真実と願い
あれから数分が経った。
ライクによると、痛みはみるみるうちに引いていったらしく、もうすでに完治しているとか。
テルスの部屋の前に、お菓子と紅茶が入ったカップが二つあった。ネイルが置いていったのだろう。
今はそのお菓子と紅茶を口にしながら、テルスが、フードを脱いで寛いでいるライクにいくつか質問していた。
「本当に、あなたはマナスイレイヴなのね? それも、かなり上級の」
「あぁ。魔術発動したろ? あれが証拠だ」
「まぁそうよね。……でも、私は今までに何度もマナを使っての魔術発動を試みたけど、一度も発動しなかったわ。なのに、何故さっきは発動したのかしら」
「それは多分、テルスの力が強すぎて、そいつらのマナじゃ足りなかったんだろ」
「え、そうなの!?」
驚くテルスに、ライク自身の腹をさすりながら「あぁ」と返す。
「実際、今までに十人ほどの魔術師に使われてきた俺だが、ここまでの傷を負ったのは初めてだ」
「ご、ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいって」
悪びれるテルスに、ライクは手をひらひらと振りながら言う。テルスは少し報われた気分になる。
「それにしても、どうして傷を負うわけ?」
その質問に、ライクは顔をしかめた。怒気を感じる。
「何で知らねぇんだよ。いや、どうせ知られないように隠されてんだろうな」
ぶつぶつと独り言を言うライクに、テルスは少し困惑した顔で「どうしたの?」と訊く。
「……はぁ。マナってのはな、俺たちの命と同じなんだ。つまり、マナを使用するということは、命を削るってわけだ」
「えっ……」
吐き捨てられるように出された衝撃の事実に、テルスは顔を青くさせ、固まる。その様子を見て、ライクは紅茶を一口飲んで言う。
「謝らなくていいからな。色々と。俺はテルスの質問に答えた、ただそれだけだ。謝罪は要求してないからな」
「……ありがとう」
「礼も要求してねえっての」
そう言って笑うライクに、テルスはまた報われる。
「ねえ、どうしてそんなに痛みが引くのが早いわけ?」
その質問に、ライクは腕を組んで首を横に傾け、少しの間を置いて答える。
「説明しにくいんだが、なんかこう、自分の中の力……マナって呼ばれてるんだっけ? それが作用して、スーッと傷を癒やすわけだ」
「全然わからないわ」
そう言い返すと、ライクは両足を投げて「俺にもよくわかんねーよ」と口を尖らす。
「ていうか、こういうのを学校で学んでるんじゃねぇのかよ」
「確かにそうだけど、この事は一切知らなかったわ」
「あぁそうかい。魔術師にとって、俺たちはやっぱりどうでもいい扱いなんだな」
そんなライクの言葉に、テルスは何も言い返せなかった。たしかに、今の時代、マナスレイヴを丁重に、いや一般人や魔術師と同列に扱おうとする者はほとんどいない。そんな世界なのだ。
「ごめんなさい」
気づけば、そんな言葉が出ていた。
俯いたままのテルスに、ライクは頬を指で掻きながら「まぁ、例外もいると思うけど」と前の台詞に付け足すように言う。しかし、それだけで、テルスの中にあるもやが、少しだけだが晴れていく。テルスは顔を上げ、次の質問に移る。
「あなたたちのマナを魔術師(私たち)が使うには、儀式を行って契りを交わさないといけないのに、私は、契を交わしていないあなたのマナを使うことができた。それはどうしてなの?」
その質問を聞いて、ライクは「あー、それか」と訝しげに言う。
「その契りってのはな、本当の条件を形にした仮の条件なんだよ」
「どういうこと?」
「本当の条件とは、『双方の同意』だ。俺たちは魔術師にマナをやってもいい。魔術師はそれを使って魔術を発動させたい。それが『双方の同意』だ」
「じゃあ、どうして契りなんてものを……」
「決まってんだろ」
ライクは双の拳に力を入れて、固く震わせる。
「同意を契りとかいう形にして、同意を強制させてんだよ。俺たちの意思関係なく、マナを使うためにな」
「そ、そんな……」
口を抑えたくなる衝撃の事実。いや、本当は薄々わかっていた。俗に言う契りが何のためにあるのか、実際のところ、ほとんどの魔術師が知っていなかったのだから。
「まあ、そんなもんだろ。今の魔術師ってのは」
「っ……」
「で? 他にも質問あるか?」
「え、えぇ。次で最後よ」
テルスはもう、精神的に疲れていた。質問なんて置いて、そこにあるベッドに飛び込んで、夕食前まで寝たい気分だ。そういえば、結局、まだ昼食を食べてないな、そう思いながらお菓子をひとかじりする。噛み砕き、飲み込むと同時に意を決し、最後の質問をする。
「あなたの言う、計画って何? それは、あなたが逃走している事と関係あるの?」
ライクは菓子を摘む手を止め、「その前に、俺から一つ質問いいか?」と訊いてくる。テルスは頷き承諾する。
「テルスはさぁ、今、俺の計画の共犯者になっているわけだが、今ならまだ引き返せれるぞ? 俺をこの家から出すのもいいし、奴らに通報してもいい。そうすれば、共犯者じゃなくなる。あいつらの味方で、俺らの敵だ。……その質問の答えを聞かれたとなると、俺はテルスであろうと、そいつを野放しにはできない。さぁ、どうする?」
「そんなこと? いいわよ、答えてちょうだい」
テルスのあまりに予想外な反応に、ライクは目を丸くし、次の瞬間には失笑する。テルスは顔を少し赤くさせて「どうして笑うのよ!」と抗議する。
「いや、テルス早いって! 答えんの早すぎ! しかも俺の真面目な問いに『そんなこと?』って! ははっ、俺がバカみてぇじゃねーか!」
「なによ……。私はねぇ、あんたを救護術師に差し出すかどうかを決めた、あの時にすでに決心してんのよ。そんな質問、愚問よ愚問」
「ははっ、それはすいませんしたね」
「分かればいいのよ」
テルスがニカッと笑い、それにつられてライクも笑う。
飲みきって空になったカップを床に置き、ライクは真剣な表情で話し始める。
「俺たちが暮らしている施設――収容所か。あそこでの暮らしは、まぁ結構快適なわけよ」
「快適なの?」
「基本はな。一日三回飯は出るし、個人の部屋もある。何かを学べ、何か技術を習得しろとも言われない。基本的には自由だ。だが、マナを欲する者が現れた時、その自由は失われる。有無を言う間もなく、手続きを管理者が勝手にして、無理やり契りを交わせられ、雇い主の従僕となる。まるで家畜だ」
苦い顔を浮かべ、白髪を掻きむしりながら話すライク。さっきまでパクパクと食べていた菓子に一切手を出さずに、話を続ける。
「俺たちとは違ってマナを持たない者たちは、マナとは違うが魔術発動に使える魔力を持っていたと、知り合いのじいさんに聞いたことがある。そして、その魔力を完全に失った場合でも生き続けれることを。なあ、テルス。テルスはさあ、マナが俺たちの命だと知らなかった間、マナを失った俺たちはどうなると思っていた?」
「それは……魔力を失った人たちみたいに、ただ魔力を持たない普通の人間になるって思ってたわ」
「まぁ、そうなるわな。でも、俺たちは違う。マナを完全に失った瞬間、その人生は幕を閉じるんだ。……魔術発動のために飼われ、利用目的を失った瞬間自然に死亡。俺たちは燃料か何かか? ただの使い捨てアイテムか? 俺たちはいつ、本当の自由を手にすることができるんだ?」
ここにはいない、誰かに訴えるような口調。迫力もあり、テルスは少し、そのライクの様子に怖気づく。
「この世界は狂っているんだ。魔術を使えるかどうかで、人間同士の間に格差が生まれている。同じ人間なのに、糧になる俺たちを、それと同じ扱いをしない。……全部、魔術とマナが……いや、それを牛耳っているこの世界のトップが悪いんだ」
「ま、まさか、あんた……っ!」
「俺は奴らを降伏させる。別に無闇に殺しもしないし、奴隷みたいな扱いもしない。復讐なんかじゃない。ただ、同じ人間同士、同じ世界に住む者同士、平等に生きていきたい、ただそれだけなんだ」
そう言うライクの表情は、どこか優しげがあり、恨みは少々感じるが、殺気ほどの強い思いは感じられなかった。
「俺がこの世界を変えてやる。誰かを糧にするわけでもなく、皆が手を取り合って生きていく、世界に」
「……そう」
テルスは考える。ライクの言い分はたしかに真っ当だ。だが、この世界でそんな動きをするということは、世界を敵にするも同然。その踏み出したる一歩を、ライクは踏み出しているのだ。いや、ライクにとって、既に世界は敵なのだ。自分の命を手玉にとって弄ぶ、悪い敵。
「どうした、テルス」
「えっ!?」
ライクがテルスの顔を覗き込んでいた。綺麗な碧眼が、テルスの顔を心配そうに覗いている。
「な、なんでもないわ!」
「そうか」
安堵の息をつき、優しい目をして笑うライク。
ライクの話を聞いてから、ライクがとても大きい存在に感じるようになってきた。
「それでだ。俺はテルスに手伝って欲しいんだ。俺にはマナがあるわけだが、それを俺自身が使えるわけではない。むしろ使えないから、現代まで伝わってきたんだろうけどな」
「手伝う……? 私に何をしろと言うの?」
「俺のマナを使って、魔術を発動させて戦ってくれ」
「は、はぁ!? あ、あんた、さっきマナは自分の命だって――っ!?」
「あぁ、そうだ。文字通り、命をかけた戦いになるだろう。でもな、それで今後、俺の仲間が幸せになれるなら、それでいいと思うんだ」
「ば、バカじゃないの!?」
声を荒げてしまう。自然と、目からは涙が出ていた。
突然、大声を出すテルスに、ライクは驚き目を丸くしている。
「なんなのよ、あんたは! さっきも、自分がマナスレイヴだと隠していたくせに、自白して、自分の命を削らせて、見ず知らずの男の子を助けるし! 今も……こんなこと言うし……もう、わけわかんないのよ……」
その時、ぐぅ~と情けない音が、テルスの腹から鳴る。緊迫していた空間が一気に崩れ、ライクは吹き出した。
「くくっ、このタイミングで腹鳴らすとか、テルスは天才だなぁ! あははっ!」
「な、なによ! 別に、私の意思じゃ……ふふっ」
テルスも頬を赤らめかせて笑う。この部屋に、二人の笑い声が響き渡る。
「くくっ……まぁ、あれだ。テルスはさ、俺にパンをくれただろう? あれはどうしてだ?」
「えっ? そりゃ、一週間も食べてないなんて言うからに決まってるでしょ」
「つまり、俺の事を心配してくれたんだよな? このままじゃ倒れてしまうかもとか思ってさ」
「そ、そうよ? 別に当たり前のことでしょ!」
「それと同じだよ」
テルスは瞬時に意味が理解できず、ポカンとする。
「困っている人がいるから助ける。困る人が出てくるからそれを未然に防ぐ。それだけさ」
「で、でも、あんたと私じゃ……」
「重みが違うってか? まぁたしかに、自分で言うのもなんだが、俺は結構凄いこと言ってんだろうな。でもな、根本は同じだ。……あと、自分の食べ物を譲るなんてなかなかできねぇと思うぞ? 俺、もうあんなに腹減るのはこりごりだ」
そう言って笑うライクに、テルスは「やっぱりあんたはバカね」と微笑む。
「決心したって言ったけど、やっぱり協力するかどうかについては、もう少し考えさせて。大丈夫。あなたの居場所や計画を言い振り回したりしないから。私の身も危険になるしね」
「……そうだな。今後の人生を大きく変える選択だ。それに、テルスは俺の命の恩人だ。脅すようなことを言ったが、俺はテルスを信じてる。いいぜ、考えろ考えろ。待ってるから」
待ってるから。その言葉が、ただ単純な意味なのか、それとも協力するという答えを、という期待なのかを考えるのはやめた。自分だけの考えで決めよう。そう思った。