秘密
「クリスー、起きてー」
レイジーちゃんは失神したクリスくんの胸元を掴み、激しく揺する。ぐわんぐわんと彼の頭が盛大に揺れた。もう少し優しく起こしてあげたほうが良いんじゃないだろうか。
そんなことを思っていると、クリスくんは無事に目覚めた。
「あ、起きた」
「……あれ? なんでみんながここに……?」
彼は周りを見て尋ねる。
「なんで、じゃないよ。心配したんだよ、もう」とアンナ。
「そうだぞクリス。お姉さん心配したんだからね」とベティさん。
(みんなクリスくんを心配して来てくれたんだぞ)と俺。
「そうだったんですか……。てっきり、追手がこの場所を突き止めたのかと思いましたよ……」
クリスくんはほっとしたように微笑む。
当初、クリスくんの捜索は俺ひとりで行っていた。けれど、アンナとベティさんも彼を心配していたので声を掛けたのだ。特にアンナは地下水路の地図に心当たりがあったらしく、地図を入手した俺達は効率よく地下水路の探索を進めることができた。
「……追手から逃げ出した? まったく。あなた、何をしでかしたの? 指名手配になるなんて、よほどのことよ?」
ソフィ嬢が部屋に入ってくる。彼女はミヤナギさんにお姫様抱っこされていた。次いで、ラインハルトも入ってくる。
彼ら三人とはエイビス研究所にて、ばったりと遭遇した。レイジーちゃんの様子を見に来たらしい。止める間もなく、レイジーちゃんがクリス捜索のことを伝えてしまい、すんだもんだあって、姫様も一緒に来ることになった。
なぜ彼女がミヤナギさんに抱っこされているかというと、「こんな汚いところを歩きたくないですわ!」と地下水路の入り口で姫様が駄々をこねたからだ。即座にラインハルトが「おぶります!」と挙手したのだが、ミヤナギさんの拳がみぞおちにめり込み、彼はしばらくその場から動けなくなった。
「げ。ソフィが居るってことは、本当に追手だったりする?」
「げって。安心しなさい。捕まえる気はないわ」
「でも……」
クリスくんの視線は軍人二人に向いている。幼馴染であるソフィがそう思っていても、他二名はそうじゃないと疑っているようだ。
「大丈夫よ。ラインハルト。私は今日、どこで何をしていたの?」
「はっ。ソフィ様は本日、ご友人であるレイジー嬢と久しぶりの休日を満喫しておりました。もちろん護衛である我ら二人もずっと一緒です」
ラインハルトが淀み無く答える。
「ということよ。私は今日、帝都で楽しく遊んでいたわ。故に、こんなじめじめした地下に潜んでいるあなたと会っているはずがない。当然、私の護衛はクリストファー・レイネットなんて影も形も見なかった。そうでしょ?」
「……いつからそんなお転婆になったんです?」
「さあ? いつからかしらね」
くすくすと姫様は笑う。肩透かしを喰らったクリスくんは少し顔を顰めたが、すぐに諦めたように笑った。
「尾行はついてないですよね」
「安心しなさい」
「確認済み」
ミヤナギさんが簡潔に答える。「それはよかった」とクリスくんは安堵する。
「それにしても、どうしてここが分かったんです?」
「さあ? 私は知らないわよ。付いてきただけ」
姫様はそう言ってアンナを見る。
「私は地図を用意しただけだよ。あとは悪霊さんと、レイジーのおかげ」
「悪霊さんと、レイジー?」
クリスくんはレイジーちゃんと彼女の持つ人形を見る。
うん、俺今そこに居ないけど、移動するか。
「ねえ、本当にその、『悪霊さん』って居るんですの? あなたたちも何も聞こえないわよね」
「はい」
「もちろんっす」
この三人に俺の声は聞こえない。何度か試してみたけど駄目だった。
「まあ、僕も最初は半信半疑……というより、二信八疑という感じでしたね。悪霊さんの声が聞こえないと、信じるのは難しいでしょうね」
「あ、そういえば悪霊さん、風起こせるでしょ? やってあげたら?」
ベティさんが思いついたように言う。そうか、その手があったか。
(レイジーちゃん。姫様に、人形に手をかざすよう言ってくれ)
「ソフィ。手、出して」
「手? こうですの?」
素直に手を出すお姫様。その手に俺は微風をあててやる。
「ひぃぃ! え? 何? 何ですの!? あっ」
姫様が悲鳴をあげた瞬間、彼女を抱きかかえたミヤナギさんはダッシュでその場を離れる。姫様を守るように壁を背にし、ラインハルトが俺たちと姫様の間に割って入った。うわあ、間違いなく警戒されている。
「ソフィ様。大丈夫ですか? 何をされました?」
「だ、大丈夫。平気」
手のひらを見て、目をパチクリさせながらソフィが答える。
(あー、ごめん。びっくりさせちゃったか)
「レイカ、ハルッち、大丈夫よ。風が出ただけだから。悪霊さんも、びっくりさせてごめんって」
ベティさんが笑いながら言う。
「怖気が走りましたわ……」
「こういうのは止めて」
ミヤナギさんは真顔だ。怒っているらしい。警護対象を驚かせちゃったわけだし、無理もないか。
(すまん。ベティさんが悪い)
「ごめんね、ソフィ。悪いのはベティ。悪霊さんもそう言ってる」
「え、私のせい? ……それもそうか。まあでも、少しは信じる気になったんじゃないですか? 姫様」
ベティさんの言葉に、姫様がこくこくと頷いている。
この人、俺に初めて会ったときは腰砕けになっていたのにな。ちょっと驚かせてやるか。
俺はベティさんの背後に回ると、首筋に当てるように微風をあてる。
「ひえっ!! え、何?」
お、いい反応をしてくれた。もう一回やってみよう。
「うひゃん、ちょ、悪霊さん? 悪霊さんの仕業なの?」
(げへへー、そうだよー)
「ちょ、やめっ、くすぐったい、くすぐったいからーー!」
ベティさんは必死で逃げ回ったあげく、粗末な寝床の毛布にくるまってしまった。
俺本体はすり抜け可能だが、こうなってしまうとラブハリケーンの効果は薄くなってしまうようだ。微風を送ってもピクリとも反応しなくなった。
(っちぃ。逃げられたか)
「はぁ、はぁ。逃げ切ったぜ……」
もう少しベティさんの反応を見たがったがしょうがない。だが、ラブハリケーンの新たな使い途を知ってしまったぜ。くすぐり攻撃。これは使えるんじゃないか?
「ねえ、クリス。悪霊さんって本当に既婚者なの?」
「まあ、二信八疑ですよね」
「げへへー、だって」
アンナとクリスくんとレイジーちゃんの会話が聞こえる。しまった。俺の株価が大暴落だ。そろそろ真面目な話に戻ろう。
「それで、悪霊さんの知り合いの居場所が分かる能力……と、レイジーの狼並みの嗅覚で僕の居場所を突き止めた、と。そういうことですか?」
「そうみたい。……ねえ、悪霊さん。私の居場所って分かるの?」
(え? 分かるけど)
「……ストーカー」
ぼそりとアンナが呟いた。
(したことないわ! というか、いい加減話を進めないと日が暮れるわ! 文句があれば後で聞こう)
再び閑話休題。
(というわけで、大雑把に俺が場所を特定して、後はレイジーちゃんが頑張ったんだ)
「そうだったんですか」
驚いたようにクリスくんは言う。
(それにしても、この水路まるで迷路だな。方向が分かってても、地図がないとキツイ)
「本当に。私もお役所仕事で帝都を周ったりするけどさ、こんなところは初めて来たよ。ねえ、クリスはなんでこんなところに逃げ込んだの? なんで、ライブに来なかったの? 教授がーータカヤナギ教授が亡くなったことに、クリスは関係しているの?」
アンナはクリスを見つめる。他のみんなも、黙って彼に視線を向けていた。
「……教授は、亡くなったんですか……?」
ややあって、彼はそう呟いた。
「うん。そう聞いてる」
アンナではなく、ベティさんが肯定する。
「そうですか……」
彼は天を仰ぎ、深呼吸した後に、ソフィとベティさん、そしてレイジーちゃんを見る。
「ソフィ、ベティ姉さん、レイジー。僕の話を聞いて欲しい。どうか、僕の話を聞いて欲しい。これは僕がライブ当日に知った出来事だ。帝国が隠してきた真実だ。タカヤナギ教授の死因となった真相だ。これらの事実に、みんなはーー僕は、とても関わっている。だから、僕の話を聞いて欲しい。そして、叶うならば、その話を聞いた後で、僕の味方になって欲しい」
ゆっくりと、はっきりと、言葉を選ぶように彼は語る。
「……やけにもったいぶるわね、クリス。そんなに、その事実とやらが重要なことなの?」
「そうだよ、ベティ姉さん。特に、父さんの帰還を待つ僕とベティ姉さんにとっては、非常に裏切られた気分になると思いますね」
クリスくんは自嘲気味に笑う。
「オスカー、隊長? どうして、隊長の名前が出てくるの?」
「ベティ姉さん。エイビス研究所の実験塔の地下3Fに、何があったと思う?」
クリスくんはベティさんの質問に答えず、逆に尋ねる。
「え? 行ったことないから分からないけど……」
「そこにはね、朽ち果てたストークス号のーー、テラ・マーテル号の残骸が保管されていたよ」
「……は? どういうこと? だって、宇宙船はガイアに……」
「ガイアからはとっくに帰還していたんだ。人知れず、宇宙船はテラに帰還していた」
「え……? じゃあ、オスカー隊長は? 他の乗組員のみんなは……?」
クリスくんは首を横にふる。
「父さん……いや、オスカー・レイネット、他、テラ・マーテル号乗組員は全員、テラ帰還の衝撃に耐えられずにーー死亡しています」




