1 影の少女
カルドランド王国中央の街モーンブルワークは、国内の都市では小さいほうだが、それでも一辺の長さが数十キロメートルもある、いびつな四角形の枠内に、びっしりと高層の建造物が聳えている。枠線は高大な防壁であり、導かれるようにあまたの人々が、この枠内に入り込んできては去っていく。歯車と蒸気仕掛けの街は今日も冒険に飢えている。
西地区の五十二番街、武器屋ばかりが数キロに渡って続くぶっそうな場所を、錬金術師アンドリューが歩いていると、妙な少女がやって来た。外見は金髪碧眼の典型的な王国人で、服装も大学生風、ごくふつうの気楽な身分のようだったが、彼女はアンドリューの影の上に乗り、そこから動こうとしなかった。並んで歩くうちに、少女が口を開く。
「お兄さん、すいませんけど、もっと早いとこ歩いてくれません? もしかするとこれは命令ですよ」少女は横目に錬金術師を見ながら、甲高い声で言った。
「なぜに君にそう命令されなきゃなんねえ?」一瞥し、そう答えるアンドリュー。
「あたしは、人の影の上しか移動できないんで、お兄さんが動いてくれないとこっからよそへ移動できないわけです」
少女は別の通行人の影に乗ってここまで来たのだが、アンドリューの影に乗り換えた後、彼の歩みが遅く痺れを切らしたようだった。
「そう? じゃあもうちょい車道に近づくから車の影にでも乗りなよ。そいつもヒッチハイクって言うのかね」
「車の影なんかに乗ったら振り落とされるでしょう」
「君は……冒険者だな。間違いねえ」頷きながらアンドリューは言った。「こんな妙なことをすんのは冒険者以外にあり得ねえ」
「うん、ご慧眼、あたしは今から冒険者街へ行こうとしているわけです。あわよくばお兄さんがそこまで連れてってくれるか、日陰になってる裏通りとかに連れて行ってくれると非常にうれしいんだけど」
「せっかくだけどお嬢さん、世の中そんな都合よくはできてねえんだ。俺はこれから素材を収集するために、こっちのヴァトノーラ広場へ行こうとしてるんだよ。あいにく目的地とは逆方向だな」
「そんな殺生な」少女は頭を下げ、「これでよしなにお考え直しておくんなさい」と、金貨をアンドリューに渡す。
「フェイト金貨なんぞもらっても困んぞ、こいつは冒険者の間でだけ通用するもんだろ。やつらと仕事することもなくはねえが、俺は基本的にフレイムじゃないと報酬は受け取らねえようにしてんだ、悪いな」
「ならしかたないですね」取り付く島もない錬金術師に対し、少女は決意したように呟いた。
「いかにもそうだ、しかたねえ」
と、一時的にアンドリューが視線をはずすと少女は静かになった。
あきらめたのだろう、と彼女のほうを見ると、そこにはいなかった。そして、あるはずのアンドリューの影もなかった。錬金術師はすでにいない冒険者に対して「影泥棒!」と叫んだ。