかったのか、レイジーちゃんが尋ねてくる。
「結婚した男女の呼称ですよ」
(レイジーちゃん知ってる? 夫婦になるとね、同じ布団で寝るんだよ)
「そうなの? ……ってことは、クリスと私はもう結婚してるの?」
話の飛躍に俺とクリスくんは揃って首を傾げる。
「ほら、私、クリスと同じ布団で寝てたし……」
ああ、そういうことか。
(そうだね! 道中、ずっと同じ布団で寝てたから、二人はもう結婚してるって言ってもいいんじゃないかな)
「悪霊さん、適当なこと言わないで下さい。とにかく、寝る時は別々のベッドですからね。これは決定事項です」
「えー。」
(えー。)
クリスくんは俺たちの不満を無視してそう宣言してしまった。夜、二人がコンテナで愛を育んでいたとき、俺はずっと砦に居たからレイジーちゃんの寝相はよく知らないんだよね。そんなに酷かったのかな。ちなみに、未だラブラブキッスカウンターは0のままだ。二人きりで(愛の)逃避行をしている今がチャンスなので、バラクラードに着く前には何とかしたい。
荷物を部屋において一息つくと、レイジーちゃんは「お風呂に行く」と言って部屋を出ていった。肉弾戦の汚れが気になっていたらしい。ずっと実験塔に閉じ込められていたわけだし、一般常識とか大丈夫かなと思ったが、その辺りは砦にてキーネさんに仕込まれていたとクリスくんが教えてくれた。
「なんです? 悪霊さん、女風呂覗きに行きたいんですか」
俺の疑問の意図を曲解したクリスくんが尋ねてくる。いやいや、そんなことはないぞ。俺は純粋にレイジーちゃんを心配してだな。
「はいはい、分かりました。行くならひとりで行って下さいね、成果報告も要りませんから」
クリスくんはぶっきらぼうに言い放つと、対物ライフルの整備を始めてしまった。彼は本当に思春期真っ盛りなのだろうか。精神はすでにお爺ちゃんな気がする。
(そういえば、レイジーちゃんすごかったな。鱗の上から黒狼を1発、……いや2発か。2発殴っただけで仕留めていた。力もすごかったけど、動きもまるで先祖返りみたいだったな)
「そうですね。レイジーがガイア生まれであるという話に、ますます信憑性がついてきました。本当にガイア出身であるならば、先祖返り並に動けるのはある意味当然ですから」
整備の手を止めずに彼は言う。
ガイアはここより高重力らしいし、テラに居るレイジーちゃんは修行したサイヤ人みたいに身体が軽いのだろう。
(でも、あれだけ力があるなら、幽閉されていた実験塔の部屋から力づくで抜け出せそうなもんだけど。本人も抜け出せるなら抜け出したいみたいなこと言ってたし)
「恐らく、薬で力を抑えられていたんでしょうね。帝都から離れて薬の効果が切れたので、本来の力が発揮できるようになったのかと」
ふーん、なるほど。それが、あの黒狼を圧倒した力か。
「だんだんと、無意識のパンチ力も上がってきていましたからね……」
ぼそっとクリスくんは呟いた。僅かに涙目である。本当に、酷い寝相だったんだな。
翌日。準備を整えて、俺達は第二都市リーデンベルグを出発した。目的地は、壊滅都市ヴェルニカである。途中、幾つかの砦と一つの都市を経由して向かうことになる。
二人は一応の変装として髪型を変え、サングラスをかけていた。武器を携えると、田舎のヤンキーみたいな格好になる。逆に目立つと俺は思ったが、二人共、自身の格好を気に入ったらしく、鏡の前でポーズを決めまくっていた。結局、俺は正直な気持ちを二人に伝えられず、ヤンキー二人と旅することになった。
3つの砦を経由した後、俺たちは補給のため都市ウルダースへと立ち寄った。道中、運悪く黒狼の群れと遭遇したが、レイジーちゃんが鬼神じみた力を発揮し、すぐに撃退してしまった。現場には数頭の黒狼の死体が残されていた。
「すごいですね。黒狼が弱く感じる」
クリスくんのぼやきが聞こえる。彼は対物ライフルで援護しようとしていたのだが、すぐに自身の出番がないことを悟ったのだ。
準備を整えた商隊であっても黒狼の群れと遭遇したら撃退するのは困難らしい。普通は用意しておいた囮用の餌肉を投下し、そのスキに逃亡する。黒狼もよほどのことが無い限り、商隊を全滅させるほどの追撃はしてこないのだそうだ。
「クリス、ただいまー」
「おかえり、レイジー。怪我はない?」
「うん、大丈夫」
レイジーちゃんは無邪気に帰還を告げる。彼女の篭手と安全靴は、黒狼の返り血に汚れていた。手をグッパーするだけで、篭手はギッシギシと悲鳴を上げる。彼女の装備は早くも限界のようであった。
「どんな装備がお望みで?」
「一番頑丈なものを頼む」
都市ウルダースにて消耗品の補充を済ませた俺達は、レイジーちゃんの新しい篭手を購入した。前回は店員のお勧めを言われるがままに買っていたが、今回は入念に選んでいる。レイジーちゃんが「軽い」「これも軽い」と言うので、レイジーちゃんの納得する重さの篭手は鉄球みたいな見た目になった。もうこれは篭手とは呼べない。ただ重さのみを追求したボクサーグローブだ。ちょっとボンバーマンに見える。
「……指が開かない」
(「「あ」」)
どれだけ重い篭手を出しても軽々手を振る彼女に、店員もムキになったのだろう。俺達同様にうっかり、という表情を浮かべていた。結局、それよりは一回り小さいが、前のものより遥かに頑丈な篭手に落ち着いた。
「まあまあかなー」
とレイジーちゃんは物足りない様子であった。
「……レイジーのことはニュースになってませんね」
雑貨屋で購入した新聞を斜め読みして、クリスくんは言う。
(まだバレてないってことはないよな)
「そうですね。まあ、大仰にできないってだけで、裏では捜索されているに決まってます。最初に疑われるのは頻繁に連れ出していたソフィでしょうが、勿論シロ。嫌疑をかけられたとしても、皇族ですのでもそれほど強く追求はされないでしょう。レイジーは僕のツールで脱出しましたが、そこから僕までトレースはできません。せいぜい、何者かがレイジーを拉致したということが分かるくらいですね」
(その何者かとしてクリスくんが疑われることは?)
「勿論、ソフィを除いたら筆頭ですね。なにせ、秘密を知ったのは僕なんですから。世話係もしてましたし、僕が何とか連れ出したとも考えるはずです。だからこそ、僕がまだ帝都内を逃亡していると思われているうちは、ここは安心ですね。まあ、それもいつまで保ちますかね……」
彼は飄々と自身の考えを教えてくれる。切羽詰まっている様子はない。
(クリスくんは焦ったりしないんだな)
「そうでもないですよ。実験塔の地下で、偶然タカヤナギ教授とエンカウントした時はすごく焦りましたから」
そっか、さすがにいつも落ち着いているってわけじゃないんだな。
「そうですね。まあ、でも、その状況も5年前のサバイバル生活に比べれば、全然焦るような状況じゃないですよ。あのクソジジイには、罠が大量に設置された山奥に放置されたり、『しばらく儂居ないから』と僕一人だけでジジイの家に二週間置き去りにされたりましたからね。ハハハハ!」
そう言って彼は笑う。笑い声を上げるが、目は笑ってない。
「クリス、怖い……」
と、珍しくレイジーちゃんも怯えた様子を見せていた。
都市ウルダースから崩壊都市ヴェルニカへの砦は機能していない。ヴェルニカへ向かう人が誰も居なくなったので、閉鎖されてしまったのだ。そんなわけで、次の補給ができるのはヴェルニカの向こうにある都市バラクラードだ。いつもより多めに物資を積み込んで、俺達はヴェルニカ方面へと出発した。




