出立
まとめておいた荷物を取りに家に戻り、二度と開けることはできない扉を開けた。荷物がなくなり、備え付けの家具が片づけられた家。随分と広く、そして寂しく感じる。僕は十三の時に両親を亡くしたから、二年間この家で独りぼっちだった。
最後の見納めと言うことで僕は家の部屋を一つ一つ見て回った。
ヒアと一緒に大はしゃぎして、両親に怒られた子供部屋。
両親と一緒に寝た思い出がある、寝室。
小さい頃は両親やヒアと、最近は自分だけで料理を作っていた台所。
この家ともお別れかと思うと、涙がこみ上げてくるけど僕は歯を噛みしめてそれを耐えた。これからは一人で、このリンツの村の外で生きて行かないといけない。泣いている暇なんてない。
でも、感慨深さもこみ上げてくるけど。僕をバカにし続けた村人に二度と会わなくて済むと言う思いもあった。
そっちを考えると、心が軽くなる。いや、自分でもこうなるって薄々わかっていたから、心の準備と後始末も済ませておいたから、ショックが少ないのかもしれない。
生まれてからの十五年で、僕は負けた時の言い訳ばかり上手くなった気がする。
村を抜けて、畑の中のあぜ道を通る。僕の精霊召喚の儀式が終わった後は何人か畑仕事に戻っていた。
ある人は土を休ませている小麦畑に鋤を入れ、ある人はキャベツ畑の雑草を引きぬいている。僕を見つけるとにやにやと嫌らしく笑ったり、バカにしたように鼻を鳴らしたり、近くにいる子供にこれ見よがしにあんな奴にかかわるなと告げたり。
もうたくさんだ。
僕は耳をふさいで、逃げ出すようにあぜ道を走った。
ふと、親に習った輪廻転生という言葉を思い出した。この地方では人も、動物も、精霊も、死んだら生まれ変わってまた一から新たな人生をやり直すという。
それが本当なら。もう一度生まれ変わって、今度はまともな精霊使いになりたい。
息が切れるのにもかまわず走って走って、日が傾きかけた頃にやっと村を囲う畑の外に出られた。村を茜色の日が淡く照らしているのがこの場所からは一望できる。畑も、家も、そこで暮らす人もまるで箱庭の中の作りもののようだ。
村は畑ごと山で囲まれており、山を北に抜けるとリンツの村から一番近いドルトムントと言う町に着く。
汗だくになった体に、夕暮れ前の山風が心地いい。
僕は背中のザックからタオルを取り出して、汗をぬぐった。
タオルから甘い香りがする。このタオルはヒアのもので、去年の誕生日にヒアがくれた。
十四にもなって精霊召喚に失敗して落ち込んでいた僕を唯一慰めてくれたのがヒアだった。その頃にはもう疎遠になっていたから、短い会話を交わしただけだったけど涙が出るほど嬉しかった。精霊がなかなか召喚できず、落ちこぼれの烙印を押され続けてから誕生日が嫌いだったけど、久しぶりに誕生日が嬉しいと思えた日だった。
でも、ヒアにお別れの言葉をいうこともなく村を出てしまった。
後悔が胸をよぎる。
引き返して、一言だけでいいから会って言葉を交わしたい。
焦燥感が脚を突き動かそうとするが、村人たちの目と、声の記憶が僕の脚を止めた。
あんな場所に戻りたくない。
結局その思いが勝って、村とは反対の方向に脚が向いた。
「エル」