0︰200年後の魔女
安楽椅子に深く腰掛け、ゆったりとした動作で精緻な刺繍を施していく。意匠は、先日たまたま目にした珍しい燃え上がる鳥、朱雀。暫くして完成したそれを見ながら満足気なため息をついた。
「ふぅ...完成しましたね、そう言えばもうこんな季節ですか...」
長い冬の間に積もった雪が雪解けを迎え、既に小さな芽が雪の間から顔を出し始めていた。そろそろ冬の間に作った作品を売りに村に降りるのもいいかもしれない。
枠から作品を外して作り貯めた他の作品と同じく箱に収めた。刺繍糸や針を片付けて、外行きの服に着替えて、不自然にならないように掌の中ほどまであるアームカバーと、更に黒い手袋まで嵌めて膝下までの編み上げのロングブーツ、腰まである長い夜色の髪を一纏めにして頭にはニット帽、薄手のマフラーを首に巻いて、腰には細身の長剣を提げる。
背負った大きめのリュックには、底に作品の入った箱と、少し多めのお金の入った皮袋、それと、とっておきの作品。浅い所には着替えが3組ほど。外についたポケットには小ぶりのナイフといくつかの薬を入れておく。
「準備完了、後は状態保存の魔法を掛けたら完璧ですね」
外に出れば、まだまだ冷たく強い風が吹いていた。それも家の周囲を円形に覆った結界の外側の話だ。内側ではそよ風が時折思い出したように吹くだけ。
家に向かって手を一振りすると状態保存の魔法がかかった。それを確認して外へ向かって歩き始めた。
敷地の外には道など確認出来ないが、迷いなく歩を進める。まるで舗装した道を歩くかのような足取りは、ここが森の中でバランスを崩しやすい凹凸の激しい状態だということを感じさせないほど。
そんな時、後ろからゆっくりと気配を隠すことなく近づく影があった。
「ハクラ、居たのですね」
振り返った先に居たのは白銀の大狼。琥珀色の鋭い瞳は静かに見つめ返し、鼻先まで近づきふんふんと匂いを嗅いだ後、すり、と頭をこすり付けた。
「今までどこに...?冬ごもりの前に探していたのですよ?」
「西へ行っていた」
「西へ?ああ、二セル山に居たのですか...」
西の二セル山は冬でも実りが多いため、食事にも困らなかっただろう。
言葉を話す大狼は許せ、とでも言いたそうに頬を舐める。耳の後ろをかいてやれば気持ちよさそうに喉を鳴らした。
「これから村に降りて、そのまま一巡りするつもりですがあなたも来ますか?」
「行く、偶には人里も悪くは無いだろうからな」
パサリパサリと尻尾を揺らし、迷惑は掛けん。と続けた。
「いえ、最初からそんな心配はしていませんが...、とりあえずはマージの村に行って色々作り貯めたものを売ってからですね」
「乗るか?」
「良いのですか?少々重いですよ?」
「我をなんだと心得るか、年寄りではないぞ」
事実この狼は途方もない年月を重ねているはずだが、その話題は色々と沽券に関わるらしい。ふんっ、と鼻を鳴らして地面に伏せた。
「では失礼、しょっ...と!」
地面に伏せても体高が高いハクラの背に乗り、荷物の座りを直した。横目で確認したハクラは「行くぞ」と声をかけてから走り出した。
耳元で轟々と風が鳴る。一蹴りで川を超え崖を飛び越し谷を跨ぐ。まさに白銀の風と化したハクラは、通常なら4日かけてたどり着く村にたったの1時間程で着いてしまうほどだった。
「(この村に来るのも何回目でしたっけ...)」
すっかり馴染みになったこの村に、最初に来たのは...気の遠くなるような昔、この世界に来たばかりの事だ。