第三夜:伝承と魔物
「つまり、村の人たちからの依頼というのは、伝承の調査ではなくて、ずばり、氷神と呼ばれる魔物退治だったんですね」
おかしいとは思ったんだ。
リリィーナ不思議探偵事務所への依頼と言えば、小耳に挟んだだけでも、その大半が超凶悪指名手配犯の追跡だの普通の英雄では手に負えない怪物退治だの、えげつない荒仕事ばかり。伝承の調査だけなんて、学術的かつスマートな依頼内容は聞いたこともなかったし、リリィーナ教官のイメージにしては、上品すぎる。いや、けっしてリリィーナ教官が下品というわけではないが、剣一本でグリフォンやドラゴンを退治したという人には似合わない仕事だ。
「うーん、そういうことになるかな」
ははは、とリリィーナ教官は乾いた笑い声をあげた。ごまかされるもんか。
「で、今回、僕を連れてきてくださった本当の理由は、何ですか?」
「アシスタントを探していたのは本当だよ。魔物の正体は予測済だったし、一晩中一人で火の番をするのは大変だからね。お互いの利害が一致して良かっただろう」
そう、立っている者は新米学生をもこき使うのが、リリィーナ教官達のやり方だ。けっして忘れていたわけではないが、困窮していた矢先に舞い込んだうまい話とバイト代に、まんまと目をくらまされてしまった。
「ずっと火の番だけじゃ、魔法学のレポートに書ける内容がありませんよ。肝心の魔物は見つからないし、何か調べようにも、天候が悪くて村にも帰れないし……」
僕はわざとらしく大きな溜め息をついてから、マグカップのコーヒーを飲んだ。熱いコーヒーだけは、毎日リリィーナ教官が煎れてくれる。ちなみに食事の仕度は僕の仕事だ。たぶん、僕はこのために連れてこられたんじゃないだろうか。
それにしても寒い。コートの上から分厚い毛布2枚にくるまっていても、まだ冷える。
この狩り小屋は、扉も窓も二重構造だ。昔、住居として建築された建物なので構造は悪くない。分厚い土壁が外気を完全にシャットアウトしている。暖炉には大きな湯沸かし器が作り付けられていて、水を入れておけばいつでもお湯が使える。毛布や食糧品は、村の人たちが森に調査に入る僕らのために、たっぷり用意して置いてくれたから、居心地は悪くなかった。
手回しの良いリリィーナ教官は、魔物退治の準備も抜かりなかった。用意された薪は――なにしろ一週間休み無く燃やすのだから――まさに山のようにあり、全部を室内に持ち込むことはできず、二日に一度は玄関の外に積み上げてあるのを取りに、僕かリリィーナ教官のどちらかが外へ出なければならなかった。
「まあ、たしかにこれは魔物の一部でしかないし、魔物の全体とはまだ対面していないね。わたしはこれを、例の渓谷で見つけた。伝承通りに、凍りついた滝の水の向こう側に氷の洞があって、その奥に隠されていたんだ。取り出すには、少少苦労したけどね」
凍りついた洞から取り出すには、火が必要で、リリィーナ教官は滝の近くで薪を集め、たき火を燃やして氷を溶かしたという。
一般的に多くの境海世界では、昼には太陽が、夜には月が空に昇る。そして、ほとんどの魔物の活動時間は、通常、夜間に限られている。
リリィーナ教官が氷の心臓を入手して小屋にたどり着いたときは、まさに太陽が地平線に隠れた瞬間だった。リリィーナ教官の背後にはすさまじい冷気が迫っていたらしい。
じゃあ、もしもあの日、帰ってきたリリィーナ教官がほんの少し、狩り小屋に入るのが遅ければ……!?
「ああ、氷神と一戦交えていたかもしれないね。……そうか、そっちの方が手っ取り早かったかなぁ」
あっけらかんと感想を述べるリリィーナ教官に、僕は返す言葉がなかった。
伝承通りなら、氷神は出会った生き物を片っ端から凍りつかせて命を奪うのだ。いくらリリィーナ教官がかつて局のナンバーワン局員にして今も予備局員であり、局で五指に入る魔法使いで剣の達人でも、一瞬で全身をカチンコチンに凍結させられたら、勝つどころか剣を取る暇も無いだろうに。
そもそも、雪が積もった森を、一人でうろついて魔物を捜し回るなどというのが、無謀すぎるのだ。
それともこれが、境海一と名高い不思議探偵のやり方なんだろうか。
それが、この狩り小屋に着いた一日目の出来事だった。
リリィーナ教官は僕が昼寝している間に出かけて帰ってきた。その左手のハンカチ包みがハラリと開かれると、大人の拳より少し大きな、ガラス細工さながらに青白く透明な心臓が現れた。
「氷神の心臓だ」
僕は腰をぬかさんばかりに驚いた。その人間の心臓の形にそっくりな氷の塊は、教官の手の上で力強く脈打っていた。
「だ、だいじょうぶなんですか。そんなモノ、勝手に持ってきて。それ、動いているということは、魔物はまだ生きているんでしょう?」
「心臓を盗まれた氷神は、人間も動物も凍死させることはできないんだ。完全に封じたわけじゃないが、今、この心臓を持っているのは、わたしだ。ヤツにできるのは、せいぜい小屋の回りを巡って、ドアをノックするくらいさ」
護りを固めた家屋には、中にいる人間がみずから招き入れない限り、魔物は入れない。それは多くの世界で、闇の魔物に共通する古い古い自然界の掟だ。それがここでも働いているという。
リリィーナ教官の帰還とともに、外は目も開けていられない猛吹雪になった。
もう、伝承の舞台である渓谷や森を調べに行くどころじゃない。
僕らは否応なしに、雪嵐が止むまで狩り小屋に閉じ込められることになってしまった。






