第一夜:氷の心臓
炎の中で薪がはじけた。
「なぜ、七回なんですか?」
ふと、僕は訊ねた。
それは今回ここへ来た案件についての最大の謎だ。冬のみに現れる魔物の伝説がよみがえった村に、一昨日から僕らは滞在している。
暖炉で燃えさかる炎の中で、ときおりオレンジ色の光が踊る。
陽光にかざしたダイヤモンドさながら、焼かれてきらめくのは『氷の心臓』。その成分は確かに凍結した水でありながら、火に焙られても溶けない氷の塊だ。
これこそ、伝承にある氷雪の魔物『氷神』の、唯一の弱点らしい。
「七回というのは七日間ということだよ、トールくん。古い伝承にはたまに真実が隠されているのさ」
と、リリィーナ教官。からかわれているのか真面目なのか、その整った横顔の表情は謎めいていて、いつもながら読み取れない。一見して男と間違われることが多いが、ショートヘアの黒髪はさらさらだし、顔立ちもよく見れば繊細な造作なので女性だとわかる。外見年齢は二十歳前後と若い。しかし、局員としての活動期間は軽く数十年以上の経歴があるという。ひょっとしたら数百歳かも、という噂さえ、聞いたことがあった。
つまり、リリィーナ教官について僕が知っていることは、恐ろしく腕の立つ魔法使いで、魔法大学付属学院での、僕の指導教官の一人ということだけだった。
僕は薪を取りに外へ出た。
すぐに戻り、抱えてきた一束の薪を暖炉の傍に置くと、急いで暖炉前の指定席に座り込んで毛布にくるまった。この国の辺境にあるこの村は、ガスも水道も電気もない、暖房は暖炉だけだ。
寒がりの僕にくらべ、リリィーナ教官はいつもの暗青色のスーツ姿だ。外出時はさすがにコートを羽織っているが、それだって本当に寒さを感じて必要としているのかは怪しい。
局員はみな、魔法使いだ。
こんな不便な国に来ても、リリィーナ教官は僕よりあらゆる意味で余裕があるように見えていた。僕は、普段から生活するのに利便性の高い魔法などをいろいろ使っているんじゃないか? と勘ぐったが、こんな閉鎖的な状況下では否応なくリリィーナ教官の日常を観察することになる。
その結果、リリィーナ教官は魔法の無駄使いなどしていないことがわかった。
朝のコーヒーは、コーヒー豆を手動のミルで挽いていたし、空いた時間には持ち込んだ本を読んでいた。僕が退屈しないように気遣ってくれ、境海世界の各地を訪れた旅の話や、不思議な魔法の話をしてくれた。
暖炉の火を絶やさないよう気を使う以外は、ごく普通の日常生活を過ごした。
リリィーナ教官は、ルームメイトとして一緒に過ごす分には、非常に好人物だったのだ。
「氷雪の野に生まれ出でし氷の凶神。その息吹はあらゆるものを凍らせる。大昔からこの地方に伝わる魔物の物語ですね」
僕が出発直前に地方版の伝説集を読んで仕入れてきた付け焼き刃の知識を披露すると、リリィーナ教官はにんまりした。
「ほう、一応、頭に入れてきたか。上出来だ。その通り、こいつは神様なんかじゃない。魔物なんだよ」
せっかく褒められたのに、僕は背筋がヒヤリとした。最近、仕事でいろいろ鍛えてもらう機会が多かったせいか、この笑みを見せられると、どうにも褒められた気がしない。
「近隣の村で行方不明者が出たから、教官は不思議探偵として村人に頼まれて、その伝説の検証に来たんでしたね?」
氷の魔物を倒す方法はただひとつ。その氷の心臓を盗み出し、たゆまずに七回燃やせば、滅びるというのが伝承の締めくくりだ。心臓を奪うには魔物を拘束しなければ取れないんじゃないかと僕は不思議だったのだが、ある種の魔物は心臓などのこの世に存在する魔力の核となる部分を、器である身体とは別の場所に置いているのだそうだ。この魔物に関する豆知識は、さっきリリィーナ教官に教わった。
「これも検証だよ。伝承通りに燃やせるかどうかの実検だ。火を絶やさないように、しっかり頼むぞ」
リリィーナ教官が暖炉を眺めながら僕の横に腰を下ろしたとたん、
――ピキーンッ。
ガラスが割れるような鋭い音が室内にこだました。
あかあかと燃える炎の中で、氷の心臓は大きくヒビ割れていた。ヒビはあっという間に縦横無尽に広がった。透明だった氷は白く濁り、次の瞬間、木っ端微塵に砕け散った。
「第一夜終了。ちょうど夜明けだ」
リリィーナ教官は、驚いて口もきけない僕にそれだけ言い置くと、さっさと寝室へ引き上げた。
外はまだ吹雪がひどくて出られない。
だが、その日の午前零時、日が変わった瞬間に――――暖炉の火の、崩れた灰の中では、キズ一つ無い氷の心臓が再生されていた。