8 悪霊
「嫌われるとは?」
質問に対して、オーガストはしばし答えず、冷めたスープを啜った。その間に自分で考えろということだろうか。
運命を司るカイルナーヴァは、フェイト金貨に描かれている、戦士のような格好の神だ。
己の運命を全うすることを――あるいは強い意志でそれを乗り越え、自らで選択することを望んでいるとされる。
しかし、オーガストがしているように、自分の、もしくは奪い取った他者の運命を、金貨に変えることは、さすがに運命神の意にそぐわないものなのだろうか。
言うなれば強盗、贋金づくりのようなものか。
ジャネットが考えを口にすると、オーガストは首肯した。
「いろいろと面倒なことになるぞ。そもそも冒険者の運命とは面倒極まりないものだけど。それに輪をかけて。俺を縛る、もうひとつの呪いだな」
「具体的には?」
ジャネットがそう質問すると同時に、オーガストの首が飛んだ。
背後に巨漢が立っていて、無慈悲な処刑人のように大鉈を振るったのだ。
レストランは大騒ぎになり、逃亡するもの、嘔吐するもの、気絶するもの、のどかなランチタイムは修羅の巷へと早変わりした。
オーガストはしかし、いつの間にかジャネットの隣に立っていて、落とされたはずの首も元通りになっている。
「ぶった切られるのは分かっていた。だからその部分の運命を、予め削ぎ落としておいたよ。このくらいどうってことはないけど、昼飯を台無しにするには十分だ、まあ毎度の神罰だよ」
大鉈の男はむやみやたらと武器を振り回す。ライオンの獣人戦士である彼は、なにごとかをぶつぶつと呟きながら迫ってくる。
「やらなきゃ殺される……呪い殺される……殺されるのは嫌だ……囁く声に殺される……」
どうも不自然な様子に、ジャネットは反射的に〈慧眼〉を用いた。
獣人の男はブラスという名前だった。所持している技能は――
〈料理人系統技能 保存食作成〉
〈悪霊系統技能 姿無き声〉
二番目の技能だけが奇妙だった。料理人の技能に比べて、水を零した手紙のように文字がぼやけている。
ブラスのうわ言から考えても、これは彼の技能ではなさそうだ、とジャネットは推理した。
彼に〈姿無き声〉が取り付いて、彼をおかしくさせているのではないか。
オーガストは右手に、白く光る刃を発現させた。
犠牲者たるブラスを、問答無用で攻撃するつもりなのだろうか。
あるいは、操られているという運命を換金して彼を解放するつもりなのか。
このまま見ていればどちらにしても、彼が片付けてくれただろうが、とっさにジャネットは、ブラスの雲から悪霊の技能を奪い取った。
すると、獣人はばったりとその場に倒れ、彼の体から、黒い人型のもやが溢れ出た。
「そうだ。それでたぶん正解だよ、ジャン」
オーガストは、黒いもや――悪霊に刃を突き立てた。
おぞましい叫びを上げて、悪霊が消えうせ、代わりに金貨が当たりに散らばった。
片隅で縮こまっていた客や、厨房から出てきた料理人たちに向かってオーガストは言う、「騒がせたね、迷惑料だ」
そして自分は金貨に手を付けることなく店を出ようとして、立ち止まるとジャネットを振り返り、
「その技能だけでも、あんたの野望は達成できるかもしれない。俺のも手に入れてみるかい? こうしてわけの分からない敵に襲われる罰を受け入れるならそれもありだろう。
あとは、あんた次第だ、ジャン」
■
結局、ジャネットは厄介そうだったのでオーガストの技能に手を付けることはしなかった。
せめて、彼の持つ放浪の呪いだけでも取り払おうとしたが、口にしようとしてやめた。
オーガストはカイルナーヴァによって、厄介なクエストを強制的に押し付けられる生活のようだし、一箇所に定住しても周囲の人間が困るだけだ。それに、もしそうしてほしいなら、彼からジャネットへ依頼しただろう。
長い時間を生きているうちに、この呪いを解く方法にはいくつか出会ったはずだ。なのにそのままにしているということは、彼がこれを受け入れているということではないか。ジャネットはそう考えた。
それを察したように、オーガストは無言で頷くと、店を後にした。
ジャネットも追って外へ出るが、彼の姿はもうどこにもない。
もう永遠にたどり着けない、遠く離れた世界へ消えてしまったかのように。
彼のフェイトはジャネットとは完全に切り離されてしまったのだろうか。
あるいは、彼の技能を獲得しておくべきだったか。
そんな思いを断ち切るように、ジャネットは大通りを後にした。
ともあれ、他者へ憑依する技能は獲得できた。
使用者が悪意を持って使わない限り、ブラスのように呪われることはなければいいが。あの悪霊は、具体的に何を吹き込んだのかは分からないが、あの獣人を言葉巧みに操っていたようだった。それとも、使用者が悪霊であるがゆえに、あれほどの恐慌をもたらしていたのか。
ジャネットが使用しても害はないか、あとで誰かに試してみよう。
憑りついたまま他の技能をも使えるのなら話は早いし、そうでないなら、〈隠密行動〉の技能の使いどころだ。
冒険者仲間に憑依すれば移動する労力を使わなくていいし、危険も無い。そして戦いの場にたどり着いた後、隠れて援護に勤めれば、ラクに金貨を獲得できるはずだ。
そのためにはまた、便利な技能をいくつか収集する必要があるだろう。
なにはともあれ、自分の新しい生活は、ここから始まるのだ。
父は強く生きろと言った。ならば、強くしたたかに、働かずに金貨を得る方法を確立させなければならない。
それがこの世界に生まれ変わった、自らの使命なのだ。
怠惰者ジャネット・ニューマンは、その肩書きに似合わない力強さで石畳を踏みしめた。
〈クエスト2 ダガーピークの怠惰なるもの 終了〉