ご招待
緊急事態の時用に持っていた住所などが書かれた名刺を中年の男性に渡し、テルスはライクを肩に乗せて、引きずる形でその場を去っていった。困惑する中年の男性の顔を思い出し、少し申し訳ない気分になる。
「……本当に、これで良かったのかよ……」
消え入りそうな声で、ライクが呟きかける。
「喋れる余裕があるなら、自分で歩いてよね。……いいのよ、これで」
「……そうか」
そこで二人の会話は途切れた。
テルスは息を切らしながら、ライクを乗せて歩く。ライクも自分の足で歩いてくれているが、やはり自分より二十センチほど背が高い男を運ぶなんて無理な話で、テルスは道端にへたり込む。
「大丈夫か?」
「も、もう無理……あんた、重すぎるのよ……!」
「いや、テルスが小さいだけだと思うぞ――っと!? おいっ、肩から落とそうとすんなよ!」
「次は許さないから」
首だけを後ろに振り向かせて、ライクを睨みつける。テルスは同年齢の子と比べると、やや背が低く、それを本人は気にしているのだ。
「わ、悪かったよ。で、大丈夫そうか?」
「無理。もう歩けない」
「……じゃあさ、さっきのテレポートで俺を飛ばしてくれても――」
「それはダメよ」
ライクの提案を、テルスは強めの口調で否定する。
「今からあんたを運ぶのは、私の家よ。そこには、シャウロおじさんとネイロおばさんがいるの。あんたが突然現れたら、二人共ビックリするでしょ?」
「ま、まあ、確かにそうだな」
「……それに、次やったら、あんたが死にそうで、怖いのよ」
少し震えた声で言うテルスに、ライクは鼻で笑って返す。
「ふんっ。そんな簡単に死ぬかよバーカ」
「ば、バカってなによ! ……ふふっ」
沈みかけていたテルスの顔に、笑顔が咲いた。ライクの顔も笑顔になる。
そんな二人に、ひとつの影が近づいてくる。
「やあやあ、そこのお嬢さんと少年。現在、絶賛お困り中かい?」
近づいてきた影の正体は、短い金髪を無造作にしたヘアスタイルで、背の高い女性だった。その女性は、テルスに右手を差し出す。その右手を、テルスは掴んで立ち上がる。
「あ、ありがとうございます。えっと……」
「いやぁ、女性が自分より大きい男性を支えようとしているなんて、なかなか見れないよねぇ。でもそれ、支えきれてないよね? お嬢ちゃん、ギブアップでしょ? つまり、ここはアタシに任せてってわけよ! さぁ少年、私に掴まりな!」
「えっ――うわぁ!?」
その女性は、自分と同じくらいの背の高さのライクを片手で軽々と持ち上げ、担ぐように、ライクを肩に乗せる。その際にライクは「ぐえっ」と小さく悲鳴を漏らす。
「うんうん、これもなかなか珍しい光景だよね。さて、お嬢ちゃん、今からどこへ行くのかな?」
屈託のない笑顔で訊いてくる。テルスには、この女性が悪い人には見えなかった。むしろ親切な人だ。
「え、えっと、こっちです」
「はいよ」
テルスは立ち上がり、歩き始める。その女性は涼しい顔で、ライクを担いだままテルスの後について行く。
ライクは、首元を摘まれて運ばれる猫みたいな顔をして、ぶらぶらと手足を揺らしていた。
あのままでは、どれだけ時間をかけてもたどり着けなかったであろう、目的地であるロアート家にものの十分程度で着いた。
テルスは一段落したと息をつく。例の女性が声を上げて笑う。
「はっはっはっ。よし、自分で立てるかな、少年」
「ゆっくり降ろしてくれよ――」
「せぇのっ、ほいっ!」
「ダイナミック!? ――いっだぁ!」
ライクを、担いだ状態から振り下ろすようにして地面に着地させる。ライクは勢いよく背中から地面に落とされ、そのまま痛みに悶える。
「ありがとうございました」
「ん? あー、いいのよいいのよ。可愛い後輩が困ってたら、助けるのが先輩の役目でしょ?」
女性はそう言って、ニカッと白い歯を見せる。
「先輩、ってことはうちの学校……あーっ! もしかして、あなたは戦闘学科の――」
「おっ、私のこと知ってる感じ?」
女性の声のトーンが少し高くなる。テルスに自分を知っていると言われ、嬉しいのだ。
「はい。たしか先日、戦闘学科内で成績一位を取ったと表彰されていましたよね?」
「そうだよー。まぁ、今は下がっちゃってるけどね。――どうも、レイジェ・ストロンピノです! レイジェって呼んでね、テルスちゃん!」
「えっ、どうして私の名前を……?」
驚くテルスに、レイジェは屈託のない笑顔だけ見せて、答えを濁す。
「さて、それじゃあ私はおさらばするよ。あ、そういえば……今さ、ここらにマナスレイヴが逃げ込んでるらしいよ、それも、かなり上級の奴が。……うん、それだけだから、じゃあね~」
「あ、ありがとうございました!」
手を振って去っていくレイジェに、テルスは頭を下げてもう一度礼を言う。
さっきの、マナスレイヴがここらにいるという情報を言う時、レイジェは、未だにそこで悶えているライクを見ていた。おそらく、彼女は気づいている。では何故、彼女はライクを見逃したのか。それがテルスの胸の中をざわめかせる。
「ぐえっ……お、おーい、立ち上がるのに手伝ってくれないかー?」
寝転んだ状態から、ライクは震える手をテルスに差し出す。
「あぁもうっ! しっかりしなさい!」
テルスはその手を両手で掴んで引っ張り、全体重をかけてライクが立ち上がるのを補助する。
「ふぅ~。サンキュー。あの金髪め、今度会ったらタダじゃおかねぇぞ」
「やめときなさい。ここまで運んでもらったわけだし、文句は言えないわ。それに、あの人に向かっていったところで、返り討ちにされるのがオチよ」
「そんなに強いのか?」
「さぁね」
ライクの質問を軽くあしらい、そそくさと一人、ドアを開けて帰宅する。
「ただいま」
「あら、やっと帰ってきたわね。今までどこに――」
「おーい、テルス。肩貸してくれよぉ!」
ひょこひょことした頼りない歩き方で、テルスに遅れて入ってきたライクを見て、ネイロの言葉が途切れる。目を丸くして、固まっている。
「ね、ネイロおばさん?」
「……お、お父さーん! テルスちゃんが、テルスちゃんが男の人を連れて帰ってきたわぁぁぁぁ!」
「なんだとぉ!?」
ネイロの声を聞いて、シャウロがものすごい勢いで裏方から出てくる。厳しい顔つきで、ライクを睨みつける。
「テメェがその男か……おい、テメェなにテルスに手を――」
「ご、ごめん! 後で話すから! ほらっ、行くわよ!」
「っだぁ! だから、乱雑に扱うなっての! いってぇんだよ!」
「お、おい! テルス!」
ライクの腕を引っ張って、自室があるニ階へつながる階段を駆け上がる。そして、そのままライクを連れて自室に駆け込んだ。