クリスの元カノ
「あー、やっぱりレイダースのワインは香りが良いわね。うん、美味しい」
ベティさんはソファに座ってワインを空気にくゆらせる。テーブルの上にはツマミのチーズも準備してある。これもケイトが持ってきたものだ。
「お口に合ってよかったです」
ケイトはほっとして様子だ。
「ありがとねー。すごく美味しいよ。高かったんじゃない、これ?」
「いえ、そんなことは。うちのお店の商品なんですが、一本くすねてきちゃいました」
舌を出して彼女は笑う。
(そんなことしていいのか?)
「後で父に言っておきますから大丈夫ですよ。エリザベス隊長、もしもお気に召しましたら、ぜひ当店にてお求めくださいね」
「ケイトの家はお店なんだ。何て名前?」
「レグルス商会です」
「あ、レグルスさんとこか。遠征ついでに何回か護衛したことあるから覚えてるよ。……もしかして、ケイトとも会ってたりする?」
「ええ、何度かお見受けしたことが。ただ遠くからでしたので、私のことをエリザベス隊長が覚えてらっしゃらないのも無理ありません」
「そっか、ごめんね。あと、今は休暇中だから隊長は要らないよ。ベティって呼んで」
「でも……」
「いいから」
「……分かりました。ベティさん。今後ともよろしくお願いします」
「こちらこそ、クリスと仲良くしてくれてありがとね。みんなも気さくにベティって呼んでね」
「は、はい」
「わ、分かりました」
アンナとアルはまだ緊張しているようだ。一方でケイトは気負うこと無くベティさんと話している。しれっとお店の宣伝もしていたし、このような場は慣れているのかもしれない。
「じゃあ、僕はそろそろ料理を作りますよ」
「あ、私も手伝うよ」
「ベティ姉さんは座っていてください。アルコール入った人が包丁持ったら危ないんで。アル、手伝ってくれる?」
「あいよ」
アンナとケイトも手伝いを申し出たが、場所が狭いのでとクリスくんは断り、アルと一緒にキッチンに入った。ダイニングキッチンなので彼らの様子はこちからでも分かる。確かにあの手狭な場所で三人が動くと却って効率が悪くなってしまうだろう。
「レイジーちゃんは寝てるんですか?」
「そうなの。ちょっと疲れちゃったみたい。料理ができるまで寝かせてあげましょう」
「じゃあ、小声で話さないと、ですね」
「そうねー」
と、三人は声を潜めて話し出す。改めて自己紹介をしたりもしたが、話題は三人の共通項であるクリスくんが主である。彼の大学時代が話題になったところで、俺は思い切って訊いてみた。
(そういえば、クリスくんに大学時代彼女が居たらしいんだけど、二人は何か知ってる?)
「え、そうなの? クリスに彼女が?」
ベティさんはちらっと目線をクリスくんに向ける。彼はアルと話しながら手際よく料理を進めていた。小声もあってか、こちらの話は聞こえていないようだ。
(二人のどちらかが実はクリスくんと付き合っていたと俺は睨んでるんだが……)
俺がそう言うと、二人は顔を見合わせて吹き出した。
「あはは。悪霊さん、それは違うよー」
「そうねー。もうちょっと大人の人のほうが私はタイプねー。クリスはまだ子供だからなー」
二人はくすくすと笑う。二人の様子から察するに俺の予想は外れていたようだ。
「まあ、クリスの彼女がきっかけで、私達は知り合ったようなもんだけどね」
「あー、そうだったね」
うんうんとケイトは頷く。
(何かすごく気になるんだけど)
「私も気になる」
「大した話じゃないんですけどね……」
そう前置きしてアンナはクリスくんの彼女について話し始めた。
クリスくんは大学に入学したときから有名人だった。彼が大学に進学したのは12歳の頃。普通であれば中等部に入る年齢であったが、彼はその歳で帝都唯一にして世界最難関の大学試験をパスしてしまった。それも、多浪を含む他の受験者を差し置いてトップの成績で合格したのだ。父が英雄オスカーということもあり、彼の名はたちまち大学に広がったという。
この世界では義務教育は初等部までで、中等部に進学するか否かは個人及び各家庭の裁量に委ねられる。初等部卒業生のおおよそ半分が進学し、残りの半分が職に付く。中等部は三年間あり、卒業すると15歳になる。そして学生非学生関係なく、15歳になった者には兵役の義務が生じる。ただし、特例として兵役が免除されるケースもある。
例えば皇族関係者。ソフィは現在17歳。本来であれば兵役に従事する年齢なのだが、公務に従事したり、結婚を控えていることもあり免除されていた。他には病気や怪我により、肉体労働が不可能と判断された者は免除対象となる。また、類稀なる才能を持ち、兵役を課すよりもその才能を伸ばすほうが有意義と公的に認められた者は免除対象となる。クリスくんが現在兵役に就いていないのはこれが理由だ。
クリスくんは飛び級を繰り返し、9歳で初等部を、12歳で中等部を卒業し、そのまま大学試験をパスした。当時まだ12歳であったため兵役の義務は生じていない。一方で通常のルートで大学に進学したものは、2年の兵役からようやく開放された者ばかりである。入学式典で新入生代表の挨拶をする自分より遥かに小柄なクリスくんを見て、心中面白くなかったものも少なくない。従って入学早々クリスくんはやっかみの対象となってしまった。
「もっとも、クリスは全然気にしなかったんですけどね」
アンナは声を潜めて言う。その頃はまだ友達ではなかったらしく、これはクリスくん本人の様子から察したことらしい。野次にも中傷にも特に反応せず、一年次から当時は大学教員であったタカヤナギ教授の研究室に足を運び、研究に邁進していたという。
そしてその頃にオスカーさん達先祖返り三人が惑星ガイアへと出発した。その人類の偉業にクリスくんの周りからはやっかみの声が消えたらしい。むしろ彼の父親を褒め称える人が増えたという。
「その中のひとりだったのよ。クリスの彼女は。一見おしとやかに見えて内心ミーハーの女」
アンナは眉を潜めて言う。言葉にも棘がある。その女性にあまり良いイメージを持っていないようだ。
「そりゃあ持ってないわよ。だってそいつ、オスカーさんが行方不明になった直後にクリスのこと振ってるんだもん」
(え、まじで?)
「まじで。しかも、散々クリスのこと悪く言ってた。それとなーくだけど、ね」
(それとなーく、悪く?)
「簡単に言うと、被害者面して自分は悪くありません。彼の私に対する仕打ちが酷いんです。彼を振るのは仕方のないことで、このタイミングで別れるのその仕打ちに我慢できないからなんです。っていうのを周りに言いまくってた。ちなみに、オスカーさんが行方不明になる前はまったく逆のことを周りに言いふらしてた。自分たちはこんなに仲良いんですってね」
俺が理解してないことを察したアンナが解説してくれる。
まじか。女って怖い。
「で、その女は顔も良かったからさ。同情した男友達が良いところ見せようとクリスに絡んだんだよね。クリスはいつも通り無視してたんだけど、連中のひとりがとうとう手を出したんだ」
(あらま)
「それで、どうなったの?」
ベティさんが身を乗り出して尋ねる。「ここからが面白いんですけどね」と前置きしてアンナが続ける。
「クリスは殴られてふっ飛ばされたの。予想以上にふっ飛ばされたクリスが、たまたま通りがかったアルにぶつかった。そしたらたまたま虫の居所が悪かったアルがキレて、その男友達数人をボコボコにしたの。それを目撃した事務員が警備員を呼んで、アルは気絶した連中と一緒に連れて行かれたわ。結局、構内で喧嘩したということで、アルも連中も一週間の停学になったわ」
まじか。アルよ、憐れ。
「ちなみに、騒ぎの原因にも関わらずクリスは連行されなかったの。勿論、お咎めも無し」
(何たる待遇の差だ)
「流石にあれは可愛そうだったわね。クリスもアルにあとで謝ったって言ってたし。で、殴られたクリスを介抱したのが私とアンナってわけ。それ以来ときどき話をするようになって、いつの間にか仲良くなってたわ」
ふーん。そんな繋がりだったのか。
「クリスは駄目ね。殴られたくらいでふっ飛ばされてちゃ。それに喧嘩には勝たないと」
やれやれとベティさんは首を振る。いや、当時12歳だったクリスくんと、相手は兵役を終えた17歳でしょ。さすがに厳しいんじゃない?
「私、12歳の頃には黒狼を倒してたけど」
(ベティさんは『先祖返り』だからでしょ。一般人の比較対象にはならないよ)
「レイカも一緒に」
レイカって、ミヤナギさんか。あの人は先祖返りじゃないらしいけど、第一分隊だから彼女も例外だろう。
(そういえばミヤナギさんとベティさんて知り合いなの? カフェで仲良さそうだったけど)
「幼馴染であり、同期入隊だからね。普通に仲良し」
(そうなんだ。ラインハルトとも?)
「あいつは弄られキャラだから。仲は普通かな」
ベティさんはワインを呷る。
そうか、あの人弄られキャラなんだ。登場シーンは格好良かったのにな。
「そろそろ料理できるからテーブル空けて、レイジー起こしてー」
キッチンからクリスくんの声が聞こえた。




