これからとモモモ
「それで、悪霊さんはこれからどうするの?」
端末に興奮する俺にユリカは尋ねる。彼女の声にはまだちょっと棘が残っていた。
「えーと、精神崩壊するのが嫌だから、しばらくここにいようかと思った。けど、ふたりの邪魔をするのは悪いから、マダムのところに厄介になろうかと思ってる、と……。うーん、別にここに居てもいいんじゃない?」
俺の言葉をセミルがユリカに伝えるが、それを聞いたユリカの顔が、怒 → 喜 → 哀 と変わる。
「えー、なんで呼び止めるのさ! せっかく出てくって言ってるのにぃ〜〜〜」
「悪霊さんの世界の話が面白そうだから、暇つぶしにもうちょっと話を聞きたいんだけど、ダメ? 悪霊さんの話を聞きにわざわざマダムのところに行くのも面倒だし、普段はパンツパンツ言ってるけど、ユリカには悪霊さんの声が聞こえないから不快になることもないんじゃない?」
「でもセミには聞こえるし、またさっきみたいになるのはヤダよー」
ユリカは、ブーブー文句を言う。こうなると思ったから、マダム屋敷行きを提案したんだが、セミルはそんなに俺が元いた世界に興味があったのか。
しばらく考えて、セミルは口を開く。
「……うーん、じゃあルールを決めようか。ハウスルール。さっきも言ったけど、悪霊さんは緊急時以外に大声で何かを叫ぶの禁止ね。私を無理やり起こしたりするのも、イラッとするからだめ」
(了解した)
「あと、家には自由に出入りしていいから。ただし、ユリカの部屋には勝手に入らないこと」
(分かった。セミルの部屋にはいいのか?)
「特に見られて困るものもないし、悪霊さんも何もしないでいるのは退屈でしょう? 自由に入ってきてもいいわよ」
(俺が入ったときに、着替えてたりとかしたら、その、……イヤじゃないのか?)
「何が?」
(見られたりとか……)
「別にー。悪霊さんがその気になったら見られ放題だから、気にしてもしょうがないからねー。あ、今までも実は結構覗いたりして、ニヤニヤしてたりするんでしょ?」
(いやまあ、その気になれば確かに見放題なんだが、何のリアクションもないから見てもしょうないんだよねーって、何言わすんじゃい!)
それに見たのはセミルのではないし、あのときのあれは不可抗力であったから、俺に非はないと思われる。
この世界に俺が来た理由を調査するためあちこち見て回ってたときに、裸で出歩いているお姉さんとすれ違ったのだ。あまりに堂々としていたから、もうそれが普通だと思ってしまい、ニヤけるどこらか無表情ですれ違ったけれど。あとから四回くらい振り返って声をかけたが、ことごとく無視されて心折れた。
「あと、プレイ中は声掛け禁止ね」
(マッサージ中な。了解した)
「こんな感じでいい? ユリカ」
「うーん、プレイ中に見られるの、ヤじゃない?」
(マッサージ中な。確かに、人によっては見られるのも嫌だよな。うん、そのときは見ないようにするから安心してくれ)
「うーん、そうね……」
そう呟いて、セミルはユリカの側に寄った。耳に顔を寄せ、小声で二言三言囁く。
「それなら、いいかなぁ……」
セミルがこちらに戻ってくる頃には、ユリカは恍惚の表情を浮かべて、さっきとは真逆のことを口にした。おいおい、何て言ったんだ?
「じゃあ、そういうことで。これから、よろしくね」
(……うん、よろしく)
「……あ、悪霊さん。ちょっとくらいなら見てもいいからね」
(マッサージをな)
「そっちのほうが、気持ちよさそうだし……」
(マッサージがな)
それから一週間くらい二人と暮らしていた。暮らしていて気づいたのは、やべぇこの世界半端ねぇ、ということであった。以下、俺の驚きをダイジェストでお伝えする。
(そういえば、仕事には行かないのか?)
「仕事? なにそれ、美味しいの?」
(お金がないと、不便だろ?)
「端末ポチー」
(すげぇ、食料も日用品も何もかもが地面から出てくる。魔法みたい)
「あ、骨折れた」
(お医者さんを呼べー!)
「骨折程度なら2秒で完治」
(天敵とかいないのか? モンスターとか)
「いない」
(病気とか)
「知らん」
(災害とかあったらまずいでしょ)
「地震 → 無い
雷 → 自分に落ちても、数秒で完治
火事 → 緑の大地にはあまり燃え広がらない
洪水 → 流されても生きてる」
(人を痛めつける悪いやつとか……)
「そういうの好きなやつ同士がコロシアムで殺し合ってる。今度見に行こうか」
(遠い?)
「遠いけど、自動車あるから大丈夫」
理想郷はここにあった。素晴らしい、この世界なら働かなくても生きていける。働かなくてもいい世界である。他の転生先を見てみないと判断はできないが、少なくとも二度と行きたくないような世界ではない。
「何ていうか、話を聞いている限りは君の元いた世界は随分と生きづらそうだね〜。そんなにニンゲンに優しくない世界があったとはね……。びっくりだ」
(俺のほうがびっくりだわ。何このニンゲンを駄目にする世界。スイッチひとつで食料とかどんどん出てくるんだけど)
「なんでも、すごい昔にそういうインフラを造ったんだって。自動でメンテまでしてくれるからか、半永久的に動くんだってさ。よく知らないけど」
(え、じゃあそれが止まったらみんな死んじゃうの?)
「さぁ? でも、基本的に何も食べなくても死なないし……」
(じゃあむしろ何でインフラ造ったんだよ……)
「その理由を含めて調べてる人はいるけど、まだよく分かってないみたいね」
そう言ってセミルは端末を振る。恐らく調べてる人が知り合いに居るのだろう。
(ふーん。あ、ゴミとかはどうするんだ)
「家の外に捨てておけばいいわ。なんでも呑み込んでくれるから」
(え、何が?)
「えーと、正式名称はなんだったかな。……思い出せないや。見たほうが早いか」
セミルは外へ出て家の裏側に周り、少し丘を下る。
「このこ」
そう言ってセミルが示した先には、少しピンクがかった緑色の苔の塊があった。大きさはマクラかザブトンくらいだ。
(何これ?)
「私達はモモモって、呼んでる」
セミルは持っていた食料品から包み紙を剥ぎ取り、モモモと呼ばれた物体にポイと放った。
瞬間、ガバリと物体は割れて包み紙を呑み込んだ
(うぉ、何だコレ? 初めて見た)
「そこらじゅうに居るわよ? ああ、基本的に動かないし、地面と区別つかないから悪霊さんには分からなかったのか」
(危険は無いのか?)
「無いわよ。それに人懐っこいの。このこは私達になついてるから、名前をつけて呼んであげてるんだー。ねー、モモモー」
セミルは名前を呼びつつモモモを撫でる。一瞬、またガバリと開いて腕を呑み込むんじゃないかと思ったが、そんなことはないようで、モモモはおとなしく撫でられていた。毛のように本体に絡みついていたのか、不思議と苔は剥がれること無く、セミルの手は汚れなかった。