エイビス研究所 実験塔 地下三階
ちょいグロありです。
何があったかは後ほどクリスくんが解説してくれるので、耐性のない方は次話へ進んでくださっても大丈夫です。
時間は少し遡る。
レイジーの監禁されている部屋から出たクリスは、カール准教授の部屋へと向かった。彼は部屋の扉をノックする。誰も居ない廊下に大きな音が響くが、しばらくたっても反応はない。もう一度ノックするが、結果は同じであった。
その音を聞きつけたのか、隣の部屋の扉が開いた。カール准教授の研究メンバの居室である。
「あれ、クリスくん。カール先生なら不在だよ」
師の部屋の前に立つクリスを認めて、やや驚いた様子を見せた研究員は、たったいま自身の出てきた部屋の施錠を始めた。
「……そうですか。ちなみに他の皆さんも?」
「うん、みんなライブに行ってるからね。知ってる? リーアのライブ。今日は研究所に残る人も少ないんじゃないかな」
グレイジーに関する報告か相談にでも来たのだろう。おそらくそのように思った研究員はクリストファーと雑談すると「それじゃ」と言って去っていった。
クリストファーはそんな彼を見送ると、「さてと」と呟いて、特に困った様子もみせずに階段を降り始めた。誰も居ない、古びた実験塔の階段をクリストファーはひとり降りていく。
(予想通り、実験塔の人気が少ない。レイジーには悪いけど、忍び込むなら今日しかないか……)
彼は心の中でレイジーに謝ると、地下を目指して階段を降りていく。彼の目的は実験塔の中でもセキュリティの高い、地下三階の部屋に侵入することであった。古い建物である実験塔には監視カメラが無いため、ばったり誰かに出くわさないか、それだけに注意して彼は進む。
レイジーがストークス号の名を口にしたときから、彼はずっとそのことについて考えていた。
なぜ彼女がストークス号ーー、テラ・マーテル号の旧名を知っていたのか。彼女の幽閉されている場所が、彼の普段所属している宇宙航空開発部であったならば、まだ偶然で済ませられた。あるいは、彼女の世話人に宇宙航空開発部の者が居たならば、たまたま聞きかじったのだと、納得しないこともなかった。
けれど、ここは実験塔。生命環境部の部署しか入っておらず、レイジーの観察記録を見ても観察者や世話人に宇宙航空開発部の者は居なかった。すなわち、ここに監禁されている彼女が「ストークス号」という名前を知る機会はほとんど無かったといえる。
ならば外はどうか。条件付きではあるが、レイジーは外出することが可能となった。外で宇宙船の旧名を知る機会があってもおかしくはない。けれど、「ストークス号」という名前自体、知っている人は少ないし、最近になって知ったのであれば、彼女がそのときのことを覚えていないのも腑に落ちない。
実験塔でも、その外でも、レイジーが「ストークス号」を知り得たとは彼には思えない。けれど、彼女はそれを知っていた。クリスの父親の顔写真を見せられた後、ガイアへと向かった三人の名前をつぶやき、それに引きづられるようにして宇宙船の名前を口にした。
ならば、少々突飛な発想の転換をしてみよう。レイジーが「ストークス号」の名前を知ったのは世話人からではなく、宇宙飛行士三人から直接聞いたのだと仮定してみよう。実験の時期よりも前にガイアへと出発した、彼らから直接聞いたとしてみよう。すると、どうなるかーー。
人造人間とされていたレイジーは、実はガイアの人類で、テラから来たオスカーたちと知り合った。その際にストークス号の名を知り、どうにかテラへとやって来た後、記憶を失い帝国に捕まった。
そう考えた彼は、そのあまりに荒唐無稽な仮説に、思わず吹き出してしまう。
(でも、そうとでも考えないと説明がつかない。そして、もし、仮にそうだとしたら、レイジーの背後に隠されていることはあまりにも多い。そうだとしなくても、『人造人間』の研究の前段階となる、動物実験の形跡がどこにもないのも不可解だ。他にありそうな場所は全部探したし、隠されているならここだと思ってるんだけど……)
クリスは地下三階の廊下を進み、とある部屋の前に立つと、用意しておいたコップを壁に当て、部屋に人気がない事を確認する。一見すると他の部屋と何ら変わらないのだが、この部屋は一般研究員では入ることができない。通常よりセキュリティレベルが高く設置してあるのだ。
もちろん一般研究員であるクリスもこの部屋に入れないはずだが、彼は懐から手のひら大の機械を取り出し、扉のカードリーダーに押し当てる。すると、「ピッ」という軽快な音がして、あっけなく扉は開いた。
(建物が古いからといって、ソフトまで古いとか、残念すぎますね。まったく、誰が責任者なんだか……)
事前にセキュリティをクラックしていた彼は、容易く部屋に侵入すると、懐中電灯をつけて薄暗い室内の探索を始めた。
(さて、僕の知らないレイジーの記録。または、前段階の動物実験の記録でもあればいいんですが……)
古い木製の棚には生物標本が並んでいた。小型モンスターの物が多い。懐中電灯の明かりに照らされて、それらは少し不気味に思えたが、恐怖心を外に出さないようにクリスは探索を続ける。
(だんだんと毛皮が厚く、黒くなっている……。動物がモンスターに進化する過程……か。たしか、テラはガイアと比べて土中鉱物の占める割合が多く、環境適応の結果それが徐々に生物に体内に溜まり、食物連鎖の影響で動物の殻や骨、毛皮などに蓄積されていった説が主流だったはず……。うわ、これは内臓? それにヒトの解剖標本まで……。これだから「実験塔には亡霊が出る」なんて噂が流れるんだよ、まったくもう……)
クリスは心の中で悪態をつきながら、ざっと部屋を周る。レイジーに関する研究がないことを確認すると、彼は部屋を出て、隣の部屋へと同様に侵入した。
(さて、こっちにはお目当てのものがあるといいんだけど……)
こちらの木製の棚にも、隣の部屋と同じように生物の解剖標本が並んでいた。透明な筒の中で、生き物の断片、あるいは全てがホルマリン漬けにされている。
(うーん、こっちも外れか……)
そう思っていたクリスの足が、はたと止まる。懐中電灯に照らされた生物の頭部。ホルマリンが輪郭が歪ませているが、彼はその頭部にーーヒトの顔に見覚えがあった。
「……レイジー?」
思わず、彼は口に出してしまう。さっきまで彼と離していた彼女のーーレイジーの頭部が、ホルマリンの中に沈んみ、クリスのことを見つめていた。。
まさか、と思って、彼は懐中電灯で辺りを照らす。腕、脚、胸。腰、眼球、両手。そして、床に直置きされた巨大な筒には、彼女の左半身と右半身が、断面が見えやすいように斜めに配置されていた。
辺り一面、分解されたレイジーの身体が、展示されている。
「う゛……」
こみ上げてきた強烈な吐き気を、クリスは懸命にこらえる。
「……くそ。不死身だからって、ここまでしますか」
なんとか吐瀉物を撒き散らかずに済んだ彼は、一刻も早くここから逃げ出したい気持ちを抑え込み、引き続き部屋の調査を始めた。棚に収められたファイルを開き、中を改める。解剖標本と、そのときの実験詳細がつぶさに記録されていた。これらはすべて、クリスが彼女の面倒を見る前に行われていた実験の数々だろう。
(もっとも古い記録は‥…、父さんがガイアへと旅立った一年後か。それ以前の記録はないのか? ……ん?)
もう少し古い記録を求めて部屋を歩き回った彼は、廊下とは違う向きに扉があることに気がついた。廊下には通じていない内部屋があるのだろう。そう思った彼は、電子ロックのついていないその部屋へと侵入する。
懐中電灯であたりを照らすと、瓦礫のようにつみ上がった何かが目についた。
(なんでこんなところに粗大ゴミが……?)
隣の部屋とあまりにアンバランスなその展示品に、クリスは訝しがるように近づく。そして、その粗大ゴミと思しき瓦礫の中に、翼や座席、制御パネルや外装部など、見知ったパーツの面影を見た彼は、自身の記憶をたぐり、何度も照合を繰り返して、ひとつの結論を導く。
(……いや、違う。これは粗大ゴミじゃない。黒く焦げついてて分かりづらいけどーー、これは、ストークス号だ! ストークス号の破片だ! なんで、父さんの乗っていた宇宙船が、帝都にあるんだ? 父さん達はまだガイアに居るんじゃないのか? それとも、……まさか、本当にあの仮説が……? レイジーは、人造人間じゃなくて、これに乗ってガイアから来た宇宙人だとでも言うのか……? だとすると父さんは……)
自らの立てた仮説の、確たる証拠と思しきストークス号を発見した彼は、焦りながら内部屋の探索を進める。そこにはストークス号の残骸の他、そのときの様子を記した記録、ストークス号に遺された宇宙飛行士のものと思しき品々が保管されていた。
(……これが、この記録が真実? じゃあ、なんで父さんは……。それに、なんで隠されて……。ん? まだ、あそこにも記録があるな。……これは、父さんの……いや、僕の?)
夢中になってクリスは内部屋を調べて回った。それこそが、ここ二ヶ月ーーいや、もしかすると、それ以上も前から彼が探し求めていたものだと思ったからだ。
それ故に、彼は気づくのが遅れた。
この内部屋に、誰かが音を忍ばせて入ってこようしていることにーー。




