力の差
汗をタオルでぬぐいながら、仕事帰りの村人たちが談笑しながら道を歩いている。
彼らが纏うのは灰色や暗色の、ウエストを紐で締めただけの簡素な衣服。その上に仕事着として長袖のチュニックを羽織っている。材料は麻や原毛で、肌触りはお世辞にも良いとは言えない。
だが農村とはいえ、中には富める者もいる。彼らは色鮮やかな衣服に身を包み、シルバーやブロンズの装飾品を身につけていた。
この村で特徴的なのはある中年男性が犬を従えて歩いていると思えば、その妻は虫がその周囲を飛んでいる。ある少年には蛇が腕に絡みついていた。
だが村人の誰ひとりとしてそれを振り払ったり顔をしかめたりせず、長年の友人にでも接するかのように穏やかな笑顔で相手していた。
それもそのはず、この村人に従う虫や小動物は皆、彼らが召喚したものなのだから。
このリンツと言う村は別名、「精霊使いの村」と呼ばれていた。
村人は全員が自身で召喚した精霊を従え、身を護らせたり仕事をさせたりする。だが力のある精霊を使役できる者の数は少なく、大半は普通の村人と変わらない暮らしを営んでいた。
「これは村長様、ヒア・ローデンヴァルト様」
オオカミの毛皮で作ったベストを着た四十歳ほどの男性と、この村には珍しく赤い色の衣服を身にまとった十四歳の少女が並んで歩いていたので、僕は立ち止って深く頭を下げた。
村長はこの村一番の力の持ち主で、白虎を従えている。彼のおかげで盗賊はここ二十年、この村に近寄ってきたことがない。
十四歳の少女はヒアといって村長の娘だ。腰まで届く銀色の髪とプラチナ色の瞳が印象的で、ヒアの側には蝶のような羽を持った人の形をした生き物が飛んでいる。だが大きさは人の手の大きさほどしかない。
フェアリーだ。
ヒアとは昔良く遊んだ幼馴染だったけれど、ヒアが九歳のときにフェアリーと言う強力な精霊の召喚に成功し、村人からもてはやされる存在になった。そして話しかけられる機会が減っていき、自然と疎遠になっていった。
いまだ精霊の召喚に成功していない僕が話しかけようとするだけで、他の村人は咎めるような蔑むような視線を向けた。
僕が他人行儀な挨拶をするとヒアは少し寂しそうな顔をしたが、言葉は返さなかった。ここ二、三年はずっとこんな風に最小限の言葉しか交わしていない。
季節は春を超え、夏に近い。畑で一仕事終えた後の村人は汗まみれで、家仕事を生業とする者でも外を歩くだけで額から汗が流れ出ていた。だが村人の中でヒアだけは涼しげな顔をして歩いていた。日暮れ時で風がまったくないのにもかかわらず、彼女だけは風に吹かれているかのように髪がなびいている。
「おい、エルンスト!」
ヒアとの思い出に浸っていたのに、それを打ち消すように耳障りな声が聞こえてきた。
無視するともっとひどい目にあわされるから、僕はしぶしぶ顔をあげて声の主の方を向く。
癖のある赤毛に僕より頭一つ分は高い身長、筋肉の盛り上がったがっしりとした体つき。
ゲーリング・クレンスマンだ。ゲーリングの隣には靄のような何かが彼を護るように浮かんでいる。
「いよいよ明日はお前最後の日だなア」
明日は僕の十五の誕生日で、召喚に挑戦できる最後のチャンスだ。この村では召喚に挑戦できるのは十五までと決められている。
その年になって召喚できなかったものはそれ以降も成功の見込みがないからだ。
「心配してくれてありがとう」
僕はこいつに対する憎らしい感情をこめないように注意しながら、できるだけ丁寧な返事を返す。
「返事だけは一丁前になりやがって」
ゲーリングは痛いくらいの力で僕の肩をバンバンと慣れ慣れしく叩くと、背を向けて立ち去っていく。
それを見送りながら今日は嫌がらせされずに済んだな、と僕は安堵の息を吐いた。
ゲーリングの精霊は強力だからな……
と思ったら、急に僕の足を何かが引っ張って僕は空中に逆さまに吊るされた。
そのせいでポケットに入れておいた荷がバラバラと音を立てて地面に落ちて行く。
「は、無様な格好だな! いい気味だぜエ」
僕の方を振り返ったゲーリングが腹に手を当てて大笑いしていた。ゲーリングと僕の位置は離れていて、とてもゲーリングの手が僕をつかめる距離じゃない。
僕の足をつかんで空中で逆吊りにしたのはゲーリングの精霊、ガイストだ。
ガイストは靄のような形を取る精霊で、力も強い。
僕はガイストの拘束をほどこうとするが、僕の手はガイストの体をすり抜けるだけで何の抵抗もできない。
「ははは、ガイストには人間が触れないって知ってんだろオ!」
ガイストはさらに物理攻撃がほぼ無力、というチートなおまけつきだ。
こいつに攻撃を加えるには同じ精霊か、魔力の攻撃しかない。
といっても並みの精霊じゃガイストにはかなわない。この村でガイストに勝てる精霊を従えているのは二人しかいない。
僕は結構高い位置に逆吊りにされているので他の村人からも見えるが、助ける人は誰もいない。関わりあいにならないように静かにこの場から離れるか、ゲーリングと一緒になって僕をからかうかだ。
これが、僕のこのリンツの村での立ち位置。十五前になって召喚を成功させられない無能者にしてゲーリングと言う強者から目をつけられている厄介者。
僕がこの年になっても召喚を成功させられないので、精霊を従えるのが村人として認められる条件であるここリンツでは疎んじられ、ゲーリングから目を付けられたこともあって、初めは同情してくれた人たちも一人減り、二人減っていった。
だが突然、ガイストの腕が手首から切り離された。手首と前腕がすっぱりと分断され、ガイストの手首から先が宙に溶けるように消えていく。
ガイストと言う支えを失った僕は頭からまっさかさまに落ちて行く。この高さから落ちたら大怪我だろう。
だけど、空中で僕の体が落下するスピードはゆっくりになり、体勢も足が下になって柔らかく着地できた。
「……何をしている」
静かな、だけど深い怒りを秘めた声。銀色の瞳が刃のように細められ、ヒアがフェアリーを従えてゆっくりと近づいてくる。
地面に降り立った僕を複雑な表情で見つめた後、凛とした表情になってゲーリングを見据えた。
「……精霊を悪用してはならないと何度もいい渡した。しかもあなたは明日から精霊使いとして都市で働くことが決まっている身。これ以上眼に余るなら、父にあなたの採用を取り消すよう私から進言する」
その言葉を聞いてゲーリングは顔を青くした。
ゲーリングは小さいときから村の生活はつまらない、外の世界に出たいと口癖のように言っていたのだ。そしてガイストの召喚に成功した時、都市で働ける道が開けた。
強力な精霊使いは外の世界でも引く手あまたで、リンツの名も魔術士の間では有名だ。有力な王族貴族、研究期間はリンツ出身に限らず常に強力で高名な魔術師を欲している。
「いえ、ちょっとこいつに精霊を使役する際の手ほどきをしていただけですよ。なあ、エルンスト、そうだよなア」
ゲーリングは僕に話す時とは別人のように腰を低くし、丁寧な口調でヒアに話しかける。そのうえ自分のやっていることが正当であると僕に同意を求めてきた。
被害者からこれはいじめではないと言わせる、ゲーリングの常套手段だ。これで首を横に振れば後で百倍きつい仕打ちが待っている。
それになにより、一度は都市で働くことになっていた契約を取り消させるような真似をヒアにさせたくない。村長の娘がそんな進言をしたとなれば村人からの風当たりがきつくなるだろう。
だから僕の答えは決まっていた。
「はい、そうです」
ゲーリングは弱者が自分の思い通りになったという優越感と、強者から罰を受けないことに成功したという達成感を顔に滲ませてその場を後にした。
「エル……」
ヒアは悲しげな瞳を僕に向ける。色々な感情が渦巻いているのが感じられるけど、何も言わなかった。
「」
去り際にヒアの唇が微かに動いた。言葉は聞き取れなかったけど、何を言ったのかはなんとなくわかった。
「明日、がんばって」